淀屋橋




(適塾跡
適塾跡
 緒方洪庵が大阪淀屋橋に開いた蘭学塾である。門人には大村益次郎、橋本左内、大鳥圭介、佐野常民、福沢諭吉ら、幕末から明治期にかけて活躍した俊英が名を連ねる。
門人たちのほとんどは単なる医者に終わらず、政治や軍事、評論など各方面で第一人者となった。これも緒方洪庵の教育方針に拠るところ大であろう。緒方洪庵自身は、文久二年(1863)、幕府より奥医師、西洋医学所頭取として召し出され江戸に上ったが、身に余る栄誉も本人にしてみれば必ずしも本意ではなかった。翌年、江戸にて急死した。52歳であった。
緒方洪庵像
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(日本銀行大坂支店
日本銀行大坂支店
 淀屋橋を北に渡ったところに緑青色の屋根が印象的な日本銀行大坂支店がある。この建物は大坂で勧業博覧会が開催された明治三十六年(1903)に完成したもので、昭和五十七年(1982)に外観はそのままにして内装の改築が行われた。
駅逓司大阪郵便役所跡
 この場所は明治期には関西財界の指導者となった五代友厚の別邸があったが、それを示すものは何も無い。建物の前には駅逓司大坂郵便所跡の石碑が立っている。明治四年(1871)前島密らが中心となって郵便制度が整備された。この場所には東京、京都とともに郵便役所が設立された。
(大阪商法会議所跡

大阪商法会議所跡
淀屋橋の交差点を南に少し進むと、UFJ銀行のビルの前の植え込みの中に、大阪商工会議所跡を示す小さなプレートを発見することができる。明治十一年(1878)八月、五代友厚らによって、この地に商工会議所の前身である大阪商法会議所が創設され、大阪経済の再生と近代化の起点となった。
(手形交換所発祥の地

手形交換所発祥の地碑
 三井住友銀行大阪本店の東玄関前に「手形交換所発祥の地」と記した石碑がある。大阪に手形交換所が開かれたのが、明治十二年(1879)のことで、東京に手形交換所ができる八年も前のことであった。当時の大阪金融界の先進性を示すものといえる。