閑 (しずか)


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Posted by on 2006/04/20 21:55:01:

In Reply to: 旧掲示板より Posted by 管理人 on 2006/04/20 21:45:02:


    店の本棚に「閑」(しずか)という本がある。
    この本は、上井草にお住まいだった松原春吉さんが生前に自費出版したもので、私がこの職に就いたばかりの時に、親父と共に仕事に伺った様子が、日記として書かれている。

        襖

    二月二十六日 (月) 時々小雨

    襖を張り替えた。
     いつもなら夕食時には門を締めるのだが、経師屋さんが来るかも知れないからとあけて置いたら、案の定食事の終り頃やって来た。雨でも精が出ると思ったら明日から別の仕事に掛かるとか言っていた。もっとも自分の仕事場で仕上げたのをはめこむだけである。
     この経師屋さんは十年程前にも襖の張り替えをたのみ腕のいい人である。今度張り替えた前の唐紙は、腰の模様に、紅梅、山椿、土筆、花菖蒲、薊(あざみ)、大輪の黄菊、南天を三寸程の円い枠にそれぞれ図案化したものであった。孫の淳(きよし)が小さい頃、この絵を見て椿をプリン、南天をブドーなどといっていた。
     同じ時期に枕屏風をつくってもらった。古代更紗の帯地を腰張りにしたもので、まだ帯にもしない生地を裂いて張ってもらった。これができるまで大分月日が経つので、どうしたのかと聞きに行ったほどのもので、出来上がりはいい。人目にはたたない渋いものである。また、同時にたのんだものに、「石橋」の染めてある風呂敷を額にしてもらった。縦三尺位のもので座敷にかけてある。
     古くなった襖を張り替えるのに、この経師屋さんの腕を見込んで頼んだ。早く頼んでおかないと、仕事の番がまわって来ないとばかりに思っていたが、手があいていたらしく、すぐに来てくれた。
     張り替えたのは、九尺に四枚と六尺に二枚の唐紙、それに袋戸棚が大小十枚。まず、九尺に四枚の方は、中二枚に中障子を入れ、客間に面している方は竹の模様にした。孟宗を一枚に二本あしらってある。引手にかからないように配置を考えて張ってあり、地に無色の細目の竹が下絵に入っているので、竹林を見る思いだ。襖の縁は、「うるみ色」と言っていた。「えんじ」の濃いもの。裏面の四畳半の方は、腰に大幅と小幅で五色にした横線のある明るい感じの図柄のものである。模様の見本帖で、桂、鼓、宇宙と候補をたてたところ、桂も宇宙も柄が大きいので一枚には半端になるといわれ、五色の横線にした。大幅の部分はチョコレート色。
     茶の間にある小さな床の下の袋戸棚二枚は、経師屋さんが道楽をしましたといいながらいれてくれた「輪ちがい」という柄で、径一寸二分位の円、輪を一分二厘位、銀にしてある。この銀は本物で、アルミではないとか。だから月日が経つと酸化するといっていた。地は宇治というか、なかなか凝った袋戸棚が出来た。「輪ちがい」と聞いて、京都の「わちがいや」を思った。
     飾戸棚の戸袋は、明るい色合いで、引手は白木の桑で四角い細工。襖と「輪ちがい」の引手は、刀の「つば」の輪郭に梅三輪小枝に咲いているようにあしらってある。「つば」に象眼した格好で金色。地は黒。四角の隅をとってあり「輪ちがい」のはその小型。
     引手の話で、桂離宮の引手は「月の字」とか、ある本に書いてあったが、どういうのかと聞いたら、こういうのだと書いてくれた。草柳大蔵氏の「美しきものとの出会い」に「月の字くずし」、月という字の草書体とある。表具屋さんも、月の字をくずして書いて見せてくれた。
     障子の張り替えには、後継者の息子さんにしてもらおうと言ったら、障子は二年以上修行しないと張れない。糊の具合と刃物の研ぎ方がむずかしい。特に研ぎが上手くできないと、任せられないと話していた。なるほど、研ぎが下手では、紙が上手く切れまい。
     もう三十年も前になるか、山本有三の「無事の人」で刃物を研ぐ後姿を見て、並みの人ではないと感じたが、その人は、元腕のいい大工さんであったとあるのを思い出した。

                    (昭54)

    長々と引用させて頂いたが、風流だったこの松原さんは、平成4年に永眠された。


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