二章 赤の魔法使い

2-1

 キゲイは女の子の背中を追って走る。人のいる所へ出れば、誰かが助けてくれるかもしれない。一番良いのは、ディクレス様達のいる天幕だ。老兵がいる。彼らなら、あんな悪漢、怖くもないはずだ。
――でも、だめだ。
 キゲイはすぐにその考えを打ち消す。この女の子は、石人だ。石人を天幕へ連れて行って、果たして良いものだろうか。
「見つけたぞぅ!」
 大きなどら声に、驚いた女の子がつんのめって転ぶ。速度が出ていたため、彼女は勢いづいたまま、地面に頭から突っ込んだ。後から走っていたキゲイも急には止まれず、女の子に蹴つまずいてしまう。
「ぎゃっ!」
「ご、ごめん!」
 キゲイは女の子をまたいで二、三歩たたらを踏んだ。どうにか立ち止まると、彼女が立ち上がるのを助ける。女の子は、両手と両膝をひどく擦りむいていた。真っ白な肌のせいか、赤い血がひどく目立つ。
 やむを得ないとはいえ、立ち止まったのが悪かった。二人はあっという間に、十人ほどの男達に囲まれる。中には数人、よく見れば女らしい人もいたが、いかつい体と悪党面という点では他の男達と同じだ。皆、ガラクタの銅屑や革の端切れを寄せ集めたような鎧を身に付け、思い思いの武器を革ベルトから下げている。剣やナタ、鋲を打った棍棒や、弓矢などだ。自分の武器を、これ見よがしにがちゃつかせている者もいる。
 キゲイは辺りを窺った。閑散とした路地裏で、人通りもない。大通りの雑踏は、ここからでは遠すぎた。近くの家に開け放しの窓がひとつあったが、キゲイの見ている前で窓はそろそろと閉まってしまう。
「おやおや、よく見りゃ小僧。その格好、地読みのガキじゃないか」
 にやにや笑いを浮かべ、棘のように鋭い髭を生やした大男が、大きな手をキゲイの方へ伸ばしてくる。なぜ彼は、キゲイのことを知っているのだろうか。
――そうか、傭兵だ!
 キゲイはようやく、男達の素性に思い当たる。ディクレス様が雇った荒くれ達だ。東の里長も言っていた。傭兵はたちの悪い連中だから、近づくなと。しかし、向こうから近づいてきた場合、どうすればいいのだろう。
 キゲイは身を引いて傭兵の手を避ける。そしてとにかく誰かに助けを呼ぼうと、大きく息を吸う。その瞬間、大男の手が素早く動いてキゲイの胸を強く殴りつける。キゲイの意識が、一瞬遠くなった。ふらついた体を、後ろに立っていた女の子が支えてくれた。
「まあ! 大人の癖に、子どもに暴力を振るうなんて! 私、こんな悪人、生まれて初めて見た」
 女の子の憤慨する声が聞こえたが、キゲイには彼女の反応がどうもずれている気がして、仕方がなかった。この子は、今がどれだけ危険な状況か、いまさら気づいたらしい。
 傭兵達が輪を狭めて、じりじりと迫ってくる。彼らはキゲイ達を怖がらせて、楽しんでいるのだ。キゲイ達はとうとう、壁際に追い詰められてしまった。ひげ面の大男が再び腕を伸ばして、キゲイをいとも簡単に脇へ突き飛ばす。地面へ転がったところへ、別の傭兵が背中を蹴りつけてきた。キゲイは呻いて、傭兵達の輪から外へ転がり出る。地面に伏したまま振り返ると、女の子が傭兵に取り囲まれているのが見えた。ひげ面が、逃げようとした女の子の襟首を掴んで、子猫のように吊り上げる――。
「お前、エツ族か」
 キゲイの耳にそんな声が入ってきた。顔を上げると、いつの間に現れたのか、こちらを見下ろしている淡褐色の肌をした少年と目があう。少年の瞳の色に、キゲイはびくりと肩を震わせた。炎の色だ。フードからこぼれ落ちる不揃いの前髪が頬にかかっているが、その髪の色も何か奇妙だ。暗い色をしているものの、黒髪などではない。それにしても、少年の視線は相手を射すくめるほどに鋭い。
 キゲイが言葉を失っていると、少年はかがめていた上体を起こす。建物の隙間から覗く青空が、フードからはみ出ていた少年の長髪に重なった。髪は、深い紅に透ける。大人びた顔立ちだが、年はキゲイより一つか二つ上といった程度のようだった。
 少年はフードを跳ね上げ、マントの下から金属の短い杖を持った左手を覗かせる。そしてすぐ脇に背を向けて立っていた傭兵の背を、杖で突ついた。傭兵がけげんな様子で振り返り、目を剥いた。
