風邪と、彼と、誕生日。





     早朝や夜がだいぶ冷え込んで来た、季節も秋から冬に移り変わろうとする時季に差しかかったある日。

     「……コホ、コホ、ゴホッ」

     先程まで行っていたロードワークで、外気の刺すような冷たい空気を肺一杯に吸い込んで来た一歩は、呼吸を整えながら少し咳込んだ。
     早いもので、もう来月には年の瀬に入ってしまう。
     今年も色んな事があったなぁ…と、一歩は感慨深くなった。

     「んだぁ、一歩。風邪かぁ〜?…お前無理するから、気ぃ付けろよ?今年の風邪は喉にくるらしいぜー?」

     今しがた来たのか、一歩がロードに行く前にはいなかった木村が、帰ってきた一歩に話しかけた。

     「あ、木村さん。ただいまですー。あは、大丈夫ですよ!ちょっと咽ただけなんで…」

     そうかぁ〜?と一歩の顔を覗き込むと、木村はポンポンと一歩の頭を叩いた。

     「ま・大丈夫なら良いんだけどよ。―――所でお前、確か明日…、誕生日だったよな?」

     鏡の前でシャドーを始めようとした一歩に、木村がこれが本題と言うべく話を続けた。

     「あ、そ、そうなんです…。木村さん、覚えててくれたんですか?」

     「まーな。こう見えてもオレ、記憶力だけは良いんだぜ?」


     親指だけ立てて、自分を指差すと木村はフフン、と自慢気に返した。
     流石、そういう事に対しては(特に女性に対して)マメな木村だけあって、一歩の誕生日は記憶済みだ。
     それでなくても、一歩の誕生日は11月23日の勤労感謝の日。あまりにも一歩らしい祝日なので、忘れる訳はないのだが。

     「それでな。優しい先輩と可愛い後輩が、お前の誕生日を盛大に祝ってやろうじゃないか!!
     …というコトになったので明日の夜、開けといてくれよ!時間は7時。…場所はシュガーレイだかんな!!当日は、青木も板垣も来るからよ」

     「は、はい。分かりました!!ありがとうございます!!」

     「……あ、あとな。オレ達先輩からは、特別のプレゼントも用意してあるから、それも楽しみにしてろよ!!!」

     そう最後に付け加えて用件を済ますと、木村はバンテージを巻く為、ベンチの所に行ってしまった。



     「うわぁ〜…、お祝いかぁ…。へへ、嬉しいなぁ…。それに、特別なプレゼントって…何だろう…?」

     こうやって誕生日を他人からお祝いをしてもらえる事など殆ど無かった一歩にとっては、『お誕生日会』為るものが実は密かな憧れでもあった。
     明日の事が楽しみで、一歩が再開したシャドーは非常にゆるゆるになってしまい、そこをタイミング悪く、丁度地下から上がって来た会長に目撃され、

     「…何じゃ小僧!その浮ついたシャドーは!!もっと集中せんか!!!たるんどる!!ええい、すぐにミット打ちを始めるぞ!」

     「え?ええー!!…はッ、はい!!」 

     と、雷を落とされてしまった。









     「なーにをやってんだ。アイツは…」

     会長と一歩とのやり取りの様子を横目で見ながら、今度は鷹村が鴨川ジムにドカドカと入ってきた。

     「あ、鷹村さん。ちわっース」

     一歩は先程の浮つき加減から、どうやらこれから会長にみっちりしごかれるようで、リングに上がり始めていた。
     そんな様子に背を向けて、鷹村は木村に話し掛けた。
     リングから鷹村たちの居る場所は少々離れていたので、ここから二人が話している事は一歩には分からない。



