書 評
何故に私が「翔ぶが如く」の世界にのめり込んでしまったかというと、その登場人物の魅力に尽きる。一言でいうと男惚れする男たちとでも言おうか。
司馬遼太郎の作品は女性が描かれていないという批判を耳にするが、「翔ぶが如く」に関して言えばほとんど女性の登場人物はいない。私に言わせれば女性を読みたければ司馬遼太郎を読む必要は無く、それをもって司馬作品を批判するのは的外れと言うほかはない。
特に魅力的なのが大久保利通である。台湾出兵のあとの清国との交渉経過を司馬遼太郎は執拗に追っているが、大久保の強靭な意志には本当に感動する。
城山陥落の描写は圧巻。村田新八が
「噫、天なり」
と嘆息して自決するシーンは何度読んでも涙が出る。
「翔ぶが如く」を読むと司馬遼太郎の本質は新聞記者だったのだとつくづくと思う。西南戦争勃発後の記述は、ほとんど小説というよりは現地に赴き、聞き書きを基にしたルポルタージュである。それだけにリアリスティックな面白さがある。
二十数年振りに、「胡蝶の夢」を書棚から出して読んだ。文庫本はすっかり古びて赤っぽく変色しているが、中身は今読んでも新鮮である。どこまでが史実でどこまでが創作なのか、その境目が分からないほど司馬先生の筆が冴えている。
司馬先生の人物描写が絶妙なのはどの作品でも言えることであるが、特にこの小説では島倉伊之助(司馬凌海)という異才の存在が際立っている。「胡蝶の夢」というタイトルの謎は小説の最後に近いところで明かされるが、まさに島倉伊之助の生涯は「胡蝶の夢」であった。
主役である松本良順とそれを取り巻く人物群。多紀楽真院や伊東玄朴といった“悪役”と良順の対決も面白いが、一方でポンペ、佐藤泰然、関寛斎といった高潔な蘭医の姿にも心を打たれる。幕末の日本で緒方洪庵を初めとして佐藤泰然、佐藤尚中(山口舜海)といった無欲で献身的な医家が全国に同時多発的に発生した。このことは単なる偶然ではなくて、二百五十年続いた徳川幕府による教養時代の所産なのかもしれない。幕末長岡藩家老河井継之助を思い入れたっぷりに描いた作品である。一言でいってここに登場する河井継之助は非常にかっこいい。それにしても「江戸三〇〇藩 最後の藩主」の中で著者八幡和郎氏が述べているように、
―――(河井継之助の)構想は慧眼でも何でもなく、国家としてこのうえもなく危険なもの
という疑問は拭えない。結果が物語っているように、長岡藩は戦争に追い込まれる。リスクマネジメントという観点からすると、彼の取った行動・方針は正解だったとは言い難い。もっとも司馬先生の描きたかったものとは別の次元だと思うが。
色々考えさせられる作品であるが、理屈を抜きにして、自分の亡骸を焼く炎を眺めながら果てる河井継之助の最期は凄絶である。新幹線の車中というのに、涙が止まりませんでした。
戦争の経過が非常に良く調べられており、手放せない一冊。
この本によると大久保利通は、高い理想を持つ志士というより、局面において最も現実的で有効な手段を選び、それを決して諦めない鉄の意思でもって実行する政治家であった。
元治元年の参与会議以降、大久保の最大の政敵は徳川慶喜であった。慶喜がどんなに凄い人物であったかということを知るにもお勧めの一冊。
明治初年、西南戦争に至るまでの歴史を学ぶには、是非一読を勧めたい。教科書的には「西郷隆盛は征韓論争に破れ下野した…」と一行で片づけられてしまう事柄を当時の資料を駆使して刻銘に解き明かす。征韓論は実は岩倉使節団に参加した外遊組と汚職事件で失脚した長州閥対留守政府組との勢力争いであった…とする説は説得力がある。
