はなのころ 〜I


                 今日は本当に良い天気だった。


                 昨日までの小雨が嘘のように晴れ渡り、暖かな日差しが空気を温めている。
                 日向でじっとしていれば少し暑いとまで感じる気温だった。
                 一歩はそんな日和に誘われてロードワークに出た。
                 前の試合から数週間、会長からも軽いロードワーク程度なら、と許可が出たところで体を動かさずにはいられなかったのだ。
                 海沿いの道を住宅街へ抜け、橋を渡って川沿いの道を辿るのがいつものコースなのだが、今日は気まぐれに道を変えてみた。
                 橋を渡らず、また住宅街に入り、公園へ抜ける道へと。


                 季節は春になったばかり。
                 街路樹はほんの数ヶ月前の寂しい様子など忘れた顔でそれぞれに若葉を茂らせ、
                 同じような家の立ち並ぶ町並みがまるで知らない場所のように見えた。
                 いつもと違う風景はそれだけで一歩の心を浮き立たせる。

                 やがて公園へ続く道に差し掛かった。
                 そのまま外周を回り、園内に入る。
                 都市部には珍しいほど多くの木々が植えられたこの公園は、休日ともなれば多くの家族連れやカップルで賑わうのだが、
                 平日の今日はさすがに人影も疎らだ。
                 四季折々の植物が楽しめるように、と整備された園内はまさに春そのものの景色だった。
                 花壇にはチューリップ・アネモネ・キンギョソウを初めとした春の花が色とりどりに咲き乱れ、
                 外周から丁度敷地の中心を蛇行しながら貫く歩道の両脇には桜並木。
                 まだ五分咲きに少し足りないかというところだが淡いピンクの花びらが視界を彩り、霞がかかったような錯覚を覚えた。

                 一歩は思わず足を止める。

                 「・・・・・・うわあ・・・・・・・」

                 知らず感嘆の声を漏らしていた。

                 歩道から少し奥まった木立の間から風に乗って花びらが渦巻いて吹き付けて来るのだ。
                 まるで、桜色の竜巻。
                 魅入られたようにそのまま奥へ歩む。

                 すこし大袈裟かもしれないが花に包まれたような心持ちで溜息が漏れた。

                 一際大きな桜の古木。この公園内で最も多い染井吉野よりも紅色が濃い。
                 枝ぶりも花の付き具合も周辺の木より見事で風格さえ感じられる。
                 今の時期でこれなら満開になったらどれほど美しいだろう。
                 想像して一歩はうっとりと目を細めた。

                 (ほんとに綺麗だなあジムの皆にも教えてあげようああもっと花が咲いたらお花見に来るのもいいな
                 そうあのへんの芝生に腰掛けてお弁当を食べたらきっと凄く美味しいだろうな)

                 その光景を思い浮かべて一歩は頬を緩めた。

                 もとより一人上手な一歩である。
                 大人数で弁当や飲み物を抱えてここに来るまでの道程や場所取りで揉めるプロランカー三人や
                 会長の発案によりジャンケンで決めようとするも結果が気に入らなかった某俺様が物理的な解決方法で我を通そうとする様子までが
                 あたかも実際に経験したかのようにリアルに浮かび・・・ややげんなりしてしまった。

                 そのとき。さあ、と強い風が吹き抜けて。
                 埃が目に入らないように咄嗟に顔を背けたその方向に、春のパステルカラーの中やたら目立つ黒い長身。
                 一歩は文字どおり固まった。

                 「み」
                 「あ」

                 (な、なんでなんでボク、こんな近くで・・・・・・・・・・!!!)

                 桜に気をとられて気付かなかったのか。
                 途端に一歩の頬が赤く染まる。呼吸がしづらくなって喉が渇く。
                 一歩の憧れ、永遠の目標、目にするたびになぜか鼓動が5割増、の元ジムメイトにして同じ階級のボクサー。

                 「みやたくん・・・・・・!?」

                 そう宮田一郎が僅かに目をすがめてこちらを見ていた。

                 「幕之内・・・・・・・・・・・・」

                 宮田も少し驚いたように目を見開いている。

                 (な、なにか言わなくちゃ!せっかく、せっかく会えたのに!!)

                 一歩は元々口数の多いほうではないのだが。宮田が相手となると自分でも信じられないくらいに舌が回って止められなくなってしまう。
                 それを宮田が閉口しているのを知ってはいたがどうしてもコントロールできないのだ。
                 だから出来るだけ言葉を選ぼうと深呼吸して慎重に口を開いた。
                 とりあえずは当たり障りのないところから。

                 「さ、桜、綺麗だねぇ?」
                 「・・・・・・・・・・・・・・ああ」

                 「み、宮田くんも、桜、すき?」
                 「・・・・・別に、好きでも嫌いでもねえな」

                 会話が続かない。

                 (ああ、宮田くんが、宮田くんがあきれてる・・・・・・・・)

                 どうしてこうなんだろう
                 いつだって自分は宮田ともっと仲良くなりたいと思っているのにどうしてもまともに顔を見ることさえ出来ない。
                 一歩は泣きたくなってしまった。
                 でも泣き出したりしたらもっと呆れられてしまう。

