新情報  平成18年10月1日     Sato Sakura Museum
     郡山市「さくら通り」に新名所「郷さくら美術館」が誕生しました。




  これより郡山の案内人を務めようと思っています。がしかし、郡山は大変広いので時間がかかります。お暇な方だけでもお付き合いください。東は阿武隈高地の峰から西は奥羽山脈の中程まで、ほぼ中央を那須の山中から北流し、北の宮城県南部で太平洋に注ぐ阿武隈川とJR東北線・国道4号線・東北自動車道が南北に縦断し、東西は国道49号線・磐越自動車道とJR磐越東西線が横断する交通の要衝にあります。山と川、小丘陵と平野、通称郡山盆地などと形容される環境にあります。西の奥羽山脈・越後山脈、少し足を伸ばせば東の太平洋、西の日本海にも苦労なく届きます。

  更に、郡山市は安全度の高い都市であることを生活実感として感じられます。それは地震・台風・土砂災害その他の自然災害が他地域に比べて少ないと感じています。豪雨の季節であっても阿武隈川流域の一部に氾濫することがあっても人命財産を奪われるなどの重大被害は今のところ見られないこと、旧い地層からなる阿武隈高地の南部地域が首都移転の候補地とされた例にも見られたように地震被害の可能性が低いという立地にあることがあげられます。だが、「災害は忘れた頃にやって来る」という先人の忠告を忘れてはなりません。

  その中で、やっぱり気になるのは「街づくり」でしょう。経済復興を優先した戦後、更に「高度経済成長時代を経たが」とよく言われるように地方都市においても、いろいろな格差が悩みの種になっています。昭和40年の大合併により広域な郡山市が誕生したのですが、都市部と農山村部の格差、街中心部でのドーナツ化など他の都市における悩みと同様な現象が現れています。今、豊かさが蔓延し、人口減少期に入ることによってデフレの時代に入ったことにより、日本中の各分野において反省的手法がとられるようになり、「リホーム」による文化の再生が図られております。破壊による再開発ではなく残されている遺物の「再生・復活・」(再利用)であります。
  わが国の文化財行政の中で採用された文化財の登録制度や対外的には「世界遺産」としての登録制度などは地球人全体が地球破壊の危機感から逃れようという人類共通の願望を実現しようということから発した試みであります。
  文化財を
「日常の生活の中に融合させる」ことであります。

  その地方版が国内各地に見られる
「街づくり」の活動であります。

  今日約33万人の人口を抱える地方の中都市である私たちの郡山市は、その広域性から見ても判るように「多様な要素」を含んでおります。都市部・農山村部と分かれるが、地域産業の豊かさ、即ち商・工・農・林・牧畜業と観光業、教育など人的資源にも恵まれたものがあります。工業製品と食糧品の生産地域から消費地域(住居地)までが含まれ、郡山市の有益な要素を上げることができます。この広域性からくる「多様性」が、『郡山市は「個性」ある都市である』とする理由でもあります。当に
「地産地消」の思想を確立するに値する地方都市であります。そこで重大な郡山市民の努めは、資源を中央の力によって吸飲され、垂れ流しのごとく雑多な商品を売りつけられた地方の姿から脱却する時代であることを理解しなければならないということであり、「資源消耗から資源再生産への転換」のために、「環境保護」は地方都市にとって最重要な責務となってきました。

  日本はあらゆる資源を「外国頼み」状況であることは国民のすべてが承知している筈ですが、余り自覚していません。昨今、米国牛に続いて、タイ産鶏肉の輸入停止によって国民の「食は大きく揺らいで」います。これまで経済的効率化ばかりを追求し、安全性を「忘れたか、軽んじたか」の結果がリスクの高いものであることを改めて自覚しなければなりません。「経済の破局か」それとも「自然環境の破局か」の二者択一の概念から抜け出すことが大事です。つまり、車の両輪のごときバランスを追求することです。

 
ただ、「自然環境の破局は人類生存の基盤を破壊することを想定しなければならない」という極めて重大な犠牲をはらんでいることを忘れないでいただきたいのです。

 
いろいろな価値と力を見いだすために多少時間はかかりますが、ご案内させてください。

  特に、郡山市の文化財や自然の景観もかなり失いかけておりますが、今あるものをしっかりと活用しつつ、それらを守り、次の世代へ手渡さなければなりません。それは我われ世代だけで使い果たし、消耗させてしまってもよいというものではないからです。

