
この碑について、海舟自身も氷川清話で触れている。
勝海舟は、海軍操練所門下から池田屋事件、禁門の変に関与した者が出たことを受けて失脚する。失脚直前、既に危険を感じていた海舟は、神戸に「海軍営之碑」の建立を計画していたが、実現が間に合わなかったので、庄屋の生島四郎太夫に碑を預けた。
この碑は、大正四年(1915)になって神戸区に預けられ諏訪山公園の金星台に建てられることになった。
勝海舟が生島に対して言ったことが、氷川清話に面白おかしく紹介されている。
――― 生島に
「この土地も今はつまらない百姓家ばかりだけれども、早晩必ず繁華の場所になるから、地所などはしっかり買っておけ」
といったところが、生島も半信半疑ながらに、おれがいったとおり地所を買い入れておいたら、はたして維新後には一坪何十円という高値になって、非常にもうけたそうだ。その後何かで少し損をしたということだけれど、今でもなかなかの財産家だよ。
海舟の談話は一々自慢話が鼻につくが、確かに現在も生島の屋敷は豪邸であったことは確認できる。


神戸の祇園神社は、京都の祇園神社の祭神が姫路の広峰神社から神輿に乗って京都に移る途中一泊したとされるところである。
祇園神社には、生島四郎太夫が寄進した石灯籠が残っている。