wild berry.





     「―――じゃあ、明日の10時に。……うん。うん、じゃあ」

     チン、と受話器を置くと一歩はふぅ…。と、深く溜息をついた。
     久方振りの逢瀬に、一歩の心は嬉しさに浮き足立ちながらも、微妙に落ち込む…と言う、非常に器用な事をやってのけていた。
     やっとの事でお互いの休みが重なったので、明日は宮田と久々に外に出掛ける事になった。
     まぁ俗に言う、『デート』と言うやつである。

     宮田と一歩が付き合い出してから、半年が過ぎようとしているにも係わらず、『デート』と名のつくものは、まだ片手で事足りるこの二人。
     お互い、肩書きがフェザー級の、『東洋チャンピオン』と『日本チャンピオン』では仕方の無い事なのかもしれないのだが。





     ずっと、一歩は宮田に対するその想いを胸の内に仕舞いながら、彼を想い続けていた。
     彼を、彼だけを想い続けて、四年経った冬の寒いある日。

     その日は朝からどんよりと雲に覆われている陽気で、午後から急に冷え込みが強くなり、ちらちらと雪が降り出す程だった。
     降ってくる雪を見ながら一歩はぼんやりと彼―――、宮田の事を考えていた。
     一歩にとって『雪』は、宮田との大事な思い出を起こさせるものだ。

     確信と呼べるものは何一つ無かったけれど、一歩はあの場所に宮田が居るような気がして。
     どうしても、……どうしても。あの場所に行かなければいけないような気がして。
     気が付けば一歩は、あの防波堤のある海岸線に歩みを進めていた。


     一歩が寒さに鼻を赤くし、息を吐いて冷たい空気を白く煙らせながら、あの場所まで行くと。





     ――――やはり彼は、そこに、居た。


     ……そして。普段はあまり笑わない宮田がその時、一歩に向って静かに微笑うと、こう言ったのだ。


     「……三度目、だな」



     これを運命と呼ぶには、些かロマンチシズム過ぎるかもしれないが、その事が、一歩の背中をほんの僅かだか、後押しした。
     『想っているだけで、良いんだ』と言う一歩の気持ちを、少しだけ、欲張りにさせた。
     ――――今思うと、それだけの勇気がリングの中でもないのに良く出たものだ、と一歩自身も驚いているほどだった。






     「……ボク…。…宮田くんが…、……好き、なんだ…」


     気付くと一歩の唇は、自然と言葉を紡いでいた。
     そう言われた瞬間、宮田は少し目を見開いてから、静かに瞼を閉じると。

     「……ああ……」

     と一言だけ短く、一歩を肯定する返事をした。
     その時の事を、一歩は今でも鮮明に覚えている。


     それから宮田と一歩は付き合い出す事になったのだが、如何せん、今までと大して変わらないような付き合いの仕方を、この約半年の間してきたのだ。

     用事のある時に電話をする。(…と言う事は、これと言った用事の無い時は電話していない)
     どちらかの家に行って、試合のビデオをや、ボクシング誌を見て色々と話をする。
     数える程の、『デート』と名のつくものも勿論、ボクシング観戦。
     今までと大して変わらないような付き合いに、一歩は最近、少し不安になっていた。
     自分も宮田も、ボクシングに対しての情熱は同じ位持っているから、別段、こういう付き合い方が不満な訳ではない。


     …でも。でも矢張り、好きな人との触れ合う事がしたい。
     一歩にだって、そのくらいの慾はある。
     手を繋ぐ事や、抱きしめ合う事や、キスや、―――勿論、…その先の事だって。
     宮田に求められれば尚更だが、…好きな、人だから。…好きな、人だから、こそ。
     やはりそういうことを、したい。…と、一歩は思う。
     それは当たり前の欲求なのだ。




     ――――所が、どうだろうか。
     半年過ぎようとしているこの時期に来ても、宮田と一歩は今だに手も繋いでいない。
     今時の進んでいる中学生以下のお付き合いだ。

     告白をしたのは一歩の方。
     『好き』という言葉を言ったのも一歩の方だけれども。
     それを拒まなかった宮田も、少なからずは一歩の事を想っていたのではないのだろうか。
     なのに、この進展の遅さは何なのだろうか。


     一歩は、はぁー…と本日二回目になる溜息をついて、たった今会話が終わって置かれた受話器を見つめた。



     ボクばっかりが、宮田くんの事を好きで好きで好きで、好きで。
     宮田くんはそう言う風に、思ったりしないのかな。
     ボクと手を繋ぎたい、って思ったりしないのかな。






     だから、一歩は決めたのだ。







     明日こそは、宮田と手を繋いでみせる、と。




     「よーし!明日は頑張るぞ!!」


     と、全く関係のない所に気合を入れ、明日に備え、早めの就寝の準備をする一歩だった。








      + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + +







     「…ごめんね、宮田くん…!待った?」

     駅前の少し大き目な広場に、綺麗な黒髪の、ジャケット姿の彼を見付けると一歩はぐん、と走る速度を速めた。
     時間通りに待ち合わせ場所に着いた一歩だったが、どうやらそれよりも前に宮田は到着していた様で、その事に対して一歩は謝ってしまう。
     元々『いじめられっ子』の一歩は、自分に非が無くともつい相手に対して謝ってしまう癖があるのだ。