郡山の街・案内人


 祝 郷さくら美術館の開館  平成18年10月1日

    郡山市長者一丁目  
    郡山駅よりさくら通りを約1,5km 徒歩約15分
           バス停 「一本松」下車

 案内パンフレットから引用させていただくと凡そ次
 のようである。先ず、コレクションは
 @ 日本画であること A 昭和生まれの画家の作
 品であること B 大きなサイズが中心であること 
 C 画題がバラエティーに富んでいること D 面白
 い試みがあること

その結果、作家は吉田多最・手塚雄二・牧 進・那波多目功一・竹内浩一・下田義寛・林 功などの大作によって構成されている。郷土出身作家の小泉智英も見られる。品格の高さと素晴らしさに圧倒される。

  当に、郡山市民にとっての快挙である。

交通の便もよいし、散歩がてらに訪れるにもよい。
 


「みちのくのあさかのぬまの花かつみ         
  かつみる人に恋ひやわたらん」  
         『古今和歌集』 巻十四 よみ人しらず
市花 「はなかつみ」(花勝美) 
          (マコモ、菖蒲、花アヤメ説などある)

   「をみなへし咲く沢に生ふる花かつみ 
          かつても知らぬ恋もするかも」
              『万葉集』 巻四 中臣女郎
   「等窮が宅を出て五里計、檜皮の宿を離れてあ
   さか山有。路より近し。此あたり沼多し。かつみ
  刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみと
  は云ぞと、人々に尋侍れども、更知人なし。沼を
  尋、人にとひ、『かつみかつみ』と尋ありきて、日は
  山の端にかゝりぬ」と。 『奥の細道』 松尾芭蕉

郡山市指定のシンボル
  市の花「ハナカツミ」・・伝統の花
       (学名・ヒメシャガ、郡山の歴史上の象徴)
  市の木「ヤマザクラ」・・緑化推進木(逞しい花木)
  市の鳥「カッコウ」・・自然保護の象徴
               (生息地を移動する鳥)

郡山市布引高原風力発電所  運転開始 平成19年2月
  出力 65,980kW(33基)  売電先 東京電力(株)
  猪苗代湖の南側、猪苗代湖と磐梯山を見渡す広域な台地
  上に電力資源と高原野菜と観光と自然保護の4要素を担う

                        (平成19年7月27日)



額取山   通称「安積山」  標高 1008.7m

     「安積香山影さへ見ゆる山の井の
            浅き心をわが念はなくに」

  安積山は小山ではあるが、花の種類は多い。御霊櫃峠から安積山への尾根道で見た花々を並べてみた。
                          (18年5月12日)



  猪苗代湖・磐梯山        額取山山頂
平成16年4月14日(水)

紅枝垂地蔵桜    市天然記念物

  中田町木目沢にあるベニシダレの大木である。根回り6.3m、目通り4.1m。
  推定樹齢370〜380年位という。樹勢旺盛で、なかなかの風格である。



平成18年5月2日 

龍ヶ岳のサクラとコブシ  市天然記念物

 中田町木目沢

       
平成16年4月14日(水)
  
上石の不動桜    市天然記念物

  中田町は桜の里である。特に、枝垂れ桜が素晴らしく銘木が多い。隣町、三春の「滝桜」の子孫たちかもしれない。
  この日の不動桜は輝いて見えた。
平成16年4月10日(土)

日本大学工学部構内のサクラ

樹齢60数年の古木が林立する。
  この地は第2次大戦中に航空隊飛行場とされた土地。戦後の工業立国の目標に向けて日本大学専門部l工科が設置されたことに始まり、その後工学部と付属の日本大学東北工業高校(現、東北高校)を開設した。
  従って、樹齢65年前後を超えることになる。キャンパス全体に大学の校章であるサクラが植樹されたものも成長し、郡山のサクラの名所になって開花期には開放されて観桜の醍醐味を味合うことができる。
郡山市開成山公園のサクラ

