土佐堀



(薩摩藩蔵屋敷跡・大村益次郎寓地跡
薩摩藩蔵屋敷跡

 幕末前夜、薩摩藩は調所笑左衛門を起用し、藩財政の建て直しを図った。調所による改革の柱が大阪商人からの借金の実質的な踏み倒し(二百五十年賦無利子返済)と国産品の専売化であった。

 この改革には、「天下の台所」大阪は非常に重要な拠点であり、薩摩藩は上下屋敷に加えて、蔵屋敷を置いている。

蔵屋敷は土佐堀川に面したところにあり、現在は三井倉庫のビルになっている。

 薩摩藩蔵屋敷跡から道路をはさんで向かい側の日本エレベータのビルの前に大村益次郎の寓地跡の石碑がある。
大村益次郎先生寓地跡
 それまで大村は塾頭になっても適塾に起居していたが、それではいくらなんでも…ということで、江戸堀四丁目の倉敷屋作右衛門の離れ座敷に下宿することとなり、ここから適塾に通った。
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(長州藩蔵屋敷跡
長州藩蔵屋敷跡
 薩摩藩蔵屋敷跡から数百b東へ進んだ土佐堀一丁目の角に長州藩蔵屋敷跡石碑がある。文久三年(1863)の七卿落ちの際、三条実美らもこの蔵屋敷で一夜を明かしたと伝えられる。

(讃岐高松藩蔵屋敷跡
 中之島にあるリーガロイヤルホテルの前庭にひっそりと蔵屋敷跡の石碑があるが、これがこの地に讃岐高松藩蔵屋敷跡があったことを示すものである。この附近は各藩が蔵屋敷を構え、天下の台所大阪を象徴する地域であった。
高松藩蔵屋敷跡