◆ならぬことはならぬものです
| このところの国会は森友学園文書改ざんうんぬんで官を表に与野党の白熱した論戦が続いている。真相はまだ明らかではないが官のタガが緩んでいるという観がしてならない。そんな中思い出すのは第二次大戦中の2人の日本人である。1人の杉原千畝氏(1900~1986)はナチス迫害から逃れてきたユダヤ人を政府の命令に反して日本通過ビザを発給した。ユダヤ人の命を救うか命令に従うべきか大いに悩んだ末の決断だった。その後命のバトンはいろいろな人たちによって繋がれていったことは近年になって分かった。しかし、彼は帰国後まもなく外務省から突然依願免官を求められて苦労は報われなかった。が、1985年イスラエル政府よりユダヤ人の命を救出した功績で「ヤド・バシェム賞」を受賞されて、ようやく日本政府も腰を上げた。もう1人、同県(岩瀬郡仁井田村/現須賀川市)人の陸軍中将根本博氏(1891~1966)である。門田隆将著『この命、義に捧ぐ』やYoutube『台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』に詳しいが、終戦時に内モンゴルに駐屯していた駐蒙軍司令官として、終戦後もなお進攻を止めないソビエト軍の攻撃に対して武装解除をしないで反撃し張家口付近にいた在留邦人40,000人及び軍人数十万人を帰国させた。一方、満州にいた関東軍は軍紀に基づく行動をした為に無抵抗の状態でソビエト兵による惨劇は悲惨だった。更にシベリア抑留を語れば枚挙にいとまがない。国府(中華民国)軍は日本人の帰還を追撃するどころか黙認したとさえ言われる。根本はこの恩を忘れなかった。まもなくその機会がやって来て、1949年中華民国の統治下にあった台湾へ渡った。台湾総督(第7代)だった明石元二郎の長男元長氏からの援助のもとに昭和24年、”釣りに出かける”という言葉を残して通訳の吉村是ニ氏と2人で九州延岡市から台湾に密航した。小舟での航海は想像を絶するものだったという。ようやく蒋介石総統に再会した。それから中国名林保源として海南島に赴き国府軍の指揮をとり老巧な作戦が功を奏して中共軍を退却させた。長年台湾当局はこのことをひた隠しにしていたが隠しきれず、ついに2009年10月戦没者追悼式に明石元紀氏(76)と吉村勝行氏(76)が招待され戦没者への祈りをささげる老兵たちの最前列に立った。やがて参列者の誰もが思ってもみなかった馬英九総統がやって来た。そして2人に日本語で”ようこそ台湾に”と言って自ら握手を求めたという。2人の父の苦労が実を結んだ瞬間だった。杉原千畝氏と根本博氏の2人のこの勇気ある行動は今も私たち日本人の誇りである。(3月16日) |
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