長岡京
(粟生光明寺
)
粟生光明寺
前年の八一八の政変で京都を追い落とされた長州藩は、翌元治元年(1864)六月、天皇に直訴するために京都に向けて兵を出した。同年七月、長州藩兵約百人は粟生光明寺に進駐し、方丈本堂を宿所とした。翌日には京都に向かい進攻したが、同月十九日、御所周辺での戦闘(禁門の変)に敗れた。粟生光明寺は紅葉の名所として有名で、シーズンともなると観光客で大混雑を来たすらしいが、私の訪れたのは夏の盛りで境内に人陰は疎らであった。
HOME
戻る