大晦日に食べるそばのことで、この風習は江戸時代中期頃からといわれている説
宝暦6年1756年の「眉斧日録」に「闇をこねるか大年の蕎麦」とある。また、文政7年1824年刊行とされる「半天手拭流行落御噺」に「出前したそば屋が道具を取りに来て『代をいただきとうございます。』『代は大晦日にやろう』『ハイ、どうぞ現金に只今いただきとうございます。』というと『何さ、その蕎麦はかけだよ』(江戸食べ物の談から)」そばの「かけ」と売掛けをかけたもの。
金銀細工から出たという説
金銀の粉を拾い集めるのにそば粉を練った塊が吸い付けてよいことから、金銀細工師がそば粉を使っていた。蕎麦を食べれば金銀が入るのではという縁起をかついだことから大晦日に食べる風習ができたとする説。
世直し運そばとする説
鎌倉時代に、承天寺(博多)の坊さんが、年を越せない人達を集め、「世直しそば」と称して「そばもち」を振舞ったところ翌年に運が向いてきた。喜んだ町人達は「運そば」といって毎年大晦日に食べる習慣となった。これが広まったとする説。
細長いそばを縁起とする説
そば切りが細長いので「身代を延ばす」「寿命を延ばす」縁起ものとして年の暮れに食べるようになったとする説。
大晦日に夜食として食べた習慣説
月末の大晦日が夜遅くまで忙しい商家で、夜食でそばを食べていたその習慣が、そのまま一般家庭でも大晦日に食べるようになったとする説。
ソバ殻を焼いた灰で洗うと汚れが落ちることからとする説
ソバ殻を焼いた灰で、使い古した器を洗うと長年の汚れがよく落ちることから、胃腸のかすを流したり、旧年のけがれを落としたりしたい、ということで食べたとする説。