「や! なんだ、お前は。いつの間に現われた!」
 その声で他の傭兵達も振り返り、赤髪の少年に注目する。防寒マントに身を包んだ粗末な身なりの石人は、彼らにはもう一人の獲物と映ったらしい。ただし何人かは少年の手にある杖を、気味悪そうにちらちらと見ていた。
 キゲイはその隙に、傭兵達から這って離れた。蹴られた背中が痛くて、立ち上がるのが難しい。女の子は相変わらずひげ面にぶら下げられたままだったが、やはり驚いた様子で赤髪の少年へ視線を向けていた。
「その子を離してあげてくれませんか。同族がそんな目にあっているのは、見逃せません」
 赤髪の少年は、非常に真面目な口ぶりでひげ面に話しかける。もっともその左手には金属の杖を軽く握ったままだ。おまけにさりげなく、しかし脅しつけるように、杖の先を傭兵達へと向けている。キゲイを含め、その場にいる者達は皆、この少年が魔法使いであることを知る。
 それにしても、子どもというものは不便だ。若すぎるというだけで、侮られる立場にある。ひげ面が、地面を震わすほどの大きな低い声で少年を笑い飛ばした。
「幸運の女神よ! 今日はなんて気前がいいんだ! 石人の子どもが、二人も捕まえられるなんてよぅ」
「……痛い目にあうまで、分からないんだな」
 少年は呟いて、数歩身を引く。それに呼応して、他の傭兵達が杖を取り上げようと襲い掛かった。魔法使いは、杖で魔法をかけるものだと知られていたからだ。
 少年は思いがけない素早さで、杖をヒョイと横様に放り投げる。まるで犬に棒切れを投げて、取ってこさせるかのように。傭兵達は一瞬、その行動に戸惑った。結局半分が杖を追い、半分が少年を取り押さえようとする。
 杖を拾った傭兵が、ぎゃっと悲鳴をあげてひっくり返った。傭兵は白目を剥き、仰向けになって動けなくなる。小刻みに痙攣する傭兵の手には、杖がしっかりと握られたままだ。驚いた仲間が彼の手から杖を取り上げようとする。すると彼もまた、悲鳴をあげて隣に倒れこんだ。杖を追った他の傭兵達は、倒れた二人の仲間を遠巻きに囲い込み、少年の方へ目を向ける。
 少年はひとり悠然と立っていた。周りには数人の傭兵達が、杖に触れた傭兵同様手足を縮こめて地面に倒れている。彼らは少年を捕まえようと、彼の体に触れたのだ。他の傭兵達は戸惑った表情で、少年を遠巻きにした。
 杖を握ったままの傭兵が、苦しげなうめき声を上げた。彼の体はまだ、ぴりぴりと震えていた。少年はそちらに一瞥を投げただけで、女の子をぶら下げたままのひげ面に近づく。
「その子を離してくれますね」
 言葉は丁寧だが、有無を言わせない口調だ。ひげ面は、女の子を盾にでもするかのように、少年の方へ突き出した。
「仲間に何をしたんだ!」
「今はまだ、痺れさせているだけです。あなたにも触りましょうか」
「危ない!」
 キゲイは叫んだ。傭兵達の数人が、ごつい革ベルトを鞭代わりにして少年に殴りかかってきたのだ。ベルトの留金は当たれば相当痛いだろう。少年は腰をかがめ、右腕を上げて頭を守ろうとした。彼は奇妙なことに、右腕だけに籠手(こて)をはめていた。ベルトの留め金は籠手に当たって跳ね返る。ところが別の革ベルトが彼の横腹を打ち、少年は少しよろめいた。その隙にひげ面は、女の子を脇に抱えその場から立ち去ろうとする。女の子は両手でひげ面の腕をつかみ、両足をばたつかせて暴れる。
 キゲイはすかさずひげ面の大きな革靴へすがりついた。ひげ面はバランスを崩して、キゲイの隣に転んだ。当然女の子も巻き添えになる。ひげ面はキゲイの頭を蹴りつけ、女の子はひげ面の下敷きになって、悲鳴をあげる。
 道端には痙攣する傭兵数人と子ども二人が転がり、事態がどうにも収拾がつかなくなったそのときだ。
「貴様ら! 観念せい!」
 怒った男の声が、路地裏に響き渡った。鞘走りのかすかな音も。背の高い二人の男が、こちらへ大股に近づいてくる。初老の方は、白髪まじりの黄緑色の髪。もう一人の比較的若い男は、灰色の髪をしていた。特に黄緑色の方は、真っ赤な顔をして怒り心頭だ。剣を抜いていたのも彼だ。傭兵達はその剣幕にたじろいだ。
「ま、待てよ! 俺達だって、まだ抜いてねぇんだぞ!」