     「おぅ、木村。…明日のコト、一歩に言っといたか?」

     「ええ、今さっき。……所で…。プレゼントの件…、…良くその気になりましたね?」

     「ふん、オレ様がわざわざセッテイングしてやったんだから、それが当たり前だろう!!」

     「とか言って、どうせ何か嗾(けしか)けたんでしょう?アンタのコトだから…」

     「お、良く分かったねぇ。木村クン!」

     「やっぱりそうだったんスね…」



     ……と、二人が何やら話している事も、会長とミット打ちを始めた一歩には知る由も無い事だった。














     「それじゃあ、お疲れ様でしたー!」

     「おう!!じゃー、明日な」

     「お疲れ〜。一歩、時間忘れんなよー!」

     鷹村、木村よりも先にジムから上がると一歩は、はやる気持ちを押さえながら自宅へと向った。
     ジムを出ると、ぴゅうっと北風が一歩に向って吹いてきた。
     行き交う人々もこの寒さに家路を急いでいる様子で、何処か足早に感じられる。
     足元に散らばる、木立ちの色取り取りの枯葉を柔らかく踏みしめながら、一歩はブルゾンの襟を立てた。



     「う〜っ、…寒い…。早く帰ろうっと…」

     夜風が冷たく一歩の頬を掠めていくと、一歩はまた何回か『コン、コン』と咳をした。
     それは、一歩が自宅に帰り、床に就いてから深夜までの間に、何回か繰り返された。
     一歩は咳込む度に息苦しさを多少感じたが、あまり気にせずに就寝してしまった。


     だがしかし。
     どうやら、その咳は曲者だったらしい。













     翌日、一歩はしっかりと風邪をひいてしまっていた。

     昨日より咳は収まったものの、いつも起きた時には感じない、身体全体を覆う倦怠感に一歩は、
     日課になっているロードワークに今日はまったく行く気になれなかった。
     おまけに三半規管もおかしな様子で、一歩の耳の中で嫌に変に濁って響いている。
     何より、起きた時から一歩は喉が痛くて痛くてしょうがなかった。
     木村の言う通り、今回の風邪は喉に来るらしい。
     起きてきた一歩の様子と、息子の『おはよう』と言う鼻声に対して、一歩の体調がなんとなくおかしく感じた寛子は、
     やや赤い顔をした一歩を見て、救急箱から体温計を差し出した。
     水銀の体温計は37.8℃。ものすごく高い熱ではないが、とても平熱とは言える体温でもない。身体のだるさと喉の痛みもあってか、寛子には

     「これは風邪ね…。無理したらますます酷くなるから、今日は仕事もジムも休みなさい」

     と、一喝されてしまい、結局一歩は布団にまた逆戻りになってしまったのだった。









     「…はい、はい。そうなのよ、今日になったら急に…。迷惑掛けてしまって本当に御免なさいねえ…、わざわざあの子の為にして下さったのに…。
     他の皆さんにも、そう伝えておいてもらえるかしら。…ええ、それじゃあ…」

     廊下から、チンと受話器を置く音が聞こえた。それから、自分の部屋に向って歩いてくる寛子の足音。
     寛子の来る方に向ってごろりと寝返りを打つと、それに合わせて頭の下の水枕の中の氷が、がら、ごろと動いた。

     「一歩、木村さんに連絡しておいたわよ。…お大事にって。
     それからお祝い、回復したら後日に…ってコトにして下さったわよ。アンタもジムに行ったらお礼言っておきなさい」

     「…ありがと、母さん。……ゴメン、今日の仕事手伝えなくて…。皆にも悪い事しちゃったなぁ…」

     こんな時まで気を使う我が子に、寛子はどこからか持って来た、朱と橙色の縞模様の半纏を一歩の掛け布団の上に掛けて、こう言った。

     「う〜ん、板垣くんも今日はお休みなのが辛い所だけど…。今日のお客様は常連さん達だから、一人でもこなせないコトは無いし、大丈夫よ。
     そんなコト気にしないで、ゆっくり休みなさい。それから寒くない様に、起きた時はそれ着てなさい」

     掛け布団をもぞもぞと鼻まで被ると一歩はもう一度寛子に、『…ありがとう』と言った。
     寛子はそれに少し微笑んで、『それじゃあ、何か消化の良いものを作るわね…』と言って台所にと向かって行った。
     水枕のひんやりとした冷たさが一歩の身体に心地良く染み込んできて、一歩は少しまどろんだ。