                 宮田に好かれていないのは分かっていた、でもこれ以上嫌われるのはいやだ。

                 必死で涙をこらえようと口の中で舌先を噛んだ。泣くのを堪えるときの、小さい頃からの癖だった。



                 一歩自身不思議だった。どうしてこんなに宮田のことになると平静で居られなくなるのか。
                 確かに宮田は一歩の憧れを形にしたような存在だ。
                 端正な容姿、優雅、と言っていいほど洗練されたボクシングスタイル、
                 己の目指すものを確かに知っていて決して才能に驕ることなく練習に打ち込む真摯な姿勢。
                 しかしそれだけでこんなにも心乱されるものだろうか。
                 昔から一歩を嫌う人間は幾らでも居た。彼らの多くは一歩には何の咎もない理由でそうしていた。
                 一歩も自分を嫌う人間達に好いてもらおうとする努力をしなかった訳ではない。
                 でもやがてそうする事に疲れて、疲れ果てて・・・・・・・・・諦めた。
                 好意を持った相手に受け入れられない事ほど一歩を傷つけることは無かったから。
                 だから相手が自分を嫌っていると知ると決して歩み寄ろうとはしなかったのに。

                 ボクシングと出会って、受け入れてくれる場所を得て、自分を認めてくれる仲間に囲まれて。
                 欲が出たのかもしれない。



                 「ほ、ほらコッチから見るともっと綺麗・・・・・・・・」

                 焦りを誤魔化すように後ずさった右足は、何も踏まなかった。
                 下の植え込みの枝で良く見えなかったがそこは緩やかな傾斜になっていて向こうは一メートルちかく低くなっていたのだ。
                 気付いたときにはもう遅かった。

                 「うわっ・・・・・・・・・!!」
                 「幕之内・・・・・・・・っ!」

                 それは一瞬。

                 バランスを崩して倒れかけた一歩と。
                 それを咄嗟に支えようとした宮田と。

                 ふらつく足を止めようと反らした上体。
                 肩を掴んで転倒するのを防ごうとした腕。

                 身長差からのけぞった身体と、かがんだ背中。
                 絶妙なタイミングで。


                 下の芝生に倒れこんだ二人は宮田が一歩を横抱きに抱き込むような姿勢で折り重なっていた。
                 鼓動はかなり早いが痛みは感じない。
                 思ったよりも緩い斜面だったのと柔らかい芝生のおかげで怪我は免れた、らしい。

                 「うあー・・・・・・・びっくりしたー・・・・・・・」
                 「そりゃこっちの台詞だ・・・・・・・・・・・・・」

                 宮田の人形めいて見えるほど整った顔が至近距離で目の前にある。
                 普段であればとんでもないこと(動悸・息切れ・めまい・心停止)になっているだろうがこのときの一歩は驚きが尾を引いたままで、
                 憮然とした表情の宮田の形のいい鼻先に桜の花びらが一枚ついているのを見て。
                 おかしくなってつい笑ってしまった。

                 宮田が見ている。
                 上体を起こしかけたまま今まで見たことも無いような複雑な色を浮かべて見ている。
                 一歩は微笑んだ表情のまま。

                 「お前・・・・・・・・・・・・・」

                 ごく自然な動作で宮田は顔を傾け。それに一歩は反応が遅れて。







                 それも一瞬。









                 「花びらが、ついてた」
                 「そ、そうなんだ、えっと、あ、ありがと・・・・・・・・・・・・・・・(?)」

                 身を起こした勢いで宮田は立ち上がり、呆然と座り込んだ一歩から顔を背けて走り出した。
                 ぐんぐん小さくなっていく背中を見送って、やがてすっかり視界から消えてしまってから。
                 一歩はやっと我に返った。




                 「・・・・・・・・・みやたくん・・・・・・・・・・・っ!?」




                 先程のことが一気に思い出されて一歩は全身の関節が溶接でもされてしまったのかと思うほど硬直した。
                 震える手で顔を覆う。それだけのことに酷く時間がかかった。
                 てのひらの皮膚と肌の僅かな隙間に困惑と少しの熱が篭る。



                 今、今、一体何が。どうして、あんな。




                 一歩は。

                 目の前の桜にも負けないほど紅く染まった。







                 はなはひとをくるわせるといひますが
                 じつはさうではなひのです
                 ひとのこころのほんとふを
                 ほんのほんのひとかけら
                 さらけだしてしまふだけなのです




















                 【後気味に】

                 ・・・・・・・・初々しすぎてなんか尻がかゆ(自主規制
                 いつも暴走する小僧とか迷走する青年とかしか書いた事無かったから
                 こんなベタなSS初めて書いたからもーどうして良いか自分を宥めるので精一杯。

                 ちなみにこの桜は「長州緋桜」5〜10枚の花びらを持つ可愛らしい花です。
                 薄い白色系の桜の多い時期、この花の紅色は一際目を惹きます。



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                 拡散コトノハ駅改め、カタコト電車発着場さんよりサイト開設に伴い頂いたSS。
                 管理人が初めてサイトを作る切っ掛けになって下さった方、お二人目です。
                 ちなみにリクエストしたのは、
                 「甘く切なく初々しくもエロさを漂わせた宮一で、青春真っ盛りのファーストキッスはレモン味」
                 と言うような無体を強いるリクエストでした。リクエストに応えて頂き、護国さんありがとうございました!