三 宮



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 神戸は、私が学生時代を過ごした懐かしい土地である。正月休みに親戚一同で宝塚に逗留しているすきに、一人抜け出して神戸の史跡を訪ねた。

 久し振りに神戸を訪ねると、震災の傷跡らしきものはほとんど見当たらない。近代的なビルが建ち並ぶ風景は、すっかり昔の姿から一変していた。全く新しく生まれ変わったという印象である。

 阪急電車の特急が、いつから岡本に止まるようになったのだろうか。そんなことから始まって見るもの全てが新鮮で、学生時代に何度も訪れた三宮の街であったが、ほとんど初めて訪ねる街と変わりなかった。

 こんな様子で幕末・維新期の史跡を保存してくれているのだろうか。多少、不安を抱きながら駅を降り立った。
(外国人居留地
15番館
 三宮の駅の南側一帯は、神戸が開港された慶応四年(1868)から明治三十二年(1899)まで外国人居留地として外国人による自治が行われていた地域である。洋風建築が建ち並び、さながら異国のようだったらしいが、現在その風情を伝えている建物は15番館のみである。その15番館も阪神大震災で全壊して、現在建っているのは使われていた資材をそのまま使用して建て直したものである。

旧居留地下水道公開施設 15番館に隣接して、当時建造された下水道施設を見ることができる

 神戸の外国人居留地は、幕府が安政五年(1858)に締結した修好通商条約に基づいて設けられたもので、神戸以外に大阪、東京、長崎、横浜などにも同様に作られたが、外国人による自治がうまく機能したのは神戸だけだったらしい。

68番館の門柱

この地にはレンガ造りの倉庫があったという
 今でこそ、神戸は外国人がよく似合う街となっているが、幕末当時、京都に近い兵庫の開港というのは最も朝廷の忌避するところであった。兵庫開港のためにいったい何人の血が流されたであろう。
 全部で126区に分けられ、建物にはそれぞれ番号が付されて、○番館と呼ばれた。68番館の門柱が辛うじて残されている。

(海軍操練所跡
旧海軍操練所跡

 三宮駅から京町通りを南に下ると、阪神高速道路京橋入り口付近に旧海軍操練所跡の錨の形をした記念碑が建っている。

 海軍操練所は、文久三年(1863)十四代将軍家茂がこの地を視察した折、勝海舟は海軍の興隆の重要性を説き、合わせてこの地が天然の良港であることから、大阪湾の警護のためにも神戸に海軍操練所を建設することを願い出て、許されたものである。

 元治元年(1864)五月に開所となり、勝海舟は同時に軍艦奉行に任じられた。出身藩に関わらず塾生を集め、活況を呈したが、その直後、池田屋事件や蛤御門の変に関与した塾生がいるという嫌疑から、わずか1年足らずで閉鎖に追い込まれた。勝も軍艦奉行を解任され、江戸に召還されてしまった。

 短い活動期間ではあったが、海軍操練所から、坂本龍馬や陸奥宗光といった逸材を生んだ。
神戸電信発祥の地の碑
 海軍操練所跡の碑に神戸電信発祥の地の石碑が並んでいる。それもそのはずで、背後の巨大なビルはNTTドコモの社屋である。

(三宮神社
三宮神社
神戸事件発生の地
 正月でしかも大勢の人が行き交う場所にあるというのに、ほとんど参詣する人もいないという不思議な神社である。狭い境内の角に「神戸事件発生の地」の石碑が建っている。

 神戸事件というのは、幕末期に頻発した武士と外国人の接触事件の一つである。生麦事件や堺事件と同類の事件と言ってよい。

 時は既に王政復古が宣言され、年の明けた慶応4年(1868)1月のことである。警備のため行進していた備前藩兵の前を外国人が横切ったのがきっかけで発砲騒ぎとなった。交戦の末、一時外国人部隊が神戸を占拠した。新政府は、東久世通禧を遣わし外国人と折衝し、藩家老が謹慎、砲隊長滝善三郎が切腹となった。

 三宮神社の境内には、当時使われたのと同型の大砲も展示されている。
神戸事件当時使用された大砲

(メリケン・パーク 海軍営の碑
海軍営の碑
 諏訪山公園の碑と同じく勝海舟が残した海軍操練所を記念した石碑である。メリケン・パークの入口附近みなと公園内にある。
124番地の碑
 この裏通りは、初代神戸県知事伊藤博文に因んで伊藤町と名付けられた。

(東遊園地
日本近代洋服発祥の地

 近年ルミナリエで有名になった東遊園地。阪神大震災後、クリスマスの前になると神戸市役所の南側、東遊園地から南京町にかけてライトアップされて、このせいで殺人的な人込みになる。

 東遊園地にある興味深い石碑やモニュメントを以下に紹介したい。
 明治二年(1869)イギリス人ガベルが当地で洋服店を開いたのが我が国で洋服が作られた最初で、それを記念してこの石碑が建てられることになった。ファッション発信基地である神戸に相応しい石碑である。
ボウリング発祥の地
 球形をしたモニュメントである。明治二年(1869)居留地の外国人がボウリングを始めたのが我が国におけるボウリングの最初だったらしい。