日本が近代を迎えようというこの時期に、江藤新平という合理的な頭脳の持ち主が出現した歴史的事実に改めて驚嘆する。明治初年の短期間に江藤新平が関わった改革だけでも、国家官制、民法刑法、裁判所の整備など数え上げればきりがない。明治六年の朝鮮使節問題の閣議においても、大久保が主張する「使節延期論」に対し、本当に使節が殺されて戦争になるのを恐れて、戦争の準備が整うまで使節の派遣を延期するというのであれば、最初から使節派遣などせずにむしろ開戦に踏み切るべきであると論破した。誠に鋭い論鋒である。
ただ毛利氏の語る江藤新平像は、民権確立を第一にする理想的な政治家となっているが、やや理想的に過ぎるように思う。江藤という人物は、確かに近代的な法治思想を持っていたが、同時に前時代的な郷党主義から脱却もできていなかったのではないか。毛利氏は、「(江藤新平は)人権確立と法治体制造出に専念していたから、朝鮮使節問題については、とくに賛成でも反対でもなかったのではなかろうか」としているが、であれば佐賀で物情不穏となったときに慌てて戻る必要もなかったし、佐賀征韓党に担がれて反乱を起す必然性はない。
司法卿として次々に長州人の不正を暴いたのも、悪政府から郷土の士族を守るために佐賀の乱の首領となったのも、薩長閥に対抗するため、維新に乗り遅れた肥前閥の勢力保全のためではなかったか。
毛利氏の著作は常に史料に沿って、それでいて新しい解釈を提示するものであるが、江藤像については今一つ釈然としないものが残る。
西南戦争から130年目の平成十九年に上梓された新書である。西南戦争を描いた作品といえば、司馬遼太郎先生の「翔ぶが如く」の右に出るものはないが、ここでは「翔ぶが如く」ではあまり描かれることのなかった鹿児島を巡る攻防戦(まだ薩軍が人吉を本拠としていた頃)を紹介しているのが興味深い。また戦後生まれた数々の西郷伝説、河野主一郎が出獄後結成した三州社、いわゆる「視察団」のその後なども丹念に調査されている。改めて西南戦争の「面白さ」を再認識させてもらった。
司馬遼太郎先生や海音寺潮五郎の作品に登場する海江田信義(有村俊斎)は、保守的で粗暴で粗忽という人物設定となっているが、血縁の方にとっては一言いわずにはおられない心境であろう。著者東郷尚武氏は海江田信義の曾孫に当たる。海江田信義は、西郷、大久保らと精忠組を結成したメンバーであっただけでなく、寺田屋事件、生麦事件、薩英戦争にも関与し、鳥羽伏見戦争、江戸城引渡にも活躍した。この間、海江田信義の足跡を追うだけでそのまま維新史を知ることができる。
著者は、極力私情を挟まず、控え目な海江田の「弁護」に努めている。
―――司馬遼太郎氏は「蔵六殺しの嫌疑をぬぐうために、晩年、みずから口演して『維新前夜・実録史伝』というものを人に書かせその死後出版させた」(『花神』)と書いておられるが、海江田としては「吾人先つ自ら隗より始め、併せて同感諸士も亦同く此挙に出んことを冀望」し多くの実歴談が完成されれば、複雑だった明治維新の歴史もかなり完全な史料として残されることになると考えたのである。また、海江田の実歴史伝は、さきにふれたように明治二十五年十月にはすべて出版され、海江田の死は、出版から十四年後のことなのである。
という一節にも子孫としての気持ちが現れている。
明治初年の草創期の新聞をリードしたのは、ほとんどが幕臣出身の知識人であった。西南戦争以前の新聞は、政論が主であり、「雑報」と呼ばれる事