     暫くしてから、一歩はお粥の匂いと、寛子の『…食事、食べられるかい?』と言う声に目を覚ました。
     幸い、食欲はあまり落ちていなく、胃腸の方はしっかり大丈夫だったので、一歩は寛子の作ってくれた、鳥の出汁のネギと生姜の全粥を食べた。

     「病院が開く時間になったら、薬貰って来なさい。早くに飲めば、早くに良くなるから。それと、良く寝るコト」

     食べ終わった食器を片付けに来た寛子にそう言われて、一歩は

     「…なんか、こんなに母さんに面倒見てもらって、まるで子供の時に戻ったみたい」

     と、言うと。

     「何言ってるの、自分の子供は幾つになっても子供ですよ。例え22歳になったとしてもね」

     と、寛子にふふふ、と笑われてしまった。






     寛子の作ってくれたお粥を食べて少し元気が出たので、それから一歩は寛子の言う通りに、病院に行って風邪薬を貰って来た。
     病院の待合室に居た時、一歩は自分の周りをぐるりと眺めた。
     どうやら木村が言っていた事は本当にまったくその通りで、
     マスクをしている人、していない人。子供、大人。男性、女性関係無く、風邪でかかりに来た事を伺わせる人は皆一様に咳をしていた。

     (―――これは…、ジムに行くよりも病院に来た方が具合悪くなりそうな…。…それにしても、こんなに風邪、流行ってたんだ…)

     と一歩が思う程、風邪引きの人は多かった。

     昼過ぎになると、寛子は今日の釣りの予約の為その準備を始め出した。
     その姿を済まなそうに思いながらも、一歩は寛子の作った根菜類と鶏肉の雑炊を食べて、薬を飲んで布団の中に居た。




     「それじゃあ、一歩。……悪いけど仕事に行って来るわね。夕飯の分は作ってテーブルに置いてあるから、食べる時には温めて。
     スポーツドリンクやお水は、枕元に置いておくから、喉が乾いたらちゃんと水分補給しなさいね。」

     寛子はパタパタと忙しなく動きながらも、一歩の部屋を覗き込んでこう言った。

     「うん、ありがとう。母さんも気をつけてね、行ってらっしゃい」

     ガラガラと玄関の戸の開く音がする。寛子がこれから仕事に出掛けるのだ。
     その後に、寛子が玄関先で誰かと話している様な声がしたが、集まって来た常連さん達と話でもしているのだろうと思い、
     余り気にも留めずに、一歩は目を瞑った。





     それにしても、今日はなんてついていないんだろう…と一歩は思った。
     折角の自分の誕生日に風邪を引くなんて、間抜けも良い所で。

     やはり自分の生まれた日に、誰かから祝いの言葉を掛けてもらえるのは、それだけでも嬉しい。と、一歩は思う。
     それなのに自分は今、具合が悪くて布団の中で過ごしている。
     誕生日だからと言って、別段何かが変わる訳ではないし、お祝いなら風邪が完治してからでもやってもらえる。
     それは分かっていても、自分にとって意味のあるこの日に、こんな閉鎖的な空間に閉じ込められていて。
     それが何だかすごく寂しくて。
     母親も出掛けてしまった自宅は、シンと静まり返って、カチコチと無機質に時を刻む時計の秒針の音だけが響いている。
     それはまるで、世界に自分たった一人しか居ないような気持ちに一歩をさせた。

     そう、これは虐められていた高校生の時のような、気持ち。
     誰とも交えず、誰とも打ち解けられなかった、独りぼっちのあの頃のような。
     こんなつまらない被害妄想を抱えてしまう自分に、一歩は自嘲気味に微笑った。

     誰も居ない自宅に寂しさを感じて眠ってしまおうと思った一歩であったが、目を閉じてもどうにも寝付けず
     仕方が無く一歩は、目を瞑ったまま寝返りをゴロゴロと何度も何度も打っていた。











