中越地震の記憶(1)

戻る
 
プロローグ





10月21日、台風23号の影響による大雨で、信濃川が増水。消防団に出動要請がかかりました。
とは言っても、町内の河川ではなく、隣の部の管轄である旭橋付近の警戒のためだという。
実際被害を受けている町内の信濃川沿いの田園地域より、近くに人家のある町場優先なのでありました。
ここから先に水が来たら、土嚢積むからと、波打ち際とにらめっこ。
すごいと思ったのは、最大水位が計算され、十日町が何時にむかえたから小千谷は何時と予想されており、実際ほぼその通りでした。
次第に水は引き、はれてお役後免に。
しかし、夕方陽も暮れる頃にはずいぶんと冷え込み、数日前からの風邪にこの出動が追い打ちに。
結局これによる被害を受けたのは、ウチらの町内の田畑等、お役人には関心の薄い部分のみとなったようです。
事実、この週の小千谷新聞には、当市の被害は『無し』とありました。
これを見た親父なんて怒った怒った。植えたばかりの野菜、みんな流されたんだぞ!と。
他にも、用水路は砂で埋まり、よその田んぼなんてあぜを破壊され水の通り道になっていたり、流木等のゴミがのこったりと、その洪水の傷跡は明らかでした。
まあ、この新聞にそんな期待しちゃダメだってヾ(^^;)と、とりあえずなだめてみたり。

10月23日5時56分





この日は仕事が休みで、1日体調が優れず部屋でごろごろしていました。
無性に、先日鈴鹿へ一緒に行った人が持っていたキャンプ道具が欲しくなり、買いに行こうとしたのですが、頭も重く外出する気になれず。友人とメールをやりとりしたりして、過ごしていました。
その相手も、神戸の方だけに、このような自体に大変驚かれたことと思います。

夕方、晩ご飯を食べに1階へ下りる。
ちょうど、親父は無性にぷりんが外へ出たがったため、連れて出た。動物は野生の本能で、すでに危険を察知していたのかも知れない。
おふくろはまだ夕食の準備中で、オラは茶の間におかず等を運んでいる最中でした。テーブルに焼き魚をおいて、台所へ向かったその時…
ゴオオオオォォォォ
思わず響いてくる音に床を見つめた次の瞬間。
ズッゴオオンン
爆音を思わせるような音とともに、縦揺れが来ました。正直、その瞬間は北朝鮮でも攻めてきたのかと、思ったくらいです。
で、次に横揺れ。
グォワングォワン、グォワングォワン…
とっさに柱にしがみつく。
家の中のものがどんどん崩れ吹っ飛ぶ。

1発目の揺れが収まり、台所のおふくろを呼ぶ。何とか大丈夫そうだ。
前の道路では、怖がるぷりんを抱ききょとんとしている親父が見える。
台所へ入ろうと手を伸ばした瞬間、2発目が来た。
ドッガンドッガン、ドッガンドッガン…
先ほど同様柱にしがみつき、台所のドアの上を見ると、柱と壁に隙間が見えるほど、激しく踊っている。
『やばい!』
揺れが収まると同時に、おふくろに「また来るぞ!中はやばい!」と叫ぶ。
すると「うごかんねぇ〜」とか細い声が。脳裏によぎるのは食器棚や冷蔵庫の下敷きになった姿。
あわてて台所の戸を開け、中へ駆け込むと、意外にも棚類は斜めだったり移動はしていたりするが、とりあえず突っ立っている。当然中身は散乱しているが、じゃあおふくろは…呆然とだが水盤にしがみつき、ちゃんと立っている。
「早来いや!」と言うと、「行かんねぇ〜」と泣きそうな声。どうやら腰を抜かしたのか、足がすくんでいるのか、どちらにしても怪我は無いようである。
仕方なくおふくろの所まで道をあけながらたどり着き、手を引いて外へ逃げる。

外で見ていた親父の談では、そこらの家という家が踊っていたとのこと。また、あのまま家の中にいたらガレキの下敷きになっていただろうと、ぷりんに感謝している。

幸いかな、ガスも元がすぐ落ち、火はでなかった。村を見渡しても、火の気が上がっている様子はない。
これが大地震であることが認識できてから、すぐに思い浮かんだのは、阪神のあの火災の光景でした。そして、これほど出火が無くて済んだのも、阪神の教訓があったおかげです。

そして外は暗さを増していった…

消防団出動!


避難所で…


仮設住宅?


ぐらつく家


探索


会社