戦争報道において先行した「東京日々新聞」の福地櫻痴(源一郎)は、客観性を貫く事実報道に徹した。翻って今日のジャーナリズムを見ると、如何に情緒的か。事件が起きると被害者が悲嘆にくれる様子を執拗に追い、大衆の情緒に訴える報道スタイルは日に日にエスカレートしている。福地櫻痴も西南戦争の現場にいて、戦争の悲劇に触れる機会はいくらでもあったであろう。少年兵や佐川官兵衛の戦死、旧会津藩士が参加した警察隊…。しかし櫻痴はこういった悲劇には敢えて触れない。筆者は、「その沈黙の背後に、かれの、旧幕臣としての鬱屈したいきどおりと、伝聞と私情を排除しようとする従軍記者としての気迫がありありと読みとれる」と評している。現代のマスコミが忘れたジャーナリズムの本質を思い出させてくれる。その一方で、当時の新聞は政府から厳しく統制を受けていた事実も忘れてはならない。筆者は、福地の報道に欠落している「批判精神」についても言及している。著者佐々木克氏は大久保利通の直孫故大久保利謙氏の弟子にあたる。当然かも知れないが、著者は親大久保利通派で、従来の大久保のイメージ「冷酷、冷徹で非情な政治家」を覆そうという論旨で一貫している。また前掲の毛利敏彦氏の著作「明治六年の政変」や「台湾出兵」についても
―――征韓論政変を、大久保が権力を握ろうとして起こしたクーデターとする論があるように従来の大久保論は、ともすれば彼の政治的性格や権力志向を指摘しがちであったが、私にはあまりにもそうした面を強調しすぎているように思える。(中略)明治初年の政治史を、あまり権力や派閥の抗争としてみることに私は反対である。現代の政治家や政治状況を、そのまま明治維新の世界に持ち込んで解釈するような方法を採ることを、私はつつしむべきだと思っている。
と批判している。私も「明治六年の政変」を読んだときは「なるほど」と感心したものであったが、同じ論調で「台湾出兵」まで料理されてしまうとやや辟易したものである。
いずれにせよ百年余り前のことといえ、今となっては歴史である。一つの事実を解釈するにも視点を変えることによって「黒」にも「白」にも解釈できるということを思わざるを得ない。
私もどちらかというと親大久保派ではあるが、あまり大久保を礼賛・弁護するのもどうかと思う。八・一八の政変については、大久保は当時薩摩に滞在中であったのに「クーデター司令を発したのは大久保とみて間違いない」としながら、一方で佐賀の乱の後の江藤新平の梟首刑については「河野敏鎌や岩村通俊ら司法官僚らによって梟首すべきであるとの見解が、既に三月初旬の段階で示されていた」ことを論拠に、政府首脳の総意であったとしている。しかし河野にしても岩村にしても、大久保に近い人物であるし、大久保の意向が反映されていたと見る方が自然ではないだろうか。大久保と言えども人間である。人間であるからには他人に対して好意も持てば、憎しみを抱くこともある。江藤を梟首にしたというのは薩摩に対する「見せしめ」という政治的な意味もあっただろうが、個人的に虫が好かないということもあったのではないか。
「<政事家>大久保利通 近代日本の設計者」 勝田政治 講談社メチエ文庫
大久保利通の足跡を追った書であるが、特に明治維新後の政治家としての大久保の活躍に多くのページを割いている。
明治六年の政変については、「西郷は平和的・道義的交渉を行おうとしたのであり、決して征韓論を主張したものではない、という説が唱えられたが、とてもそのように評価することはできない」と断じ、西郷の主張は最終的には戦争を期す方策であるとし、前掲の毛利敏彦氏の説を真っ向から否定している。また西郷と対立した大久保利通が主張したとされる「内治優先論」について、新たに「民力養成論」という用語を提起している。その後、大久保利通が進めた内務省の設立、そして勧業政策と照らすと、非常に説得力のある解釈である。
