島 原
(島原)
島原は幕府公許の日本随一の遊里であった。新撰組の屯所が近かったこともあり、隊士たちは毎夜のように島原で遊んだ。
島原大門
芹沢鴨が局長を務めた時代の新撰組は相当乱暴を働いたらしい。芹沢と角屋の主人徳右衛門とは犬猿の仲であった。この日(文久三年八月十四日)、角屋の仲居がいないことに腹を立てた芹沢は手当たり次第に器をたたきこわし、掛け軸を破り、置物を破壊した。今でも角屋にはそのときの刀痕が残っている。
角屋の前には、長州藩士久坂玄瑞謀議の角屋という石碑が建っている。島原には勤王も佐幕も入り混じっていたのである。例えば近藤勇には深雪太夫、土方は東雲太夫、山南敬介には明里、永倉新八は小常というお気に入りがいたという。ただ新撰組が島原に現れるようになると、久坂玄瑞などは島原から遠のいたとも言われている。
現在は遊興の地という名残は感じられないが、輪違屋や角屋などが当時のたたずまいのまま保存されている。
浅田次郎の「輪違屋糸里」は、子母沢寛の「新選組始末記」の記述をベースに新解釈を展開した小説である。作家が小説を作るということは、歯の化石から巨大な恐竜の全身を想像する作業に似ている。輪違屋の糸里が「新選組始末記」に登場するのはほんの数行である。そこから想像力を駆使して、本来「チョイ役」だった糸里を堂々たる主役にしてしまった。遂には文庫本にして2冊に及ぶ宏大な世界を築いていく手腕には本当に感心する。