  面積・本数から市内最大規模のサクラ名所で人出も多い。
  大正期に名所に指定されたこともあるが、今は陸上競技・野球・水泳・弓道・総合体育館などのスポーツ施設ができている。
郡山市開成山公園のサクラ

  開成山公園のサクラはおよそ1300本といわれるが近年老木も目立つようになってきた。若木の植樹も行われている。

 開成山の桜はかつて「名勝・天然記念物」に指定された時期がある。サクラ通りに面した東端の隅に安山岩の石柱が、それを記念して立っている。
 そこには

   「名勝及天然紀念物
       開成山   櫻」  とある。

右側面に
 「史蹟名勝天然紀念物保存法ニ依り
   昭和九年五月 文部大臣指定」と、

左側面に
 「昭和十六年八月建設
      侯爵 木戸 幸一書」とある。

   
  「名勝及天然紀念物指定」の石柱の脇の説明板では次のような説明がなされている。

  「明治6年3月阿部茂兵衛を中心に、この地の開拓にあたり、灌漑用に土手の長さ860mの開成沼をつくった。その後明治11年沼の土手に彼岸桜・山桜・染井吉野桜約3,900株を植えた。桜樹は成長し、花時は比類なき名勝となったため、昭和9年5月1日国の名勝天然記念物に指定され、全国に桜の名所として知れわたった。」
  しかしその後、運動施設整備等のため昭和35年9月19日指定解除された。


 この石碑は昭和16年8月に建立したものであるが、解除後も指定の記念として現在まで保存しているものである。
 なお、碑中記念物の記が『紀』になっているが、これは誤字ではなく、「大正8年施行の『史蹟名勝紀念物保存法』によって指定されたためである」と。
龍光寺桜      中田町赤沼

    樹齢 およそ250年

 それほどの巨木ではないが、端正な形と花の色合いがよい。
  サクラの下に安産子宝地蔵堂があって地域の人々の信仰を集めているが、その歴史から見ても250年くらいは経っているだろうということである。
   
明神の桜

    中田町海老根字明神

     なかなかの古木である。
中井田の桜

   中田町赤沼字中井田

  若木であって樹勢があって色合いが
  よい。
倉屋敷の桜

   中田町赤沼字倉屋敷
東北電力(株)
  沼上発電所
   1899(明治32)年

           郡山市熱海町中山

安積疎水の流水と落差による発電で、電力による「郡山絹糸紡績会社」が設立され、日本初の「郡山までの24kmの長距離送電」に成功して、絹糸産業の郡山として郡山市が工業都市といわれる礎となった。戦後1951(昭和26)年、東北電力(株)の管理となる。
絹糸の郡山といわれる背景には東の田村地方と西の安積地方の養蚕地帯があったことを忘れてはならない。
竹之内発電所   1919(大正8)年

            郡山市熱海町中山
 
丸守発電所   1921(大正10)年

           郡山市熱海町

           煉瓦建築(切妻屋根)
           大正期の日本近代建築の洗練さ
           れた意匠を示した作品。
郡山市公会堂   

   1924(大正13)年竣工

   設計 矢橋 賢吉 ・ 荻原 貞雄

   登録文化財指定 (平成14年7月)

   鉄筋コンクリート造2階建、銅板葺
   塔屋付、建築面積1102u

   郡山市制施行を記念して建てられ、
   大阪・中之島公会堂を模したもので
   ある。
   現在も大いに活用され、市民に親し
   まれている。
旧 郡山市役所


    現 福島県郡山合同庁舎
     (昭和2年着工、同5年竣工、
           職員数 約100名)
 
   市制施行 
       1924(大正13)年9月1日

   人口 39003人
 
   市職員数 40数名
旭日に照りかえる旧郡山市役所


  昭和5(1930)年、昭和恐慌・世界恐慌の混乱の中、これを建設した郡山市民の心のうちを探って見たい。

  郡山人の力の源を知りたいものです。

平成15年11月20日
  「旧郡山市役所の保存・活用を考える会」
                      設 立

  戦中・戦後の厳しかった時代の歴史を伝える文化遺産として、後世に伝えるために郡山市内の文化・歴史・経済団体が参加した。

    設計者 宮 田  荘 七 郎
     施工社 増 子 組
        旧 郡山市役所玄関

  昭和10年から11年にわたって、第三次県庁移転運動が展開された。
  玄関前の駐車場部分は、かつては堀となっていた。

  福島県郡山合同庁舎の新築移転計画があるため、その後の保存と活用が市民の念願である。
日本キリスト教団郡山細沼教会 

   登録文化財指定 (平成14年7月)