毛利敏彦『大久保利通』における「大久保はみずからビスマルクたらんとし、プロシア王とビスマルクの関係を、明治天皇と自分との関係における理想とした…日本の模範と考えたのは、アメリカやイギリス、フランスではなかった…ヨーロッパの後進国ドイツ、ロシアに強い関心を寄せた…万国対峙のもと日本の独立を確保する唯一の道は、ドイツを手本に、強力な政府のもとで富国強兵、殖産興業ほやりぬくことだと、かたく心に期したにちがいない」という説についても「大久保がモデルとしたのはアメリカやフランスやドイツではなく、イギリスであった」とこれも完全に否定している。
勝田氏と毛利氏は仲が悪いのだろうかと要らぬ勘繰りをしてしまうのであるが、一つの史実、一人の人物を巡って見る角度によって解釈が180度異なる良い例である。これが歴史の難しさであり、同時に醍醐味でもある。
「一外交官の見た明治維新」 アーネスト・サトウ(福田精一訳) 岩波文庫
アーネスト・サトウの著した幕末のなまなましい記録。アーネスト・サトウが幕末維新期の重要な事件に色んな形で関わっていたことが分かる。訳文特有の分かりにくさはぬぐえないが、現場に居合わせた者しか書けない貴重な証言が多く、非常に価値が高い。
世に「写真集」と名の付く本は多数あれども、歴史上の人物の写真集は多くあるまい。しかも「西郷隆盛写真集」と称しながら当の西郷隆盛の写真は一枚も掲載されていないという世にも不思議な一冊。
著者の先祖に当たる久米清太郎の残した従軍日記をもとに物語風に編成された作品。久米清太郎は、薩軍の医者として各地を転戦した。続々と運び込まれる負傷者、苦心して各所で病院を準備する様子、そして兄弟や郷里の友人が戦死して悲しむ青年の心情が切々と述べられ胸を打つ。
薩軍本隊が、当初は大口−山野を経て水俣に抜けるルートを取ろうとしたが、大雪のため加久藤越に進路を変更したと言うのは初めて知った。或いは進路を官軍に察知されないように、自軍にも正確な進路を伝えなかったのであろうか。
文久二年(1862)に起きた外国人殺傷事件、それを契機にその後に連鎖的に起こった事件、薩英戦争や薩摩と英国の接近、留学生の派遣などを追った小説。吉村昭は例の如く私情を交えず淡々と事実を描く。吉村氏の筆致は、ドラマ性には欠けるが真実性が高い。
司馬先生や海音寺潮五郎の小説に慣れた者からすると、吉村氏の描く島津久光像は斬新である。明晰で力強いリーダーシップに溢れた姿は、これまで西郷隆盛の引き立て役として描かれることの多かった久光の面目を一新するものであった。どちらが真の久光なのだろうか。
生麦事件の事後処理を巡って、右往左往する幕閣の姿は末期的な組織のものである。冷静な第三者としては、「誰がどう考えたって償金を払うしかないだろう」と思うが、幕閣は将軍、朝廷が償金を払うことに反対しているため、誰もそのことを口にしない。イギリスの代理公使ニールに対し回答期限の延長を申し入れるしか対応ができない。遂に水野癡雲という、言わば隠居のじいさんのような人が
「償金を払うしかない」
と発言すると、堰を切ったように賛同意見が続く。ようやく結論が出た。ところが支払の段に至って老中小笠原長行は責任を負うことを恐れて、病と称して引きこもってしまう。このテイタラクを眺めていると、勝海舟ならずとも、幕府は先が長くないと誰でも思うだろう。
シーボルトの娘、楠本いねの劇的な生涯を描いた長編である。吉村昭の筆は常に感情を抑制しているが、それでもいねの波乱に富んだ人生はドラマティックである。いねと母お滝が父シーボルトと三十年振りに再会するシーンはことに感動的である。吉村昭はこれを単なる美談で終わらせず、その後シーボルトが召使の女に手を出し、いねとの関係が冷えてくる様を容赦無く描く。読後にしばし呆然と立ち尽くすほどの感動を起こすのも吉村昭の執拗な取材の賜物であろう。作品では長崎の街の風情を見事に描写している。長崎を旅してみたいという思いにかられた。