「ならば、抜け。ここはならず者の町だ。いさかいは当事者同士で解決する。それがここの法だ。だが、抜いた以上は容赦せん。これ以上その方を手荒に扱えば、わしが貴様らをまとめて成敗してくれるわ!」
 黄緑色はそうまくし立てて、ずんずん傭兵達の真っ只中へ入ってくる。彼の持つ剣は見るからに上等で切れ味も鋭そうだった。当然本人も老練の剣士といった風情で、半端なく強そうだ。灰色の方は不気味に黙ったまま、いつでも腰の剣を引き抜けるよう、柄に手を添えて様子を見守っている。
「ううっ」
 場の緊張を裂いて、傭兵の一人が呻いた。金属の杖を握ったまま倒れていた傭兵だ。彼は毒蛇を捨てるように杖を放り投げ、よろめきながら体を起こす。それと共に、痺れて倒れていたほかの傭兵達も、体を起こし始めた。皆、油汗で額をてからせ、足元はふらふらだ。
 黄緑色は凄まじい形相のまま、ひげ面の元へ歩み寄る。ひげ面は男に睨まれ、後ずさる。女の子が走り寄ると、彼は空いている方の腕で彼女を抱き上げた。そのまま剣を傭兵達に突きつけながら、灰色の隣まで戻る。彼は灰色の方へ何事か告げたかと思うと、剣を収め、その場から走り去った。
――ちょっと待って。僕達はどうなるの!
 キゲイは痛みに堪えながら、慌てて立ち上がる。赤髪の少年の様子を窺おうと顔を向け、キゲイは驚いた。
 少年の髪の色が、いつの間にか濃い栗色に変わっていたのだ。瞳の色も、ただの平凡な薄茶だ。そこら辺の人間の姿と変わらない。少年は目深にフードをかぶり、じっと事の成り行きを見守っていた。彼の周りには、革ベルトを手にした傭兵が数人立っていたが、彼らは少年の姿が微妙に変わったことには気づかず、灰色の髪の石人の方に注目していた。
「さて」
 一人残された灰色が、はじめて口を開く。
「そこの子ども達も解放してもらおうか。それとも、石人の魔法を見てみたいか?」
 灰色が、剣の鞘に置いた手に力を込める。
「もう魔法はたくさんだ!」
 赤髪の少年に痺れさせられた傭兵達が、吐き捨てるように叫んで真っ先に逃げ出した。それにつられて、他の傭兵達も我先に走り出す。
「……小僧、後で覚えてろよ」
 キゲイの耳元で、ひげ面が囁く。キゲイは凍りつく。ひげ面はそんなキゲイを置いて、最後に走り去る。後には、二人の少年と灰色の髪の男が残された。
「二人とも、怪我はないか」
 男は地面に落ちていた杖を拾い上げながら、二人に近づいてきた。少年はありがとうと言って、男から杖を受け取り懐にしまいこむ。体中打ち身だらけのキゲイは、ひげ面の捨て台詞に、いまだすくみ上がっていた。
「一体何があったのか、話してくれないか?」
 男の言葉に、少年はキゲイを振り返る。しかしキゲイが何も言わないと見ると、口を開いた。
「師匠に頼まれて買い物をしていたら、この子と、さっきの女の子が悪者に囲まれていたのが見えました。魔法を使って、助けようとしていたんです」
 それから男と少年は、再びキゲイに注目した。キゲイは記憶をたどる。傭兵達と色々ありすぎて、すぐには思い出せなかった。
「そのぅ、ええっと……。女の子が、あいつらのせいで檻に入れられていたから、出してあげたら、追いかけられて、あの子が転んじゃって……」
 思い返してみれば、自分はあんまりロクなことをしていない。転んだ女の子を避け切れずに蹴ってしまったし、ひげ面を転ばせたときには、彼女を巻き添えにしてしまった。あとは地面に倒れたまま、成り行きを見ていただけだ。自己嫌悪に言葉は最後まで続かない。
 男は少年とキゲイに丁寧な礼を述べた。
「できれば君達にお礼ができればいいんだが」
 キゲイはびっくりして首を振る。
「ぼ、僕は、いいんです。あの女の子が助かったんなら、それだけで。それより、こっちの人に」
 キゲイは、隣の少年を見上げる。少年はフードの両端を引っ張って、ほとんど顔を隠してしまう。
「お気になさらずに。私達もあなた方に助けてもらいましたから」
「二人とも、本当に立派だな」
 男は素直に感心してみせる。そんな彼を、キゲイと少年はそれぞれの胸の内を隠したまま窺う。
 男は懐を探り、二人の少年の手にそれぞれ一枚の硬貨を置いた。中央部は透明な紋模様の入った淡い黄緑色の石、外周部を銀が囲んでいる。石には魚のような彫刻、銀には蔦の彫刻がある。
