宇 治



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(平等院
平等院

 宇治といえば平等院である。平等院というと10円玉のイメージが強いが、そのような安っぽい存在ではない。開創は永承七年(1052)、時の関白藤原頼通による。国宝阿弥陀如来を安置する鳳凰堂やそれを取り巻く浄土式庭園は、世界遺産に登録される名勝である。

 宇治という地名を聞いてもう一つ想起されるのが宇治茶であるが、平等院の正門前には巨大な宇治製茶記念碑が建てられている。これは、明治十二年(1879)、横浜で開催された全国製茶共連会で、宇治製茶法が特別一等賞を受賞したことを記念したものである。宇治製茶記念碑は、久邇宮朝彦親王の筆によるもの。
宇治製茶記念碑
 久邇宮朝彦親王は、青蓮院宮、粟田宮、獅子王宮、中川宮、尹宮、賀陽宮と、頻りに名前を変えた。幕末最も政治力を発揮した公家の一人である。特に文久三年(1863)の八一八政変では主導的役割を果たし、孝明天皇の信任も厚かった。しかし終始佐幕を貫いたため、孝明天皇が逝去し公武合体派の勢力が失速して以降、急速に影響力を失った。維新後は一時広島藩に幽閉され、明治五年(1872)伏見宮に復籍してのちも政治に関与することはなく、伊勢神宮の祭主などをして晩年を過ごした。明治二十四年(1891)死去。
(宇治代官所跡

宇治代官所跡
 宇治には幕府代官が置かれていた。上林一族は、本能寺の変の際、徳川家康が三河に逃げ帰るのを上林久茂が先導した功績により、代官に任じられた。以後、七代に渡って宇治代官職を引き継いだ。明治維新を迎え、明治五年(1872)代官所は宇治町役場となり、昭和三十八年(1963)、宇治市役所が現在地に移転するまで続いた。