妙義山


(写真1 金洞山)
 赤城山・榛名山と共に上毛三山の一つである妙義山は群馬県西部にあり、白雲山(1,081 
m)・金洞山(1,104m)・金鶏山(856 m)の三峰からなり、そのノコギリ歯のように奇岩が林立す
る山容は奇勝とされ、現在は妙義荒船佐久高原国定公園に指定されている。
 「妙義」の地名は中世を遡るものではなく、古代には「波古曽(はこそ)」と呼ばれ、高田大和
守繁頼が永禄10年(1567)8月、生嶋足嶋神社へ奉納した起請文に「妙儀法印」とあるの
が、現在確認されている最も古いものである。
 
(写真2 磯部温泉から見た妙義山)
 「妙義」の地名の由来については江戸時代以来諸説があり、南朝方の花山院長親(生年未
詳〜1429)の法名明魏に由来するという説、花山院内大臣光秀公を妙喜の神として祀ったこ
とに由来するという説、第13代天台座主の法性房尊意が妙義法印であるという説などが代表
的なものとして挙げられる。また、近藤義雄氏は「妙義」を仏教的な地名であるとして、釈迦の
弟子である中印度の鍛工の子ジェンダ(妙義)説、阿シュク如来の別名妙喜説を挙げ、尊意が
丹生氏の出身であること、水銀が産出していたと思われる地層があること、妙義神社に丹生
都姫命が祀られていることから、ジュンダ説をとっている。
 しかし、金鶏山には天神を祀る菅原神社があり、妙義山がこの地域の雷雲発生地であること
を鑑みると、近藤氏に退けられた阿シュク如来の別名妙喜説が注目される。

  
 (写真3 菅原神社)
  阿シュク如来は、『阿シュク仏国経』によると、東方世界において瞋恚(怒り)や婬欲を断って
長い間修行して成仏した仏であり、『観仏三昧海経』によると、東方の妙喜国において成仏した
とある。また、金剛界の東方仏である阿シュク如来は、胎蔵界の北方仏である天鼓雷音如来
と同一仏とする説がある。天鼓雷音如来は、雷のように形も住処もなく、説法を説いて衆生を
賢くさせる仏という意味であるが、その名からは雷神を想像させられる。
 つまり、阿シュク如来は雷神を想像させる別名を持ち、瞋恚や婬欲を断つ長い修行によって
仏となったことから、雷雲が発生する険しい岩山で修行する者たちは、阿シュク如来が成仏し
た妙喜国になぞらえ、妙義山と呼んだのであろう。

(参考文献)
近藤義雄氏「妙義信仰」(『妙義とその周辺』あさを社、1992年)
池田秀夫氏「妙義山の信仰」(『日光山と関東の修験道』名著出版、1979年)
安中市ふるさと学習館編『磯部蜃気楼の謎―雷と蜃気楼と神と人―』(2005年)
(佐野亨介)

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