   1929(昭和4)年竣工

   木造2階建、スレート葺、
   塔屋3階付

   建築面積224u

   1902(明治35)年開教
旧 福島県尋常中学校
       現 安積高等学校旧本館

    国・重要文化財指定

    1889(明治22)年竣工
    現在は安積歴史博物館となって
    いる。
        
安積開拓入植者住宅    旧 小山家

     郡山市重要文化財指定

    1882(明治15)年に移住建設
安積開拓官舎   

   開成館と同時期の建設

   郡山市重要文化財指定

   「福島県開拓掛」職員用官舎3棟の
   うちの一番官舎

   久米正雄が少年期の一時期を過ご
   している。      
開成館   国史跡  県重要文化財

       1874(明治7)年竣工
       郡役所
       安積開拓事業の拠点
安積疎水麓山の滝

   登録文化財指定 (平成14年7月)

   1882(明治15)年竣工

   石造、堤長14m、堤高8m、
   水路延長23m

   安積疎水の最終地点
中條政恒の墓      郡山市開成

  戊辰戦争後、政府の開発に先んじて明治5年(1872)福島県令に任命された安場保和が旧藩士のために開成山一帯の開墾を考えたころ、県の典事として赴任した旧米沢藩士中條政恒は自らの夢として、その実現に奔走した。明治6年、県の開拓掛となり、郡山の富商たちに資金の投資を呼びかけるとともに明治政府に働きかけた。郡山商人の阿部茂兵衛・鴫原弥作ら25人が求めに応じて開成社を組織し、開拓事業に乗り出した。
  開拓事務所として開成館と開拓官舎を建築して開拓を推進した。第一陣は旧二本松藩士であり、その後安積疎水の開鑿事業へ進み、明治政府による士族授産の事業となり、久留米・高知・鳥取・米沢・松山・会津・棚倉・岡山の旧士族が入植した。
真言宗豊山派 如宝寺書院

     国登録文化財(1998年指定)

 この建物は、1884(明治17)年太政大臣三条実美一行の東北視察に際し、その接待のために白河町(市)に迎賓館として建てた「陽春館」を、1895(明治28)年この地に移築したものです。
  木造2階建て、寄棟造であるが、ベランダを取り付けて洋式建築を連想させた当時の近代的感覚を感じさせるものです。
如宝寺 国宝殿

 国指定重要美術品の銅鐘(通称イボナシ鐘)、国指定重要文化財の石造笠塔婆と板石塔婆、郡山市指定重要文化財の板石塔婆が納められています。
如宝寺 切支丹墓碑(5基)

        郡山市重要文化財 指定
昭和58年10月23日(日)撮影

後藤家住宅     郡山市熱海町石筵

 この住宅は今はない。昭和47年10月23日付、「明治中期の建築、豪農洋風民家の代表」であるとして郡山市重要文化財に指定されて郡山市が誇る文化財の一つではあったが、昭和58年転売・移築の結果、59年指定解除の運命をたどり、今、市街地でそば屋となって様相が一変してしまっている。
  左の土蔵前に重要文化財指定を表示した標柱が見える。文化財の保存・活用・伝承の困難さを味合わされた事例である。
後藤家住宅正面

 磐梯熱海温泉街から北へ向かう県道、母成グリーンラインの入り口に当たり、近くには市営「石筵ふれあい牧場」、観光スポット「銚子ヶ滝」がある。母成グリーンラインを下れば、中ノ沢温泉から福島県道路公社経営の観光道路「スカイライン」、「レークライン」、「ゴールドライン」、「スカイバレー」に通じる。活用の度合いの高い立地にあった。
 
  石筵地区は戊辰戦争の戦場ともなったが、その後の開墾・牧畜事業によって築かれた地域である。
後藤家住宅玄関

  この住宅は、明治初年頃から多くのヨーロッパ人によって洋風建築技術が伝えられ、和洋折衷の様式として発達した「擬洋風建築」である。
 質の高い近代建築として風格があり、歴史的価値は丘陵地を背景とした景観形成上に貢献したであろうことを思うと、真に惜しいものを失ったものである。
  残念な結果に終わってしまった。
浄土宗 善導寺本堂