     ふいに、閉じた瞼の中に見覚えのある人物が浮かび上がってきた。
     瞼の裏の黒い闇にゆらりと浮かぶその人は。
     見慣れた黒いスポーツウェアの、艶やかな黒い髪と、燃えるような強い力を持った漆黒の瞳の、彼。

     その彼が、自分に向って穏やかに微笑みながら何かを言っている。
     彼のこんな表情は、とても珍しくて一歩はドキドキした。
     所が彼の言葉は自分の所まで届かず、彼の唇から零れ落ちる言葉は、サラサラと自分達の間の空気に溶けていくだけ。
     一歩はもう一度その言葉を聞こうと、『何?何て言ったの?』と口を開いた途端。
     彼の人は、瞼の中の闇に馴染むように消えて行っていってしまった。





     『ま、待って!』

     『み や た く ん 』



     一歩が心の中で叫んで瞼を開けると、世界は一瞬にして動き出した。
     何時の間にか一歩は転寝をしていたようで、寝返りを打った後からの記憶が途切れ途切れになっていた。

     瞼を擦ってもう一度瞬くと、ぼやけて曖昧だった世界が、緩やかに段々とかたち創られていく。
     先程聞いていた時計の秒針だけが、何も変わらなく一定のリズムでその音を刻んでいる。
     自室の古びた天井からぶら下がっている蛍光灯の明かりを直に下から見てしまい、
     その眩さに目を細め、掌を自分の顔の前に翳すと一歩は小さく、小さく呟いた。

     「……宮田くん…、…会いたいよ…」



     それは所謂、病に臥せっている者が見せる弱気な発言で、それは独り言のつもりで呟いたものであったのだが。

     「…ん…?…起きたのか…?」

     蛍光灯の明るさを遮る様に自分の視界に入ってきた、今一歩が呟いた名前の張本人、
     一歩の憧れであり、ライバルでもあり、――――一歩が密かに想い続けている相手、宮田一郎が今、一歩の顔を覗き込んでいた。






     一歩の心臓が止まりかけた。いや、寧ろ一瞬止まった。





     今の自分の発した言葉を、宮田が聞いていたかと思うと、一歩は恥ずかしくてその場から逃げたくなった。

     ああ、これはきっと自分に都合の良い夢だ。夢なんだ。そうに違いない。
     そもそも、何故彼が自分の家に居るというのだ。やはりこれは夢だ。一歩はこれは夢だと思う事にした。
     ならばもっと、自分の都合の良いようにこの夢の続きを見ようと思い、一歩はもう一度瞼を閉じて眠りに就こうとした。

     が。





     「……おい!人の顔見た途端に、また寝ようとすんな」

     上から聞き覚えのある声が降って来る。
     少し低めの、やや不機嫌そうな声。
     ああ、これは間違い無く彼の声。

     ――そして、これが夢でないという事が、自分の左頬をぐにーーーーーと引っ掴んだ宮田の手の感触と、
     鈍く響いてくる頬の痛みで、やっとの事で一歩は気が付いた。

     「ち、違うよ!これは夢かと思って…、…って言うか、何で宮田くんがココに居るの!?
     それに…、…酷いよう…。ほっぺた掴まなくても良いじゃないかぁ…」

     宮田に思い切り掴まれた訳ではなかったが、一歩は大げさに自分の頬を擦ってみせた。
     それに対しての宮田の理屈は。

     「何だよ、…オレがお前の家に居ちゃ悪いのかよ?それになぁ!お前の頬は柔らかそうで掴みやすいんだよ!!」

     何だか良く分からないものだった。





     先程の騒ぎが取り敢えず落ち着くと、一歩は半纏を肩に掛けて起きあがり、詳しい話を宮田から聞いてみた所。
     どうやら、先程自宅の玄関先で寛子と会話をしていたのは宮田だったらしく、
     自分はこれから仕事で出掛けてしまうが、良かったら息子の所に寄ってやって頂戴…と言うような会話の内容だった。
     一歩は一歩ですっかりいじけてしまい、自分の世界に入ったきりになっていたので
     宮田が一歩の自室まで来ていた事に、全然気が付かずにいたのだった。
     思いも掛けない人物の来訪に、一歩は驚きを隠せずにいたが、独りぼっちだった世界の中に彼が入ってきてくれたようで、とても嬉しかった。

