
現存の天守閣は昭和六年に再建されたものである
慶應二年(1866)、七月二十日、十四代将軍家茂は大阪城内で息を引き取った。享年二十一歳であった。死因は脚気衝心と言われる。時は将に第二次征長戦の最中であり、当面将軍の死は伏せられた。家茂には和宮との間に子はなく、直ちに後継将軍を決めなくてはならなかった。
家茂の死を口実に幕府は征長軍を撤退させた。徳川宗家の相続は一橋慶喜と決まったが、慶喜は将軍家を継ぐのを固辞した。結局、慶喜が十五代将軍の座に就いたのはその年の十二月であった。慶喜が将軍位に就いて間もなく、今度は最大の佐幕派であった孝明天皇が急死する。征長の失敗そして孝明天皇の死によって、幕府の命運は急速に衰えた。