高 槻
藤井竹外邸跡
藤井竹外は、文化四年(1807)に高槻藩士藤井沢右衛門の長男として生まれた。高槻藩士として相当の家格の後継者として生まれながら、頼山陽を師と仰ぎ長じて詩作に耽った。七言絶句を得意としたため「絶句の竹外」とも呼ばれた。幕末の志士は彼の漢詩を好んで吟じた。
司馬遼太郎先生の『世に棲む日日』では四十歳を過ぎて独身でいる森田節斎に対し、藤井竹外が「タイシツキケツ」ではないかと揶揄する様が描かれている。これがもとで森田節斎は嫁を取ることを決意したという。
本行寺
高槻城は跡形もないが、寺町の一角は城下町の風情を今に伝えている。そこに本行寺がある。本行寺には藤井竹外の墓や西南役・日清・日露戦役戦死者の慰霊碑などがある。
藤井竹外先生之墓