     国登録有形文化財(2001年11月指定)

  1909(明治42)年11月21日上棟

   大工棟梁 第9代 伊藤平左衛門
               帝室技芸員

   木造平屋建、入母屋造、桟瓦葺
浄土宗 善導寺 庫裏

      国登録有形文化財(2001年11月指定)

  建築年代、大工棟梁名は共に不明。

  明治元(1868)年8月14日、戊辰戦争による被災消失後、明治16(1883)年の再興時の建造と推定されている。
日本聖公会
   郡山聖ペテロ聖パウロ教会
                
(平成16年2月5日撮影)

           1931(昭和6)年竣工
          鉄筋コンクリート平屋建て

          郡山市麓山2丁目

 この撮影のために訪ねた日は、2月上旬、綿雪の舞ううす曇の日でした。その眺めは「アンドリュー・ワイエス」(ペンシルヴェニア生まれ)の風景画を思いました。写実表現の中に、高い精神性を秘めた独自世界に通じるものを感じました。東京・目白聖公会にも共通する世界にある。
郡山聖ペテロ聖パウロ教会  (平成16年10月撮影)
 
 聖公会は、1534年英国王ヘンリー8世の離婚をローマ教会に拒否されたのを機に教皇支配から脱して国王を首長として設立した英国教会の日本名である。カトリックとプロテスタントの両要素を受けている。
 日本への伝道は米聖公会が1859年(安政6)J・リギンス(5月)とC・Mウィリアムス(6月)を長崎に派遣したことに始まる。明治に入って布教と教育活動を展開し、大学(30余)・幼稚園(130余)等を設立したが、1931年の満州事変後の非常時局への突入によって外来宗教はきびしい圧迫の下におかれた。
 
安積疎水事務所     昭和12年

     郡山市開成2丁目

     設計  渡辺 恒雄

     安積土地改良区
こおりやま文学の森

  文学資料館

  郡山ゆかりの作家たちの文学資料を
  展示している。

   石井研堂・高山樗牛・鈴木善太郎・
   諏訪三郎・宮本(中條)百合子・
   中山義秀・久米正雄・真船 豊・
   東野辺 薫など

  
久米正雄記念館(旧久米邸)
            と久米の胸像


  平成12年2月 久米正雄邸を鎌倉から移築復元して「久米正雄記念館」とし、大正の文士久米(1891〜1952)の文学と生涯を紹介している。

 
ビッグ・アイ  Big i  平成13年竣工

  JR郡山駅前西口再開発ビル
    商業施設、市民プラザ、福島大学
    大学院サテライト校、ふれあい科
    学館を含む施設

  「都市景観の形成」を重視するならば不恰好極まりないバランスを欠いたものである。阿武隈山地・奥羽山脈の緑豊かな景観を引き裂いている。
. 「ふれあい科学館の22F・展望ロビーからの山並み・田園風景の眺めは素晴らしい。そこからはこの建物が見えないから」だ。
  23F・宇宙劇場(プラネタリウム)では迫力ある小宇宙が楽しめる。

  今、平成16年11月、オープン後わずか3年余にして累積赤字3億2,300万円とか。

保土ヶ谷化学工業(株)郡山工場

  戦前より工業都市「郡山」の顔となったが、戦時中は軍需工場の役割を担っていたことから空襲の標的となった。

 今、郡山駅東側に隣接して市街地の中心にあり、都市景観形成の課題となりつつある。

JR郡山駅西口広場

       下の絵は昭和34年11月の郡山駅前
郡山市立美術館   平成4年11月開館

   郡山市安原町大谷地
      電話 024-956−2200

   第35回BCS建築賞受賞(1994)
   日本芸術院賞受賞(1995)

  郡山市街地の東方丘陵地にあり、西に奥羽山脈の安達太良山・磐梯山、万葉集にも読まれた安積山などを遠望できる自然色豊かな自然を背景とした立地にある。ギャラリー・企画展示室・常設展示室・創作スタジオ・多目的スタジオ・図書室・講義室・カフェ・レストランなどを備えている。