     「……別に、お前は時間通りに来てんだから、謝んなよ」

     「だって…、宮田くんを待たせてたんじゃ、悪いじゃない!」

     「俺は良いんだよ!……好きで早くに来てんだから」

     「……え…?」

     「いいから、行くぞ」

     最後に宮田が呟いた言葉は、あまりにも小さく早口だったので一歩の耳に届く前に、街の雑踏の中に溶けていった。
     昨夜の一歩の意気込みに押されたのか、本日は穏やかな快晴に恵まれて、絶好の『デート日和』になった。
     通常、ボクシング観戦位しかあまり表に出ない二人なのだが、今日は今話題の映画を見る事になっていた。
     一歩がたまたまTVでCMを見たらしく、

     『面白そうで、一寸気になってるんだ〜』

     と、宮田に話題に出した事もあり、久し振りに二人で会う事もありと、
     ……何より宮田の父が、何処から貰ってきたのか(恐らく新聞の勧誘だろうと、宮田は踏んでいるのだが)
     映画の割引券を貰ってきた…と言う事が一番の理由だった。








     駅前の広場から、少し歩いたデパートの並びに映画館はあるので
     宮田と一歩は話しながら歩き始めた。


     「映画、楽しみだね〜。
     宮田くんは、アクション物、嫌いじゃないよね?」

     「眠くならないヤツなら、何でも良いぜ」

     「あはは、宮田くんらしいや」

     「…悪かったな」


     本日は休日な為、特に駅前は普段よりも人の流れが多い。ここで手を繋いでも周りからはあまり気にされないだろう。
     会話をしながらも、一歩は宮田と手を繋ごうとタイミングを図っていたのだが。

     宮田は一歩よりも少しリーチがある為、必然的に並んで歩いていても一歩よりも少し前に体が出てしまう。
     おまけに、宮田はいつもポケットに手を入れている事が多い。
     これでは、まるで隙が無い。

     いつもは格好良く思えるその仕種だが、今日の一歩にしてみれば

     『宮田くん、…何でポケットに手入れてるの!?』

     と思ってしまうのだから、人間とは結構勝手なものである。









     そうこうしている内に、映画館の中に二人は入っていった。宮田の父から貰った割引券を使い、
     一歩は高校生と間違われながらも本券を購入。
     時間は、丁度あと15分で始まる所だったので、宮田と一歩は、そのまま館内に入って腰を降ろす事にした。
     今、話題の所為か観客も割りと多く、館内は結構人が入っている様だった。




     適当に映画の見易い場所を宮田が見つけて、そこに座ると一歩は

     『…今度こそ!!』

     と、自分を叱咤した。


     上映時間のブザーが鳴り、館内の照明が徐々に落ちてゆく。一歩は、自分の右側に座っている宮田をちらり、と盗み見た。
     スクリーンに映し出されている光が反射して、それは宮田の顔を薄く照らし出す。
     宮田は、一歩が自分の事を見ているという事に気が付いていないので正面を向いたままだ。

     宮田の、端正な顔立ちと、横顔で余計通って見える鼻筋、長い睫毛。
     ―――男性だと言うのに、彼には『綺麗』という形容が良く似合う。

     その横顔に、一歩は胸の鼓動が加速するのを抑えられずにいた。
     そして、加速する鼓動とは裏腹に、胸の深い所が締め付けられるような気持ちになった。

     (…ボクばっかり、ドキドキして……悔しいよ…)








     見た映画は、レビュー等でも面白いと絶賛されているファンタジー風のアクションもので、やはり、それは看板に偽り無しであったので。


     それはもう思いっきり、映画に見入ってしまった一歩は。
     一時もスクリーンから目を離すことが出来ず。


     暗闇の中で、そおっと隣の彼の手に触れて、手を繋ぐ…という事などすっかり蚊帳の外になってしまっていたのだった。


     「結構、面白かったな」

     「………うん、そう…だね」

     「………。…どうかしたのか?」

     「ううん…、感動しちゃって…。…はは、涙まで出てきちゃった」

     (―――泣けるシーンって、あったっけか?)

