*美しき世界*3年、は図書室の常連だった。 放課後。しずかな図書室。 詩集の中程まで読みすすめたところで窓の外から歓声が聞こえる。 あまりの騒がしさには眉をひそめてそちらのほうを見た。 図書室は3階にあるので、ちょうど見下ろす形になった。 地上には人の群。 そのほとんどが女子生徒だ。 群の先頭にいるのは、見たことのある人物だった。 色素の薄い髪の毛。細いシルエット。 たしか。 「不二周助」 はつぶやいた。 図書室に、深く西日が差しこんだ。 閃光。 「?!」 目がくらんで、は本から顔をあげた。 「あ、ごめん。びっくりさせちゃったかな」 そう言って現れたのは、不二周助。 その手にはカメラ。先ほどの光はフラッシュだったのだ。 は面食らった。 学校の敷地の隅にある、桜の木の下。 そこは、の読書スペースだった。 とはいってももちろん誰に明言したわけでもないが。 だがはなんとなく自分の領域を汚された気がした。 「失礼だとは思わないんですか」 は本を閉じて、真正面から言った。 不二は微笑んだまま、眉を下げて返す。 「気分を悪くさせちゃったかな?」 「あまり良くはありませんね」 急に人を写真に撮るなんて、と正論を言う。 でも、と不二は悪びれず 「あんまり楽しそうに本を読んでるからさ。つい、ね。 そうだ。よかったら、また撮ってもいいかな? 気が向いたときに」 そう言った。 は、ここは呆れるところだろうと思った。 だがしかしここまで悪気なしに言われると、いっそ清々しいものすら感じてしまう。 珍しい人だ。 は率直にそう思った。 は不二周助は、テニス部の人間だと、噂だけしか聞いたことがなかった。 それもひどく腕が立つと。 それだけしか知らなかった。 あとの尾ひれ背びれは余計なものだと切り捨てていたので。 「いいですよ」 そして、被写体になる許可をだした。 ただ単純に、 撮影する人物に興味が湧いて。 「でも、いきなり撮るのだけはやめてください」 玄関口。 が下駄箱を開けると、そこには一通の手紙が入っていた。 「あれ、さん」 の姿を見て、不二が向こうからやってくる。 は息をのんで、手紙を後ろ手に隠した。 「………どうしたの?」 様子のおかしいに、不二は訊ねる。 「………なんでも、ありません」 手紙を隠したまま後ずさったは、 簀の子の穴に気付かない。 穴に足を取られ、バランスを崩したは、 なんとか倒れることは免れたものの ひた隠しにしていた手紙を落としてしまった。 落ちた拍子に封が開く。 几帳面な文字が床一面にひろがる。 愛の言葉を語った文章。 女文字。 「………さっきの手紙は」 カメラを手にしたまま、不二は訊く。 撮影場所は、前と同じ、 桜の木の下。 はカメラのレンズを見つめる。 「捨てました」 カシャッ。 シャッターを切る音。 「なぜ?」 「………なぜって」 不二の質問の意図がわからず、は聞き返す。 カシャッ。 「なぜ、捨ててしまったの?」 は依然、レンズを見つめたまま。 「女性からの恋文だったから?」 不二は含みを持たせるわけでもなく、単純に訊く。 は苦笑いをする。 「別段、女性だとか男性だとかというわけじゃありません。私はただ」 「ただ?」 カシャッ。 「………恋愛感情に、興味がないだけです」 カシャッ。 「………興味がない?」 ファインダーから顔を上げて、不二。 はレンズから不二の瞳に目を移した。 「………それは嘘かもしれません。 私には、その感情がわからない」 ――― 私は何処か欠けているのかもしれない。 今度は、から不二に質問をした。 「あなたは、なぜ写真を撮るのですか?」 「写真を撮る理由?」 カメラを少しさげて、不二は考え込んだ。 そうだな、と続ける。 「世界が美しいから、かな」 は苦笑した。 「ずいぶん詩人ですね」 「あれ、本気なんだけど」 は不二の瞳を見つめる。 ………髪の色だけではない。瞳の色も、薄い色。 「………世界が、美しい?」 「うん、すごくね」 は顔を背けた。 カシャッ。 不二はまたファインダーを覗く。 「そうだ、さんは本を読むんだよね? たとえば、シェイクスピアは読む?」 はすこし顔をしかめた。 「読みました。不可解だった。 我の強い権力者に弱者が振り回されているようにしか思えなかった」 今度は不二が苦笑することとなった。 「そうだね、そういうところもあるかもしれない」 シェイクスピアは時代背景もあるからね、と不二。 「でも、そうだな……思いこみ、その通りかもしれない」 カシャッ。 「どういうことですか?」 「結局の所、恋愛感情なんていうのは思いこみかもしれない」 カシャッ。 「………不確かな感情ですね」 「そうだね」 「そんなものに」 カシャッ。 言いよどんで、は訊いた。 「………二十代の恋は幻想だといいますけど」 「ゲーテの言葉だね」 恋愛観・人生観とも言えるかもしれない、と不二。 「ゲーテの言うとおりに、そのうち私も真の恋愛を知ることができるんでしょうか」 カシャッ。 「どうだろうね」 「はい、さん」 手渡された自分の写真を見て、は驚いた。 「こんな顔を?」 そこに写っているのは、見たことのない笑顔をしている自分。 「うん。さんは、こんなに綺麗に笑える」 微笑みは、どこか懐かしく、 いつか見た表情。 「でも、今のキミの表情はまた違う。 その写真は過去のキミを写したものでしかない」 は写真から顔をあげる。 ――― だけど、その過去あっての今のキミだよ。 「この 『私』 よりも、美しくあることは可能ですか?」 「それは、キミ次第」 ――― それでも、そうあろうとするならば。きっと。 はらはらとの瞳から涙が零れる。 捨ててしまった手紙の主を想う。 涙で、視界がぼやける。 これまでに自分がしてきたこと。 悔やむ気持ちを思い出す。 涙の視界に、光が差しこむと、 きらきらと眩しい世界に包まれた。 *あとがき* 不二周助ドリ、正統派を目指してみました。 ひねくれとる。 石蕗柚子、どうしようもない。 なんとかします。 2004.07.05 石蕗柚子 <<戻る |