ジョセフ・ヒコという人物の生涯には以前から興味があったが、この小説を読んで改めてこの人の数奇な人生に感銘を受けた。ジョセフ・ヒコは「新聞の父」と称されるが、本人はそれほど気負って新聞を始めたわけでもないし、執着があったわけでもなさそうである。吉村氏の筆はジョセフ・ヒコを始めとした漂流民の成れの果てを執拗に追っている。幕末の漂流民といえば、中浜万次郎とジョセフ・ヒコがその双璧というべき存在であるが、実は彼ら以外に無数の無名の漂流民がいた。人道的見地からすれば、無辜の漂流民は生国に帰されて当然であるが、時代はそれを許さなかった。鎖国していた祖国は、彼らを乗せた外国船を容赦なく攻撃した。運命に翻弄される漂流民の姿に暗澹たる思いに浸る。ようやく帰国したジョセフ・ヒコにも攘夷の刃の恐怖が襲う。結局、安住の地を得られないまま、維新を迎える。維新後も帰化したジョセフ・ヒコは最後まで日本人として扱ってもらえなかった。彼は今も青山霊園の外国人墓地に眠っている。
吉村氏の執拗な取材と、高野長英の凄絶な逃亡劇が印象的な作品。吉村氏は幕末の人物を小説の題材に好んで取り上げるが、共通しているのはそのドラマティックな生涯である。高野長英、関鉄之助、楠本イネ、ジョセフ・ヒコいずれもことさら脚色しないでも、彼らの人生を追うだけで十分に感動的である。吉村氏は常に淡々と描写を続けるが、それでも十分に感動は伝わる。同時に単に史実を追うだけではなく、独自の推論も交えて小説に仕上げた。例えば長英の最期のシーン。世上伝えられるところでは、長英は捕吏に囲まれたところを自ら刃で喉を掻き切って死亡したと言われるが、この小説では殴り殺されたことになっている。生きることに執着を持っていた長英の姿を見てきた読者としては、最期に至って彼が自ら命を断ち切るというのは、しっくりこない。小説家ならではの見事な解釈だと思った。
「大津事件」が起きたのは明治二十四年(1891)のことである。まだこの時期には「明治の元勲」が生き残っていた。『ニコライ遭難』にも維新史に馴染みのある名前がたくさん登場する。伊藤博文、井上馨、松方正義、西郷従道、陸奥宗光、後藤象二郎、山田顕義、有栖川宮、北垣国道、北畠治房、野村維章…。薩長藩閥が権力を独占していた時代に、藩閥に頼らずに能力を発揮できたのが司法の世界であった。当時、司法の分野には、児島惟謙だけでなく、有能な人材が集まっていた。この小説を読む前は「大津事件=児島惟謙」というマークシート的な認識しかなかったが、内閣の圧力に屈することなく、司法の独立を守りえたのは児島惟謙一人の奮闘だけでなく、当時の法曹界、マスコミも大審院の判断を支持していたことも大きかったに違いない。裁判官の判断をひっくり返そうと大津に乗り込んだ西郷内務大臣と児島大審院長とのやりとりには息を飲んだ。二人とも私心から自説を述べているのではなく、真に国益を思って論争しているだけに迫力がある。国会で偽メールを巡って下らない応酬を繰り返している21世紀の日本でこういう議論にお目にかかれないのは寂しい限りである。
「幕末に殺された男 −生麦事件のリチャードソン」 宮澤眞一 新潮選書