     全く一歩の考えている事が察せないのも、こういう場合は幸なのか不幸なのか。













     映画を見終わった二人は、遅い昼食をとる事にした。映画館を出ると、二人は駅前近くにある飲食店多い通りに向かった。
     今日の予定は、後は特に立てていなかったので、もしかしたらこの流れのままどちらかの自宅の方へ向う事になるかもしれない。
     そうなると、もう、一歩は手を繋ぐチャンスが無くなってしまう。


     『………ああ。ボク、何やってるんだろう…』

     人の流れに酔いそうになりながら一歩は、一幅分先を行く横断歩道を渡る彼、宮田の背中をぼぉ…っと見つめながら歩いた。










     本当は。


     宮田本人に、

     『……手を繋いでも、良い?』

     と聞けば良い事なのだが。……それが、一歩には、出来ない。

     宮田の返事を聞く事が、怖い、のだ。










     付き合っているのに。不安で。不安で。
     でもその事を一歩は聞く事さえもしないで。

     臆病で、怖がりで、自信が無くて。




     一歩は心の中で、


      『……意気地なし…』

     と呟いて下唇を噛んだ、その時。









     「―――――幕之内!!」









     至近距離から、宮田の良く通る低めの声が、一歩の耳に大きく聞こえた。
     それと同時に、ぐいーーーーーーっと、思いっきり体を引っ張られ一歩の体は派手に傾いた。


     「………え…?み・み、やたくん…?」

     気が付くと、一歩の左手首は宮田の手に思いきり掴まれて、宮田の胸に体を預けるようなカタチになった。

     「馬鹿ヤロウ!―――お前、何、横断歩道でボーっとしてんだ!!」


     宮田の良く通る声の後に続いて聞こえてきたのは、渡り切った横断歩道からの自動車やバイクのエンジン音と、排気ガスの臭い。


     「……え…。…あれ…、ボク…?」

     先程まで、宮田の事を考えていた一歩には今の、この状況がまだ良く分かっていないようだった。



     「…お前なぁ!信号、赤になってんだぞ!危ねぇだろうが!!」

     「しんご、う…?」

     段々と、靄の掛かっていた一歩の頭の中がクリアになっていく。そして、視界も。



     ――――そうだ、宮田くんの後を追いながらボーーーッと考え込んでしまって…。
     後少しで歩道を渡り切る…と言う所で、知らずの内に一歩の足は歩みを止めてしまっていたのだった。
     フ…、と見上げた先の信号機の差している色は赤、だった。


     それを見た一歩の顔色は、一気にサァ…と青くなった。




     「あわわわわ……。ご・ごめ…なさ…!!…ボ、ボク…ッ。あ、ありが…み、みや…、くん…!!」

     一度に、思った事全てが口から溢れ出て来て、一歩は思いきり噛んでしまった。


     「取り敢えず、落ち着け」

     「…あぅ…、ごめん……」

     シュンとして俯いてしまった一歩の頭を、宮田がポン、と一つ軽く叩いた。

     「ま、無事だったから良いけどよ。…今度は気をつけろよな?」

     「……うん…。ごめんなさい、宮田くん…」


     宮田に慰められ、やっとの事で落ち着きを取り戻した一歩は、今だに掴まれている、自分の手首と宮田の手に意識を戻した。

     「……あ…」

     「――何だよ…、…行くぞ」




     宮田は、一歩にそう言い終わらないうちに、スルリと。


     それはそれは、本当にごく、自然に。
     今まで一歩が考えていた事よりも、非常に簡単に。


     彼は、一歩の手を掴んで、握った。



     (…宮田くんと…、手、繋いじゃった…)




     繋いだ手はそのままに、宮田は一歩を連れて歩き出した。
     それに驚いて、最初は引っ張られているに近かった一歩だったが。

     振り返らない宮田の、後ろから見た耳は一歩が見ても分かる位に赤く。
     ――――多分、それが宮田の、一歩の方に振り向かない理由。


     (宮田くんも…。……もしかして、ボクと同じ気持ちでいた、の…?)












     宮田もまた、一歩の事を思い続けながら、四年と言う歳月を過ごしていた。
     あの冬の寒いある日、一歩から告白を受けた時の事は、宮田もハッキリと覚えている。

     何故なら、あの雪の降る日、宮田があの場所に行ったのは……。






     一歩との想い出にはいつも、いつでも雪が付き纏う。だからこれは、宮田が自分に課した『賭け』だった。

     もし、あの場所に一歩が来たら。
     この気持ちは自分の自惚れでは無い、と思っても良いだろうか…、と。
     それならば、彼に言っても良いだろうか。



     たった一言だけ。




      『好きだ』 と。








     ……結果的には、一歩に先を越されてしまったのだが。


     つまりは。

     二人共、お互いが想っているよりも、遥かに相手の事を想っているという訳で。








     振り向く事のしない宮田が、一歩の左手を、ギュッと力を込めて握り締めた。
     その右の掌は、ドクンドクンと脈を打っていて、熱くて、力強くて。


     『…離すんじゃ、ねーぞ』


     と、言っている様に一歩は思えて。







     「…ううん。何でも、無い」


     その手を、一歩はキュッと握り返した。






     不器用な、二人の恋は、これからも続く。








     ------------------------------------------------------------------------------------------------------

     サイト開設祝いのお返しに、あんずさんに送ったもの。リクエストは「手を繋ぐSS」
     あんず味さんが閉鎖されましたので、自サイトにUPさせて頂きました。