奈 良


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(猿沢池 植桜楓之碑
植桜楓之碑

 興福寺南の猿沢池の北東に植桜楓の碑がある。幕末に外国奉行、勘定奉行として、幕臣中に重きを成した川路聖謨が、奈良奉行時代に東大寺・興福寺を中心にこの附近に桜と楓を植樹したときの記念碑である。

 川路聖謨は、豊後日田代官所の属吏の子として生まれ、父が幕府の徒士として取り立てられて江戸に出た。六歳のとき小普請組川路光房の養子となり、次第に頭角を現した。老中大久保忠真、水野忠邦に重用されて、佐渡奉行、普請奉行を歴任した。川路が奈良奉行として着任したのは、弘化三年(1846)、水野忠邦の失脚とともに左遷された。川路が奈良奉行の任にあったのは、嘉永四年(1851)までの約四年間であったが、善政により住民から深く敬愛されたという。

 川路は、その後大阪奉行を経て、ペリー来航の前年勘定奉行に昇り、ロシア全権使節プチャーチンとの交渉では幕府全権に任命された。当時を代表する開明的幕臣の一人であったが、慶応四年(1868)三月十五日、江戸開城の朝、ピストル自殺を遂げた。最期まで幕臣としての矜持をもち続けた男であった。

【鹿せんべいについて】

奈良といえば、鹿せんべいである。

うちの子供たちが鹿にせんべいをやりたいというので、売店で鹿せんべいを買った(因みに150円である)。子供に渡してやろうと振り返ると、既に5〜6頭の鹿が私を取り囲んでおり、身動きが取れない。ここで注目すべきは、連中(鹿のことである)は売店に積み上げられているせんべいには、決して手を出さないのである(厳密にいえば、「口を出さない」というべきであろう)。客が支払いを終えた瞬間、せんべいを買った客を狙って集まってくる。

つまり連中は、金銭の授受によってせんべいの所有権が移ることを理解しているのである。

 私が鹿にせんべいをやったのでは仕方ない。何とか子供たちにせんべいを手渡してやろうと、鹿に届かないように、高々と上に持ちあげて移動しようとした。しかし鹿は、それをさせじと体当たりを食らわし、更になめまわし、終いには私の胴体を噛むという攻撃に出た。そうである。奈良の鹿は噛むのである。自分のからだが、引き締まって一寸のたるみもない人は何の心配もないが、「ちょっとヤバイ」或いは私のように「かなりヤバイ」状態にあると確実に噛まれる。今でも鹿に噛まれた脇腹がヒリヒリと痛む。結局、奴らの執念に負けてせんべいを全て鹿に渡してしまった。我々にとって鹿せんべいは単なるレクリエーションであるが、彼らにとっては死活問題なのである。このことを忘れて安易に鹿せんべいを買うと、本当に痛い目に遭うぞ。