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第零幕:「瀬ノ尾、炎上」



「泣いてはだめだ。今は、まだ。」
そう瀬ノ尾 蛍子は思った。
隣国、桜の侵攻より六日目。ついに瀬ノ尾の城は陥落した。
地方豪族程度の力しか持ち合わせていない「瀬ノ尾」が、六日の間、 敵国、「桜」の攻撃を防ぎつづけたのは、
ひとえにその国力に見合わぬ数の 明鏡兵器のおかげであった。

しかし今はその善戦もむなしく、炎につつまれる城の中を蛍子は一人、さまよっていた。
痛む足をひきずりながら、混乱の中はぐれた父や母、弟達を探して。
その足が、ふと止まる。自分の名を呼ぶ声が聞こえてきたような気がしたのだ。
もう一度声がする。蛍子が反射的に身を固くした瞬間、煙の中から駆けつけた 人影が、彼女をつつみこんだ。
その人影のまとう香りに、蛍子はほっと息をつく。(おばあさま…)

「ああ、蛍子さん、無事で、無事で…。お父上も母上も、弟君さま方も皆…」
嗚咽する祖母の声に、蛍子はああ、やはり、とうなだれた。
光明院様、お早く…」
祖母の背後から、押さえ気味の男の声が響き、蛍子は顔を上げた。
隣国、「青海」からの食客である陰陽師の姿がそこにあった。
「そうであった。佐野殿。さ、蛍子さんこちらへ…」
蛍子の祖母、光明院は墨染めの衣の袖で涙をすばやくぬぐうと、佐野と呼ばれた陰陽師を伴って、
蛍子を普段はほとんど行くことのない、見張りやぐらへと連れて行く。
「ここならば、今しばらく大丈夫であろう。」
そう言う光明院に、佐野が言い辛そうに告げる。
「申し訳ありませぬ、光明院殿。その…お二方をお乗せ申し上げるには 私めの霊力があまりにも足りませぬ…」
「私のことなどどうでも良い。蛍子姫を無事、青海へお連れ申し上げるのじゃ。」
光明院はそう言うと、蛍子の前にしゃがみこんだ。佐野は黙したまま、“式打ち”を始める。

蛍子や。私の言うことを良くお聞き。お前はこれから青海の国に行くのですよ。
青海は今は亡き私の娘であり、お前の叔母君でもある方の嫁ぎ先。
そう、もちろん佐野の生まれ故郷でもあります。それに、お前の乳母の娘がそちらで 働いているそうですね。
私からもよしなに、と一筆したためておきました。 大丈夫。何も心配することはありませんよ。」
光明院はそう言いつつ、懐から手紙を取り出し蛍子に渡す。
「でも…おばあさまは?それに佐野も…。」
蛍子の言葉に、“式打ち”終え、≪式≫の起動を待っていた佐野は、
「私も、今では瀬ノ尾家に仕える者ですので。」
と、静かな声で答える。その直後、雷鳴と雷光を放ちながら、二匹の≪飛行式≫が出現した。
その音に反応したのか、階下から足音が聞こえる。あれは、おそらく敵だろう…。

「さ、早く。蛍子さん。私は大丈夫。御仏が守って下さいます。」
光明院は蛍子を≪飛行式≫の足につけられた袋に押し込む。
「嫌です!私もここに残ります!!」
蛍子がもがく。階下からの足音がだんだんと大きくなる。
「行きなさい!蛍子!!…佐野っ、はやく・・」
光明院の言葉に、佐野がすばやく二匹の≪飛行式≫へ命令を下した。 ≪式≫がはばたき、窓から飛び出していく。
「おばあさまっ…!!」
叫ぶ蛍子の目に、見張りやぐらへなだれ込む敵兵の様子が見えた。
霊力をほとんど使いはたした佐野が、光明院をその身を挺してかばう。
蛍子は目を覆った。その耳に、兵達の足音と、鎧のこすれる音が聞こえる。 燃える。瀬ノ尾の城が、燃える。
「生きなさい!蛍子!!」
という祖母の声。そして刀の鞘走る音…。

…やがて全ては≪飛行式≫の力強い羽音と、風のうなりに消えていった。 そして蛍子は思った。
目を見開き、声を押し殺して。
「ナイテハダメダ。イマハ、マダ。」と。

思えばあの雨は「はじまりの雨」だったのだ。あの、あたたかな雨は。
……次回、第一幕。「空から来た少女」

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