トップページ > トピックス > なぜ超能力を信じてしまうのか?


ブラックホールというものが存在することが科学的に証明されています。
しかし「存在する」と言っても、実際にブラックホールに押しつぶされた経験のある人はいません(笑)。
にもかかわらず、ほとんどの人は科学的な説明に納得してブラックホールは「存在する」と考えています。

でも、これが超能力の話になると
「超能力や神秘体験というものは他のものをそう思い込んだのであって、実際には存在しない可能性が高い」
と科学的に説明されても納得しない人が出てきます。
これはなぜなのでしょう? さあ、みんなで考えよう。


■ 「ない」という言葉の響き

「ない」という意見はなんとなくネガティブな印象を与えます。人は「ある」という言葉に夢を感じ、「ない」という言葉は人々から夢を奪うように見えるわけです。いわゆる批判的な人が(たとえ完璧に正しいことを言っていても)嫌な人だと思われがちなのはこのことが原因です。協調性を重んじる日本ではこの傾向が強いようです。

■ わかりやすい説明・感性に訴える言葉

わかりやすい説明や感性に訴える言葉は子供にも直感的に理解できるので共感を呼びます。反対に、理詰めの言葉は小難しい印象を与えるので一部の人にしか支持されません。これを利用して、わかりやすい説明とか感性に訴える言葉は宣伝や勧誘の小道具として使われています。さらに、これらのわかりやすい言葉を用いながら「ある」ということを強調すればより効果的に人を引き込むことが出来ます。

逆に言えば、理詰めの言葉を使って「ない」と説明することは、思考力のない人を説得するには非効率的です。俗説とか迷信、最近のものではダイエット関連のうさんくさい話など・・・専門家がいくら「効果がない」と説得してもこういった情報が消えないのはこのことが関連しています。(こう考えると、このサイトも非効率的な方法を採っていますよね)。

■ 科学の限界(少し脱線)

(分野にもよるでしょうが)ほとんどの科学者は科学が万能ではないことを知っています。実際に、科学で説明できない不思議な現象はたくさんありますし、心のメカニズムなどはほとんどわかっていません。どんなに科学が発達しても「心の中が丸わかりになる」時代は来ないでしょう。

「科学で何でもわかる」という極端な考え方は科学主義とか科学教と呼ばれ、疑似科学(科学に見せかけた科学ではないもの)と同じくらい性質の悪いものです。

科学の力など自然の力に比べれば小さなものですが、科学が人類史上もっとも強力なツールだということもまた事実です。祈祷や霊術といったものでは不可能なことが科学の登場で可能になりました。(誰もが恩恵を受けられる科学技術はありますが、誰もが恩恵を受けられる祈祷や霊術、超能力は存在するでしょうか)。その意味で、限界はあるものの、なんだかんだ言って科学は人間にとってかなりの力を持っています。ですから、科学に限界があるからといって科学を全否定するのも正しくないのです。

■ 体験者の信念

超能力を信じる人によくあるタイプは「超能力はある。だって私が超能力者だもん」というような人です(もちろん、信じることは自由です)。では、このことが超能力がある証明になるでしょうか? 考えてみましょう。

超能力はある。だって私が超能力者だもん
宇宙は神が創造した。だってそういう神の声が私には聞こえたから
神は存在する。だって私が神だから
人々は知らないが、世界は私が100億年前に創造した
・・・???

誰でも信じることは自由です。ただし、自分で見たこと体験したことはあくまで自分の中でだけ通用するものです。自分と関係のない他人にもそれを認めてもらおうとするのなら、それなりの客観性や再現性を備えていなければなりません。そのためには科学的方法が必要となってきます。超能力や神秘体験を証明するには科学的手法を採るしかないのです。

■ 劇的な体験はときとして思考停止をもたらす

一度自分の体で実際に神秘体験(らしきもの)や超能力(らしきもの)を目にしたり体験したりすると、それにショックを受けて思考が停止しがちです。たしかに本人にとってはそれは神秘体験・超常現象としか思えないかもしれません。でも、それがまったく別の何か(ヤラセや演技やタネ、極端に言えばドラッグなど)によってもたらされたという可能性もあります。新興宗教や詐欺や悪徳商法はこの辺りの手口が非常に巧妙です。

■ 「超能力」という完璧な理論

超能力肯定派の主張は完璧で、絶対に論破されません。なぜなら反証不能だからです。反証不可能な理論はどんなこともいかようにも説明できてしまうので客観的ではありません。少々乱暴な言葉を使えば「妄想」です。

■ 科学でないなら超能力??