     「あ、お茶も出さないでごめん…。今、淹れて来るね」

     「良いよ別に…、それよか大人しく寝てろ。…お前病人なんだから、変に気ぃなんか使うなよ」

     言葉はぶっきらぼうだが、その語感にはどこか優しさが感じられて、一歩は胸の奥が暖かくなってゆくのを感じた。

     「…何、ニヤニヤしてるんだよ?変なヤツ…」

     「え、えへへへ…、気にしないで…。あ・そうそう宮田くん、…ボクに何か用事があったの?」

     「―――用って言う訳じゃねえけど…。…お前、今日…」

     と宮田が何か言いかけた途端、一歩の腹の虫がぐぅうううう〜と鳴り出し、思いっきり話の腰を折ってしまう結果になった。
     『宮田くん、あの、ちょっと待ってて…。御飯食べて、薬も飲んでくるから…』と、寛子が作ってくれた夕食を台所で食べてこようと
     真っ赤になった一歩を『ここに居ろ』と制すると、宮田は一歩に台所の場所を聞くと「ちょっと借りるぜ」と言って台所に行ってしまった。


     程無くして戻ってきた宮田の手には、お盆が乗っており、その上には一人用の土鍋が乗っていた。

     「オフクロさん、全部用意しておいてくれたんだな。ホラ」

     一歩の布団近くの畳の上にお盆を置くと、宮田は電子レンジで温めて来た土鍋の蓋をパカ、と開けた。
     ふわんと鰹節と醤油の良い匂いの湯気が一歩の部屋に広がった。
     中は、鰹節と卵と三つ葉のおじやだった。

     それを蓮華で掬うと、宮田は徐に一歩の前にずいと突き出した。一歩の目の前で、それはホカホカと湯気を立てている。

     「……え?…何、宮田くん…」

     差し出された蓮華の意味を、一歩が図りかねていると。

     「喰え」

     と、宮田はまた一歩に蓮華をずずいと近付けた。
     どうやら宮田は、病人の一歩を労わって(いるつもりらしく)夕飯を食べさせてやる気らしい。
     しかも、この食べさせ方は世間一般で言う所の『はい、あ〜んv』と言うヤツだ。
     宮田の、なんとも大胆な申し出に一歩は、
     (宮田くんにこんな事してもらえるなんて、やっぱりコレは夢かも…)
     と、天にも昇りそうな気持ちになったのだが。

     しかし。

     「あの〜、…宮田くん…。せめて少し冷ましてから持って来て欲しいんだけど…」

     一歩は極々まともな事を言っている。間違ってはいない筈、だ。
     TVや漫画などで見ても、食べさせる側の人物が食べ物を冷ますのが普通なのだが。
     だがしかし、この世間一般で言う所の『はい、あ〜んv』を宮田が出来るかと言えばそうでもなく。


     「うるせぇ、いつまでオレに持たせとくんだ!!早く喰え!オレだって恥ずかしいんだよ!!」

     と、耳元を真っ赤にして逆ギレされてしまった。

     (恥ずかしいのなら、やらなきゃ良いのに…宮田くん…。でも、どうしてしてくれるのかなぁ…)
     と思いつつも口には出さずに一歩は差し出される蓮華を、自分でふぅふぅ冷まして食べるという、何とも可笑しな『はい、あ〜んv』と相成った。

     「……ご馳走様でした」

     「おう」

     無駄に疲れた夕餉だったような気もしなくもなかったが、土鍋の中は空になり、
     一歩は枕元に置いてあった薬袋から薬を一回分出すと、それをミネラルウォーターで飲み込んだ。
     宮田は食器を洗いに、また台所まで戻って行った。

