からまわる。最終章
あの衝動に任せたキスから、一週間が経った。
あれから、幕之内からの連絡は一度もない。
勿論あんな事をしてしまったこちらからも連絡は出来ず、平行線のままだ。
アイツの事を気に掛けながらも、日々は廻っていく。
いつも通りの練習メニューも終え、ジムから出たところでマナーモードを解除した携帯を開き着信履歴を見る。
今日もアイツからの電話は――――、ない。
このまま、幕之内との関係を壊したまま一ヶ月、二ヶ月と過ぎていってしまうのかと溜息を付いたその時―――。
携帯の着信を知らせるランプがチカッと光り、電子音が鳴り出した。
画面表示を見ると、そこにはアイツの名前が。
慌てて通話ボタンを押すと、矢庭に相手に話し掛ける。
「……もしもし」
「―――宮田くん…、久し振り」
「…ああ……」
たった一週間なのに、もうずいぶんとアイツの声を聞いていないような気がする。
受話口から聞こえてくる幕之内の声は、弾んでいるわけでもなく、かといって沈んでいるわけでもなく、淡々としていて感情が読み取れない。
「……あのね…。…今日これから…、…会えないかな?」
普段、電話を掛けた当日に会う約束をする事などアイツはまずしない。
この状況から言っても、アイツはオレに何か重大な話をするつもりだろう。
「…いいぜ、分かった。――――河川敷で待ってる」
電話を切って携帯の液晶画面の時計を見る。
「一時間後か…」
覚悟を決めると、オレはポケットに携帯をしまい込んだ。
街道を横切り、土手に続く石段を上がる。
見下ろしたグラウンド場には、もう人の姿は無く、人通りがまばらになって来た土手道で、オレはアイツを待った。
夕風が静かに、青草や川べりに生えた葦の葉を揺らす。
頬に当たる湿り気を帯びた空気は、近づいて来る梅雨の到来を感じさせた。
ふ、と空気の流れが変わった気がして振り返ると、少し離れて真っ直ぐにこちらを見ている幕之内がそこに居た。
「……こんばんは」
「―――よう」
月並みな挨拶をお互い交わしたものの、その後に続く言葉がオレもアイツも出てこない。
少しの沈黙を置いて、アイツが唇を動かした。
「この間は……、逃げてゴメン」
何と言われても仕方がないと覚悟していたオレに、幕之内は謝罪の言葉を口にした。
「いや…、オレの方こそ…突然あんな事して…悪かった」
その言葉につられるようにして、オレも素直に言葉が口を衝いて出ていた。
それが切っ掛けになったのか、アイツが一歩、二歩とオレに近付いて来た。
オレとアイツの距離は、手を伸ばせば届く所まで縮まった。
近距離からオレを見るのは恥ずかしいのか、幕之内は伏目がちになりながら言葉を続けた。
「……ボク、おかしいんだ」
「宮田くんの事、憧れで、目標で、おこがましいけど…ライバルだと思ってて、でも、出来れば友達になりたいなぁ…って、ずっと思ってた」
「……けど」
何か言いにくいのだろうか、アイツは途中で言葉を言いよどみ視線を彷徨わせ――、そしてわずかな迷いの後、意を決して続きを話した。
「………宮田くんと友達として付き合うようになってから、胸がドキドキして、苦しくなって」
「時々、胸の奥の方がギュッと締め付けられるようになるコトもあって…。」
オレは心臓の鼓動が早くなるのを感じた。それは、それって言うのは。
俯いていた幕之内の瞼がギュッと瞑られ、Tシャツの裾を両手で握り締める。
「…宮田くんに……キ…、キス、された時も…」
「ビックリはしたけど――、」
「…嫌、じゃなかった」
「―――――――!!!」
その言葉を聞いたオレは、全身が心臓になったみたいに脈打った。
「でも、そう気付いた途端、宮田くんの顔が見れなくて―――…」
頬を赤くして俯いている幕之内に、地面を踏みしめ近づく。
砂利を蹴る足音に、アイツはふいと目を開けた。至近距離でオレと目が合い、音が出そうなくらいに幕之内は真っ赤になった。
ああ、やはりコイツは鈍感世界チャンピオンだ。
「なぁ、……それって…」
「オレのコト」
嬉しさなのか、緊張なのか、オレの唇が不覚にも震える。
「…うん」
恥ずかしそうに、遠慮がちに。
それでも凛とした意思を持って、アイツはオレが一番欲しかった言葉をポトリ、と落とした。
「すき、なんだ」
消え入りそうな小さな声だったが、オレにはその精一杯なアイツの言葉が、とても良く聞こえた。
照れて下を向いてしまった幕之内が愛おしくて、オレはアイツに手を伸ばすと頭を抱え込んで思い切り抱きしめた。
「みっ!?宮田くんっ…!?何を…って、苦し…っ。そ、それにここ――、道の真ん中…!」
「人なんか大して通らねえよ」
そんな事構っていられるか。
やっと、やっとお前が手に入ったんだ。
両手をバタバタ動かしてもがいていた幕之内を力いっぱい抱き込むと、次第にアイツは大人しくなった。
脇を過ぎてゆく自転車や通行人は疎らにしかいなく、この状況を見ても、友達同士のふざけ合いとしか見られていないようだった。
こんな時に、友達と言う言葉が役に立つなんて本当に皮肉な話だ。
「お前…、鈍すぎ」
オレは笑いたいのを堪えて、抱きしめたまま幕之内の耳元でそう呟いた。
抱きしめられたまま両手を降ろしていたアイツの腕がオレの脇の下にまわり、遠慮がちにオレの背中を握り締めた。
「…ゴメン」
夕焼けに染まる六月の土手は、昼の青さと匂いを残したまま二人をその背に乗せていた。