「この国の民主主義はかたちだけでいい」・・・・ 映画「新聞記者」のなかの極め付きセリフ

日本のまあまあ正常な新聞としてあげるとしたら、私は東京新聞をあげる。


その新聞社の記者である望月衣塑子氏原案の映画「新聞記者」を、片道2時間(車で)をかけて見に行った。表層的なエンターテインメント作品なのか、現政権の闇部分を果敢に描いた作品なのか、知りたかったからである。


政治権力とメディアとの戦いをシビアに描いた良質の映画としては、外国制作品はけっこうあるが、日本制作品としては、たまに、それらしきものは無いことはないが、男女の恋愛を挿入したりして娯楽作品仕立てだったりするから、いつもがっかりさせられてきた。


さて、感想であるが、2つの良い期待はずれがあった。つまり、力作である


その1・・・劇場に入って気がついたのは、平日だというのに、観客が多く、しかも私の年代ばかりだったことである。外国制作のこの手の映画はよく見に行くが、かつて、観客動員数は多くて10人程度だったからである。まあ、平日の昼間であるから、働き盛りの若い人が見に来れないことは分かるが、それにしても一般的にはNHKを信奉し、保守とみられている高齢者である、「新聞記者」のような映画に興味があるとは思わなかったからである。


その2…現政権の名は出してはいないが、内閣のインテリジェンス(情報)体制がよく描かれている。所狭しと配置されているコンピューター前のコマ(上からの命令だけで作動するのであればもやは人間ではない)たちがあらゆる情報を探り、政権に都合の悪い情報を消していく映像は、米国映画の「スノーデン」を彷彿とさせ、情報調査室のほんとうの姿を表していると思った。真実に近く描かれているというのが、2つめの良い期待外れである。


たとえば、上司が、国会前でデモをする人々の顔写真を赤丸で示し、これを公安に持っていけと命令する場面は、かつて、デモに参加して、「プラカードを下ろさなければ、公安にしょっぴかれるぞ」と脅された経験のある私としては現実味のある画面であった。


誰でも自分が大切である。自分の家族が大切である。だから、内部告発はできない。告発する(しようとする)ものは殺されるか、自殺に追い込まれるかのどちらかである。内部告発の覚悟をしていた主人公に向かって、そのことに疑念をもった情報室長は、口止めの手段として、彼が望んでいた外務省への移転オファーを口にする。


誰も内部告発をしない人間を責めることはできない。かといって、日本社会がこのままでいいとも思わない。考えなければならないのは、最後に情報室長が言った「この国の民主主義はかたちだけでいい」という言葉である。


もちろん、この言葉の発語者が実際に存在するわけではない。映画のなかのセリフである。しかし、昨今の施政者の姿勢からして然もありなんである。本当に、日本の民主主義はかたちだけでいいのか? 


権威・権力をもっていない一般市民が本当の民主主義を手に入れるためには、投票の権利を行使するしかない。ひとりひとりは一票しか持っていないが、全員がその一票の権利を行使すれば、大きな力になる。少なくとも投票率を80%以上にもっていけば、かたちだけではない民主主義を取りもどせるかもしれない。行政人は選挙で選ばれるわけではないが、この国の主権者は国民だということを知らしめる手段にはなる。

たった一票しかない権利を放棄するということは、たとえば、消費税の件、年金の件、非正規雇用の件、上級国民への法の不平等措置、等々、施政者から何をされてもいいと表明することである。それが嫌なら、一票の権利を行使してほしい。国民の全員が投票に行くことが当然である日本になってほしいと心から願う。