「この現象は科学では説明できないから超能力だ」という論理をたまに見かけますが、超能力の定義が「科学で説明できない現象すべて」でない限り「科学で説明できないから超能力だ」という推論は誤っています。「お前は日本人でないからアメリカ人だ。間違いない!」と言う論理と同じです。この推論はおかしいですよね。実際には中国人の可能性もイギリス人の可能性もあります。
不思議な現象を科学で説明できないのは、現在の科学の限界を示しているのであって、超能力が存在することを傍証しているわけではないのです。したがって、よく聞く「世の中には科学では説明できないことがたくさんある」という言葉にはそれ以上の意味はなく、超能力が存在することの論拠にはなりません。

■ 超能力を証明するためには

じゃあ、超能力が存在するという証明はどうすれば立てられるのか? それには、超能力肯定の側が科学的な姿勢をとらなければなりません。超心理学という学問分野では、できるだけ科学的な手法で超能力の存在を証明しようと試みています。そして150年の研究で得られた成果は主に次の3つです。

・超能力を否定する実験者の実験では超能力を否定する結果が多く、肯定する実験者の実験では肯定的な結果が出やすい(実験者効果)
・強い超能力を持っているとされる被験者でも、実験を続けているとそのうち結果が出なくなる(衰退効果)
・超能力を持つとされる被験者はESP課題などで高い正答率を出す反面、低い正答率も出す(負の超能力)

これらは皮肉にも、超能力と見えるものが超能力ではないことを示唆するものです。これらは実験の不備や単なる偶然を表している現象だと考えられるからです。このようなことから、もともと超能力肯定派として超心理学の研究をしていた超心理学者のBlackmoreは次第に超能力の存在に対して懐疑的になり、後に「超心理学のした再現性のある発見は、サイ現象(超能力)に再現性がないということだけだ」と強烈な指摘をしています。再現性については次項で述べます。

■ 再現性について

趣味で超能力実験をしている人はたくさんいますし、超心理学者として大学などの研究機関で超能力を証明しようと試みる人もいますが、共通の欠点は「どこでも、どんな実験者が立ち会っても、同じ手続きで実験すれば同じ結果が再現される」という再現性に欠けていることです。著名な超心理学者自身が「これからの超能力研究はいかに再現性を備えた実験を行うかという問題にかかっている」と言っています。

・「超心理学が現在直面する問題は、実験者に依存しない、つまり誰がやっても起こすことのできるような実験結果がほとんど存在しないことである」(Adrian Parker)。
・「再現性が欠けていては他の条件が完璧だったとしても、うわべだけの科学としかなりえない」(John Beloff)。

※現在では比較的再現性の高い実験が行われていますが成果は出ていません。

■ 結局、人はなぜ超能力を信じてしまうのか?

「人はなぜ超能力を信じてしまうのか?」に対するここでの答えは大きく分けて2点です。1つは、「ある」という言葉に夢を感じ「ない」ことを認めたくないから。もう1つは超能力の理論にはトリック(とレトリック)があるから。

■ それでも納得できない場合は・・・

Thomas Gilovich(1991) "HOW WE KNOW WHAT ISN'T SO: The Fallibility of Human Reason in Everyday Life" (守一雄・守秀子訳 1993 「人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか」)
菊池聡 (1998)「予言の心理学―世紀末を科学する」
菊池聡 (1998)「超常現象をなぜ信じるのか」
Eldredge Niles(1982)"The Monkey Business"(渡辺征隆訳 1991 「進化論裁判」)
などが専門家によって一般向けに出版されています。このコラムはいい加減なのでぜひまともな解説書を読んでください。「人間この信じやすきもの」はわかりやすい上に内容もしっかりしているので手始めに最適です。最後に練習問題として「進化論裁判」を読むのがおすすめです。