   郡山駅からバスの便あり(約10分)
   約4キロ地点
  2階常設展示室脇の窓から見える風景で、美術館を訪ねたとき、私が必ず立ち止まる窓である。

  常設展示室は「イギリス近代美術の部屋(ターナー、コンスタブルなど)」、「日本近代美術の部屋(高橋由一、藤島武二、など)」、「郡山ゆかりの作家たちの部屋」、「本(版)の美術」、「ガラス工芸」など。近年その内容の充実が著しい。


   16年9月〜10月 

       出光美術館名品展
小丘陵の中腹にあり散策路もある。「石の庭園」もよい。
秋祭り   9月26日〜28日

       安積国造神社
秋祭り   9月26日〜28日

 駅前通りの車を避けながら練り歩くお 
 神輿

       安積国造神社
秋祭り 

       安積国造神社


 守山城の石垣
    教育委員会と埋文事業団による調査
    により、その姿が現れつつある。


 守山城下町の今

         郡山市田村町守山



  郡山市中田町柳橋の街並みと黒石山

歌舞伎の里 柳橋地区
  柳橋歌舞伎と田園と緑の山並みの里
  地元の学校校歌に歌われているシン
  ボルの山、黒石山は柳橋の地場産
  業「御影石」の生産現場であるが、
  山頂を失うほどになってしまった。
西田町三丁目付近からの安達太良山

  農・山・牧畜業の風光明媚の自然を
  大切にしたい。
阿武隈川

  西田町の三丁目橋からの阿武隈川が
  西日に輝いている。
奥州街道の松並木

  旧4号国道沿い富久山町と日和田町
  に続く松並木もその数は減ってきた
  が、かつての面影は残っている。今、
  保存の大切な時期である。
4号国道(昭和通り)   桜通りとの交差点付近

   下の絵は貯金局側から見た駅前通り(上)と
     昭和通り南方向・消防署方面(昭和35年11月)

 
桜通り

   安積黎明(旧安積女子)高校付近

   朝夕の渋滞がすさまじい。

紅葉が美しい中央分離帯

   郡山市菜根(薫小学校付近)
開成山公園の紅葉    せせらぎの道・遊歩道

   久米正雄(三汀)の句碑が見える
   桜葉など紅葉の名所でもある
開成山公園

   五十鈴湖と野外音楽堂



防風林としての屋敷木(いぐね)と里山

  安積町・三穂田町・片平町・熱海町方面は奥羽山脈からの季節風(この地方では磐梯颪と呼ぶ強風)に晒されているが、「安積の風」は特に厳しいというのが定評であった。杉・松・樅・欅・椿・桧と竹林が多いようだ。里山や棚田とともに安積地方の平和な景観を形成している。磐梯山は右後方にある。

  (左後方は高旗山)


 日本海を越えてシベリヤから来る冷たい西北の風は日本海沿岸の各地の「いぐね」を発達させて防風林とした。「いぐね」・「くね」は屋敷境、即ち地境であり、垣根で示すが、転じて屋敷周りの樹木をいうことになった。

 「いぐね」は農村の平和で長閑な景観をつくってきた。
 郡山市(旧安積郡)の景観は東北農村地帯でも厳しい自然環境にありながら、(特に「安積疎水」の掘削策は)丘陵状の原野を開発して生まれたが、20世紀後半の「工業立国策」によって失われる方向にある。 
 (註)地境=「くね」=垣根・生垣。  屋敷境・屋敷林=いぐね。
  

郡山市南部に拡張された安積町

 郡山市との合併以来40周年となるが、人口3万5000人余に膨張してベッドタウンとしての性格を強めてきた。

   遠くは阿武隈高地の山並み
  

安積町を通過する国道4号線

  近年、西方にバイパスを完成させたが、朝夕の渋滞は解消されない。

   前方が郡山市街地方向
4号国道沿線の変貌は目に余る

  前方の郡山市街地側から再開発が進められてきているが、文化性に欠ける建造物や広告板も目に付く。

  街並みの景観形成には多くの課題が山積する状況になってきた。

お付き合い有り難うございました。今後さらに材料を追加しておきますので、また、お出かけください。

                      
(17、11、10改訂)
                               (18、7、21修正)

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