「それは、私達石人の世界で使われる硬貨の一つだ。今日の記念になるだろう」
 二人が礼を言うと、男も再び礼を述べ、大通りの方へと立ち去って行く。キゲイはほっと胸をなでおろす。ところが男の後姿が見えなくなったとたん、キゲイは隣の少年に腕を捕まれ、民家の影に引っ張り込まれた。
「で、お前、エツ族なんだろう。アークラントの」
 少年の髪と瞳は、再びもとの不思議な色に戻っていた。どうも厄介事はまだ終わっていないらしい。キゲイの着ている服は、地読みの民、エツ族の衣装だ。相手がそれと知っているなら、身分を偽るのは難しそうだった。アークラント人からは地読みだの地読み士だのと呼ばれていたから、何だか自分の正体を見破られた気もする。キゲイは自然と身構えた。
「……なんで、僕達のことを知ってるのさ」
「ディクレス殿に、魔法使いとして雇われた。私は石人だが、お前達の味方だ」
「えっ?」
 キゲイは思いがけない言葉に、思わず聞き返す。
「味方って?」
「さっきの石人達の前で、人間に化けて見せただろう? あの少女には私が石人だとばれたが、まあいい。傭兵達の前で、身分を偽るわけにはいかなかった。天幕でまた顔を合わすことになるのだから。私はレイゼルトという」
 少年は無表情だった顔を少し緩めてみせた。キゲイと大して歳は変わらないのに、彼の方が何倍も大人っぽい。キゲイに向けられた炎色の瞳は相変わらず鋭いままだったが、今はどこか温かみも感じさせる。
「僕は、キゲイっていうんだ」
 相手の雰囲気にすっかり飲まれながら、キゲイは恐る恐る答える。
「その、ディクレス様に雇われたって、本当?」
「私は師匠にくっついてここまで来ただけさ。ようやく先王の本隊に追いついたから、会いに行こうとしていた」
「……もし分からなかったら、案内するけど」
「いいや。先王がどこにいらっしゃるかは知っている。ただ、会う前に、すませなくてはいけない用がある。悪いが、しばらく引き受けてくれるか? それほど難しいことじゃない」
 レイゼルトは懐に左手を突っ込み、銀色の薄い板を取り出した。キゲイはそれを受け取る。掌より少し大きめの長方形の板で、片面には驚くほど細かい植物の装飾があり、もう片方はつるつるに磨き上げられている。後ろの景色が歪み一つなく映り、手前に見える埃だらけの自分の顔も、ここまではっきりと見たのは生まれて初めてかもしれない。
「これもしかして、鏡っていうやつ?」
「魔法の、な」
 レイゼルトが短く付け加える。キゲイは鏡を表裏よくよく観察するが、魔法がかかっている気配はない。
「それ、預かっててくれないか」
「どうして? 大事な物なんじゃないの? それに随分高そうだよ。もし失くしたら」
「先王にお会いするとき、魔法使いが杖以外の魔法の品を持っていたら、取り上げられてしまう。だから、暫く預かって欲しい」
 レイゼルトは簡単に答える。
「構わないか? その鏡には魔法をかけておいたから、失くす心配はない」
 レイゼルトが強い視線をじっと据えたので、キゲイはたじたじとなった。レイゼルトの瞳はその燃えるような色のせいか、鮮烈な印象を相手に焼き付ける。この目はどうにも苦手だ。キゲイは相手の言葉に納得したというより、視線から逃れたくなって、もぞもぞと答える。
「ディクレス様は、人が大事にしているものを勝手に取り上げたりはしないと思うけど……、でも、ちょっとの間くらいなら、預かってもいいよ」
「ありがたい。頼んだぞ」
 レイゼルトは答えて、ぐらついていた右腕の籠手のベルトを左手で器用に締め直す。キゲイは首をかしげた。
「どうしてそっちの手にだけ籠手なんかはめてるの」
「小さい頃に間違いをして、右手を失くしてしまった。義手の代わりだ。お前も石人世界に入ったら、得体の知れないものに、むやみやたらと触れたりしない方がいいぞ。こんなになるからな」
 キゲイは身震いをした。石人の世界は、考えている以上に怖い世界なのかもしれない。
「その鏡、誰にも見せないようにしておいてくれよ。高価なのは確かだから。私は、ディクレス殿に会いに行く。また後で会おう」
 レイゼルトはキゲイに頷くと、大股で町外れへ歩き出す。傭兵に革ベルトで殴られた所が痛むのか、脇腹をさすりながら。