人工呼吸器の体験記(談)は見たことも聞いたこともないという声が多いので、原告団員の水野雅信の「詩」を載せました。


人工呼吸器から戻って

入院4ヶ月半、自宅療養4週間、なお息苦しい日々のなかで


「希望はうしなっていません」という言葉はあっても

「なおります」とは言ってもらえない

 

人工呼吸器が挿管された九日間。本人は意識も遠のいて何の記憶もないが

家族は泣いていた。友は反応のない手を握ってひそかに別れを告げていた

 

肺気腫の上に喘息で三度目の重発作 二度あることは三度ある、というのか

三度目の正直でもうダメなのか

今までの二回も 命をかけたギリギリのところで 何とかもどってきたのだった

 

九日間はのど深く差し込まれた人工呼吸器による強制的な呼吸の繰り返しだった

手も足も鼻の穴まで点滴だ 医師団の懸命な治療 二十四時間の看護が続く

その結果 抜管とともに自力呼吸にもどることができた

 

「自力呼吸している!」 医師の大きな声で目覚めたとき

なんだかポカンとした気分だった なにもまだわかっていないのだった

しかし息が苦しい とにかく苦しい

酸素8(1分間に8リットルの酸素供給)でも話ができない

 

脱力してしまい、自分では顔も拭けない 大小便もできない

ベッドに座ることもできない

何もできないのである ただ息をしている ひといき 一息が全てなのだ

 

何もしない できないので 時間が止まったようになる

息苦しい夜がもう明けないのではと思えてくる

やがてまた息がつまってしまうような 不安に襲われる

 

ようやく朝がくる

一日・二日・十日・ひと月と日々を重ねるなかで 診察と検査・治療が続く

献身的看護に支えられ いきつもどりつし、ジグザグしながらも 回復してくる

 

顔が拭けるようになる 歯が磨けるようになる ヒゲが剃れるようになる

やがて

ベッドの上で小便ができるようになる ベッドの脇で大便もできるようになる

ベッドに座って生意気なことを言えるようになる

食事をすることもできなかったのに うまいだの もうひとつだのと言っている

人間に戻ってくる そうなると心も人間らしくなる

まだ息は苦しいが 話ができること  気持ちが通いあえること

あたりまえのことが 最高にうれしい

 

生きていることがわかる 生きかえったことが実感できる

家族が 友だちが 仲間がいることが うれしい、ありがたい

便りがある 見舞いにきてくれる

ひとのやさしさ 思いやりが 身に沁みる

 

生きて 人間の世界にもどることができた

ことばがかわせる 握手ができる 笑顔の交歓ができる

何ていいんだろう

ありがとう ありがとうと走りまわりたい

そんな思いに満たされている

 

「お互いに元気」これが一番だね


 
水野雅信 2001年9月15日



 作者はこの時59歳、肺気腫の悪化により現役を引退して横浜市従業員労組の特別執行委員でした。お世話になった仲間や友人、頑張っている多くの組合員などに退院の報告と感謝の気持ちをあらわしたものです。しかし復帰を果たせず未発表のままとなりました。

 その年11月に再入院、再び人工呼吸器の治療を受けるなど、いままでに10回の入退院を繰り返しています。

 今は24時間の酸素吸入、動くと「陸にいて海で溺れる如し」の息苦しさに陥ることも多くなっています。肺気腫の進行は「息苦しさが増してくる」不安と恐れに向きあうことになります。「悪くなるだけ」なのが始末におえません。

 しかし主治医の助言を受け、リハビリに努め、何とか現状を維持したいと考えています。

 家族や友人、仲間たちの思いやりとやさしさに支えられて今日に至っています。たばこ(病)をなくす為原告の一員として頑張るつもりです。(2004年12月)

このページのトップ