西本願寺
西本願寺
東本願寺は徳川家所縁の寺であり、万事東に対抗する西本願寺は古くは豊臣贔屓、幕末は熱心な勤王派であった。禁門の変で敗走した長州藩士、山田顕義、品川弥二郎らがここに逃げ込んで切腹しようとしたところを、変装させて落ち延びさせたこともあった。
西本願寺唐門(国宝)
西本願寺内には国宝唐門がある。極彩色の彫刻は唐風というより、日光東照宮を連想させる。私が唐門の写真を撮影しようとしたところ、門前ではおばさんたちがおしゃべりに夢中であった。全く移動する気配もない。終いにはしゃがみこんで化粧をし始めた。国宝におばさんは似合わないが根負けしてシャッターを切った。おばさんたちは気力充実しており、とても頼んで退いてもらえる雰囲気ではなかった。
興正寺山門
西本願寺の南隣の興正寺もやはり勤王派であった。禁門の変で破れて逃れてきた僧侶隊(金剛隊)の隊員六名(いずれも長州藩内の僧侶)を匿って逃がした。
(龍谷大学)
龍谷大学
西本願寺に隣接する龍谷大学は、もともと本願寺の教授所として設立されたもので、明治初期に建設された本館(重要文化財)はコロニアル風様式の洒落た建物である。
西本願寺太鼓楼 太鼓は時を報せるために鳴らされたもの
西本願寺太鼓楼は慶應三年(1865)三月より新撰組の屯所として使われた。この移転は策士土方歳三の策であった。もともと勤王派である西本願寺の境内に屯所を置くこと自体が嫌がらせ以外の何物でもない。新撰組はこれみよがしに毎日大砲を打って調練を繰り返した。堪りかねた西本願寺は屯所の不動堂村への移転の資金の大半を負担したというから、土方の策はまんまと図に当たったというべきか。