管領として12年、足利義満(22歳)を支えた細川頼之(51歳)が、康暦元年(1379)閏4月の「康暦の政変」で失脚して、京都の屋敷を焼き払い、一族・家臣300余人と共に、本拠地である四国に帰る途中で詠んだ漢詩(七言絶句)。 [原文] 人生五十愧無功 花木春過夏已中 満室蒼蝿掃難尽 去尋禅榻臥清風 [書き下し] 人生五十 功無きを愧(は)ず 花木(かぼく) 春過ぎて 夏已(すで)に中(なか)ばなり[註1] 満室(まんしつ)の蒼蝿(そうよう) 掃(はら)えども去り難(がた)し 起(た)って禅榻(ぜんとう)[註2]を尋ねて 清風に臥(が)[註3]せん 註1 旧暦では、1・2・3月が春で、4・5・6月が夏、7・8・9月が秋で、10・11・12月が冬。 註2 禅榻 : 座禅に使うイス 註3 臥す : 寝る 横になる [意訳] どーせ 私なンか いい年して ナンの功績も無い役立たずですよ 花や木ィ見ると 春が過ぎ去って はや季節は夏のなかば 部屋中にハエどもが充満して ウザくて ウザくて しょーがないので もうイスでも探して来て 涼しいトコで寝ます 4行目は、文字通りに訳せば、↑ のようになるが、頼之の当時の気持ち・置かれていた状況を考えると、 「もう実家に帰らせてもらいます」 と訳した方が良いと思う。 [感想] 小姑たちにイジメられた嫁のようである。
2013/04/19 (細川重男)
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