     食器を洗い終わったのか、宮田は一歩の部屋に戻ると開口一番に。

     「……じゃあな、オレ、そろそろ帰るわ。あ、後コレ、やるよ」

     と言いながら、黒のベロアジャケットを羽織ると、一歩に自分がバイトをしているコンビニのロゴ入りのビニル袋をガサガサと手渡した。

     「……?…これ、何?宮田くん??」

     先程からの宮田の突拍子のない行動に一歩は、『?』を出しまくりだ。

     「……見舞い。――じゃな」

     袋の中身は、あちこちのメーカーの喉飴が数種類入っていた。


     それを見た一歩は、宮田が自分の見舞いに来てくれていたという事に気付き、宮田を急いで追い掛けると、

     「あの、宮田くん…。今日は…色々と、ありがとう。その…お見舞いに来てくれて…」

     既に玄関の外に出ていた宮田を追おうと、一歩はパジャマの上から半纏を着、サンダルを履いて表に出た。
     十一月も終わりに近付いてくると、流石に夕方も寒くなってくる。
     一歩は白い息を吐きながら、宮田が今日自分を見舞ってくれた事に礼を言った。寒さの所為もあるかもしれないが一歩の頬が少し、赤くなった。

     「ああ、…まぁ…そう言うコトにしといてやるよ…。…それより、外、寒いからもう中に入ってろよ。又、風邪引くぜ?」

     何か含みを持たせるような曖昧な返事に、一歩は小首を傾げた。
     スッと伸ばされた宮田の指先に他意はない事は分かっていても、一歩はどうしてもドキドキしてしまう。
     それを知ってか知らずか宮田は、一歩の赤くなった頬を指先で掠めながら、一歩の額に軽くデコピンを食らわした。

     「痛っっ!」

     額を両手で押さえた一歩に口の端だけ持ち上げて、ふ。と笑うと、宮田は

     「早く、治せよな」

     と言って、幕之内家を後にした。
     宮田はただ見舞いに来ただけであって、今日が自分の誕生日だとは知らないだろうと一歩は思った。
     それでも、一歩は今日のこの特別な日に宮田に会えた事がとてもとても幸せで、それだけでもう十分だった。
     だから、一歩は気が付かなかったのだ。

     どうして宮田が、一歩が風邪を引いている事を知っていたのか。と言う事を。















     それから三日後。

     一歩は鴨川ジムで元気にサンドバッグを叩いていた。
     しっかり食べて、しっかり薬を飲んで、しっかり寝たお蔭か、一歩の風邪はみるみる回復して大分本調子に戻ってきた。
     久し振りのジムに、一歩は休んでいた分の練習を取り戻すべく、思い切りサンドバッグを叩いた。
     ガッシャガッシャと、サンドバッグは久し振りの一歩を迎え入れているのかのように激しく縦に揺れた。

     「ひゅー、気合入ってんなぁー。その調子ならもう大丈夫だな、一歩!
     じゃあ、風邪完治と誕生日祝いは今日の7時から決行と言うコトで」

     「おぅ、虚弱くん2号。今日は延期になった分、オレ様の熱唱を聞いてもらうからな!」

     珍しく、鷹村と木村が一緒にジムに入って来た。

     「あ、鷹村さん!木村さん!こんにちは!!…この間はスミマセンでした…。やっぱりあの咳、風邪みたいでした…。
     でも、もうお陰様で大分良くなりましたよ!今日、楽しみにしてますね!!」

