西吉野
賀名生皇居跡
賀名生と書いて「あのう」と読む。吉野川の支流である丹生川を国道沿いに遡る。まさに奥座敷と呼ぶに相応しい秘境である。
吉野はかつて京都を追われた後醍醐天皇が逃れ、他日を期した場所である。後醍醐天皇が亡くなったあと、後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇とその後三代にわたり南朝の天皇が賀名生で過ごした。この山深い地で都を知らない天皇は何を思いながら過ごしたのであろうか。
賀名生皇居跡
現在も堀家の方が生活されており、予め申し込んでおかないと拝観はできない。
南朝所縁の賀名生皇居跡を天誅組の吉村寅太郎が訪ねたのは、京都での政変の報せが入りすぐさま募兵のために十津川に走る、その途上のことであった。吉村寅太郎はここ賀名生皇居(堀家)に立ち寄り、「皇居」の扁額を揮毫した。現在、賀名生皇居の藁葺門に掲げられている扁額はそのレプリカである。本物は歴史民族資料館に展示されている。
賀名生の里 歴史民族資料館
歴史民族資料館の背後の丘陵を上ると、北畠親房の墓がある。北畠親房は後醍醐天皇を支えた公卿で、南朝の正統性を説いた「神皇正統記」を著した。文和三年(南朝の年号では正平九年:1354)賀名生で死去した。