私も生麦事件で殺害されたリチャードソンについては何となく気になって、横浜の外人墓地ではわざわざ柵を乗り越えてリチャードソンの墓を見に行ったことがある。その後この本を書店で目にして、世の中には自分と同じように変なところに興味を持つ人がいるものだという親近感を抱いた。とはいえ、この書物は単にマニアを満足させるためのものではなく、リチャードソンという歴史の被害者をキーに、当時の英米の商人が中国・日本に進出する様を克明に追っている。リチャードソンらと久光の行列が東海道上で接触し、刃傷沙汰が起きたのも、歴史的に見ればある程度必然性があったということが納得できる。
西郷、大久保、坂本龍馬、木戸孝允、大村益次郎ら、「維新の英傑」の子孫の方と、田部井氏の対談集。マニアとしては、もう少し突っ込んだ内容を期待したいが、田部井氏が必ずしも歴史の専門家ではないので、その点は不満が残る。折角、錚々たる子孫の方々にお越し戴いたのであるから、もっと事前に勉強して欲しかったと思う。
青山墓地にある大久保利通の墓に、大久保が紀尾井坂で暗殺された際、巻き添えで殺された御者中村太郎と馬も近くに葬られたというのはこの本で初めて知った。青山墓地には既に足を運んだが、もう一度確かめに行かなくては・・・。
西郷隆盛が死を予期して遺書を残したというフィクションに基づく歴史推理小説であるが、大変良く調べてあり読んで損はない。
夙に知られる通り西郷さんには写真が残されていない。小説はこれを発端として進められるが、私が思うに西郷さんが肖像写真を残さなかったのは、写真が未だ「贅沢品」であった当時、出世をしたからといっていそいそと写真を撮りに行くという行為が西郷さんの美学と合わなかっただけであろう。個人的にはせめて1枚だけでも後世の我々に写真を残して欲しかったと思う。
歴史上の人物で、誰に会いたいかと訊かれればやっぱり西郷隆盛でしょうか。アーネスト・サトウのいう「黒ダイヤのように光る目」を見てみたいですね。
書店でたまたま発見するまで、佐木隆三がこのように歴史上の人物を題材に取り上げた小説を書いているとは迂闊にも知らなかった。他にも「伊藤博文と安重根」など、歴史を題材とした法廷小説を手がけているらしい。
とはいえ、佐木隆三を純粋な歴史小説家とは呼べないだろう。本作品の中でも木戸孝允らの会話の中で、「ダブって」とか「ピエロ役」とか、
「いくら何でも当時の人はそんな言葉遣いはしなかっただろう。」
という表現が散見され、やや興をそがれるところは否めない。
小説は、「司法卿 江藤新平」という表題とは裏腹に、「小野組転籍拒否事件」の顛末を描くことに紙面の大半を費やし、江藤新平その人が登場する場面はごくわずかである。これを読むと、「小野組転籍拒否事件」の被告槇村正直の裁判が、例の「明治六年の政変」と同時並行して進行していたことが分かる。「小野組転籍拒否事件」は、決して「明治六年の政変」の裏番組ではなくて、こと長州閥にしてみれば最大の関心事であった。「小野組転籍拒否事件」は、現代では小学生でも知っている三権分立或いは司法の独立が確立していく過程における「産みの苦しみ」を象徴する事件であった。その背後には司法卿江藤新平の信念と意思が存在していた。前述の毛利敏彦著「明治六年の政変」に発想を得て、佐木隆三らしい骨太の裁判小説に仕上がっている。
昭和五十年に公刊された京都大学の飛鳥井雅道教授の坂本龍馬論。坂本龍馬の生涯を丹念に追っているが、新鮮に感じたのは勝海舟との出会いについて。千葉重太郎と龍馬が連れ立って勝を斬りに行ったが、逆に勝の言説を聞いて弟子入りしたという『氷川清話』の談話が小説でも普通に取り上げられている。筆者は、龍馬−間崎哲馬(滄浪)−土佐藩邸−越前藩邸−春嶽−海舟というルートで引き合わされたと仮説を立て、これまであまり注目されていない間崎哲馬の役割を指摘している。
