

「星の駅」を降りたところが公園として整備され、掬星台と名付けられている。手で掬えるほどの星に出会えるというのがその由来であるが、その以前にこの地は小笠原長行によって八州嶺と命名されていた。
小笠原長行は、肥前唐津の出身で、幼時より明敏をもって知られた。文久二年(1862)より奏者番、継いで若年寄を経て老中格に昇り、幕府の中枢を担った。文久三年(1863)摂海防備の視察のために摩耶山頂に立った小笠原長行は、和泉八カ国を一望できるこの地を八州嶺と名付けた。今となっては誰も八州嶺などとは呼ばないが、掬星台の公園の植え込みに隠れるように「八州嶺」と刻んだ石碑が置かれている。
その後小笠原長行は、幕長戦争時には小倉城に拠ったが、長州藩軍に押されて遁走し、戊辰戦争でも棚倉、会津、仙台を転々とした。のちに赦されたが、一切世に出ず、明治二十四年(1891)七十歳にて死去した。当日はどんよりと曇った生憎の天気で、神戸の街は白いベールで覆われたようであった。晴れた日には、甲子園球場や遠く生駒山系、紀伊半島まで見渡せる絶景スポットである。
掬星台は、神戸の、というより全国屈指の夜景スポットでもある。ここの夜景を見ずして夜景を語るなかれ、と言いたい。