     ペコリ、とお詫びをすると一歩はまたサンドバッグに向かおうとした。
     所が、それを木村の済まなさそうな声が一歩を止まらせた。

     「……あのな、一歩。実はこの前話してた『特別なプレゼント』ってヤツなんだけど…。…悪ぃ!!あれ、『特別』じゃないものに変更になった!」

     両手をパン、と合わせて木村が謝ってきた。

     「――え?どう言うコトですか?それにボク、『特別のプレゼント』が何かも分からないからどう変わったのかも…」

     一歩はまだ、話の内容が良く見えていないようで、木村がスマンと謝っている事も、何に対しての謝罪なのかちっとも分からないでいた。

     「それはオレ様が説明してやる」

     ずい、と鷹村が木村と一歩の間に割って入って来た。

     「折角の誕生日だからな、一歩くんに“ドキッv憧れの宮田くんと過ごすト・キ・メ・キ誕生会☆”をやってやろうと思ってたのによー!
     宮田のヤツにも話を(無理矢理)付けさせて、出席させるつもりだったってーのに…。延期のコト話したら…」
     と、そこまで言うと、鷹村は急に斜に構えたポーズを取り腕組をして、ツンとした態度で

     『オレはそこまで付き合う義理はないですよ』

     と微妙に似ているようなそうでもないような物真似をした。

     「…の一蹴でしたからねえ…」

     横から鷹村の続きを木村が話し出した。

     「おまけに宮田、今日は夜にバイト入れてるらしくて完璧無理みたいっすからね…」

     「『じゃあ、23日の日だけなら、付き合っても良いですよ』…って話付いたのも、
     まさかこれ見越して言ってたんじゃねぇだろうな…。恐るべし、宮田…。くそッ、バイト入れてなきゃジムか家で待ち伏せて拉致って来ても良いんだが…」

     「……鷹村さん、それはいくらなんでも犯罪っスよ…」

     自分に向って二人が話していた事が、何時の間にか鷹村と木村のやりとりになってしまった会話を、
     一歩は先日の宮田の台詞を思い出しながら、しっかりと聞いていた。

     
     と言う事は、一歩の誕生日が23日だったと知っていたわけで。






     それじゃあ、風邪を引いた自分に見舞いに来たと思っていたのは。









     …オレがお前の家に居ちゃ悪いのかよ?

     変に気ぃなんか使うなよ

     ―――用って言う訳じゃねえけど…。…お前、今日…

     喰え

     オレだって恥ずかしいんだよ!!

     ……見舞い。

     ああ、…まぁ…そう言うコトにしといてやるよ…。

     早く、治せよな










     意地っ張りでぶっきらぼうな彼が一歩に見せた、あれは精一杯の優しさ。
     それは、一歩が『病人だから』という訳ではなくて。

     一歩の頭の中で、彼のあの時の言葉が何度も何度もリフレインする。














     「……ん、一歩どうした?お前、顔赤いぞ!やっぱりまだ治ってないんじゃ…」

     一歩の顔が、みるみる朱に染まってゆくさまに木村は心配した。

     「え!?あのっ…いえ、これはその…。…兎に角、風邪はもう治ってますから!!大丈夫です!!!」

     一歩は首をブンブンと思いきり横に振ると、しどろもどろになりながら否定した。

     「な〜んか妖しいなぁ…一歩クン?どれ、その辺は祝いの席で聞かせてもらおうか?」

     鷹村が一歩の頭にヘッドロックを掛けながら、厭らしい微笑を向けてきた。

     「本当に何でも無いですからーーー!!」










     一歩が転寝の中で見た瞼の中の宮田は、きっと素直になれない彼の人の代わりに、

     『誕生日、おめでとう』

     と言っていたに違いない。







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     2004.11/21〜11/27公開  一歩誕生日祝いSS 加筆修正の後サイトに再UP。


     一歩は宮田くんだけでなく、皆に愛されている様に思います。
     皆のアイドル的存在と言うのが、私の理想の一歩です。
     …なので宮一で書いていたつもりが、寛子さんにも鷹村さんにも、木村さんにもえらく可愛がられている様になってしまいました…。
     そして微妙に鷹木っぽい?

     一歩の誰からも好かれて愛されるという事は一種の才能ですよね。(これこそ主人公!)

     一歩、お誕生日おめでとう!