慶應四年大政奉還前後の龍馬の動きは分かりにくい。龍馬は平和改革論者のようにも見えるし、一方で武力討幕論者にも見える。歴史学者には「二股主義」と評する人もいる。筆者は、龍馬は討幕派と幕府の武力を見ながら、武力倒幕の機を伺っていた。現実的な武力討幕主義者だと論証する。なかなか説得力がある。
明治四十三年、報知新聞記者松原致遠が、生前の大久保利通を知る人たちから聞き書きしたものである。証言者の多くはこの時点ではいずれもかなり老齢に達しているため、記憶違いが多々見られるが、それでも個々の証言には生々しいものがある。証言者に共通している大久保利通像は、無口で無欲で威厳があって決断力に富んだ理想的な政治家である。大久保が薩長閥政府と呼ばれることを懸念して、出身に捉われず広く人材を求めようとしていたことも伝わってくる。紀尾井坂にて凶刃に倒れず、その後十年でも二十年でも大久保が明治政府の中心にいれば、現代に至る日本の政治はもう少し清廉なものになっていたと思われる。本書では、所謂政敵の証言は収録されていない。欲を言えば、同時代の政敵の証言なども収集できていれば、本書はもっと面白い読み物になっていたであろう。
鬼才有吉佐和子が昭和五十三年に発表した長編小説。言うまでもなく文久元年の和宮降嫁に題材を得たフィクションである。
「有吉佐和子が描いたような和宮が替え玉だったなどという話は有り得ないことである。」
と歴史学者らしき方が発言されているのをどこかで読んだことがあるが、多分学問的に言えば“替え玉説”などは笑止なだけかも知れない。“和宮替え玉説”を論証するためにこの本は書かれたのではなく、飽くまで小説の題材として和宮降嫁を取り上げたと理解するべきである。
小説として読めば、大変面白い。「華岡青洲の妻」を例に挙げるまでもなく、女性の醜い心理を描かせれば、有吉佐和子の右に出る者はいないであろう。有吉佐和子が筆を振るうには、公家や大奥という舞台は格好の題材であったと思う。
著者の綿密な取材と膨大な史料に基づいて桜田門外の変の全容を描いた力作。やはりクライマックスは、桜田門外における井伊大老襲撃の場面である。史実を美化することなく淡々と筆は進められるが、襲撃シーンは迫力満点で胸が熱くなる。
主人公関鉄之介は大老襲撃の現場指揮者で、首謀者としては最も長く逃亡生活を送った。最期は水戸藩吏によって捕らえられ、小伝馬町で斬罪となる。司馬遼太郎先生によると、暗殺によって歴史が前進した例はなく、桜田門外の変は数少ない例外だという。桜田門外の変以降、幕府の権威は失墜した。水戸藩は高橋多一郎、金子孫二郎ら有能な指導者をこの変で失い、急速に政局における地位が低下していく。水戸藩出身の慶喜が将軍となり、最後は賊軍となってしまう。尊王の志厚い水戸の者にしてみれば、やり切れない思いであろう。桜田門外の変により水戸藩の手により歴史を旋回させたと思うことによって、辛うじて彼らの魂は救われるのかもしれない。
著者の西郷隆盛に対する熱い想いが伝わって来る好著。西郷の生涯は謎に満ちている。その一つ一つに著者なりの見解を提示する。膨大な資料を読み込んでおり、いずれの仮説も説得力がある。
明治六年の政変についても、前掲の毛利敏彦氏の説を一歩進めて、「西郷、江藤、板垣らによる民権論者と大久保、岩倉、木戸らによる国権論者の争い」としている。純粋に「民権論者VS国権論者」とするのは無理があるにせよ、明治六年の政変には毛利氏の説、上田氏の説、両面を持っていたと考えると納得がいく。
本著作は、上田氏の西郷に対する思い入れが書かせた力作ではあるが、西郷を神格化する余り、大久保を悪役に仕立ててしまう傾向が顕著である。勧善懲悪的な発想が惜しまれる。