嘘が日本人を殺していく
もう10年ぐらい前の話である。税金(つまり他者の金)で米国留学をしたと自慢げに言う老医師と話す機会があった。何の話をしていたかは憶えていない。当時首相だったかどうか、「小泉」を敬称なしで「小泉」と呼んだら、非難をこめて「呼び捨てですか」と言われた。そのとき私の腹のうちに沸きあがった言葉は、ここでは控えるが、ただ一言つけくわえれば、軽蔑している人間を《さん》付けで呼ぶことはできないである。
今に限ったことではないが、最近テレビメディアから流れてくる政治家や官僚たちによる噓八百の発語、加えて権力者にへつらうコメンテーターたちの、真実の核をそらした見苦しい発語が聞くに絶えない。軽蔑以外にない。
さて本題にはいる。世界中でCoVid-19パンデミックであっても、一部アスリートが何を言おうと、安倍の「完全な形で五輪を開催する」、森の「なんとしても7月24日から実現したい」という発語、そして五輪開催に変更なしというスタンス発語で終始していた小池だった。そのためには東京都の感染者数を増やしてはならないから、PCR検査も重傷者にかぎっていた、感染者数をも捏造していたという疑いはぬぐえない。
ところが、前日の今日、舌の根の乾かぬ内に、彼等の発語内容は唐突に反転した。五輪東京は延期されることになったからである。小池は、それまでコロナのコも言わなかったのが、唐突に「ロックダウン(都市封鎖)もありえる」とまで発語したのである。
当然のように、五輪延期発表の翌日の東京都の感染者は41人と過去最多になった。ほんとうの数値は少なくとも10~100倍はあるだろうというのが私個人の推測である。とにかく、小池の唐突的なこの言葉反転は、彼女にとってCoVid-19属撲滅よりもオリンピックのほうが重要だったという証である。つまり都民の命などどうでもいいと思っている証である。
嘘、嘘、嘘…!
遡れば、五輪東京招致は安倍の「福島原発はコントロール下にある」という嘘から始まっているのだから、今回の五輪騒動は当然の帰結なのかもしれない。
「嘘」という字は「口」偏に「虚」という旁(つくり)で構成される。したがって、虚ではじまったことは虚で終わる。虚から実は生まれない。嘘には実がなく、軽いからどこまでも飛ぶ。CoVid-19属も、彼等の嘘八百(インフルエンザと同じ…等々)に乗って、どこまでも飛び日本中を覆う。
政治家や官僚たちは、昨日と真逆なことを言っても、前言撤回の謝罪を言わないでもいいらしい。そうなると、嘘を言うことは彼らの特権ということになる。いや、違う。嘘は嘘である。特に彼らの嘘は他の誰の嘘よりも許されないことは万人周知の事実である。
政治家や官僚つまり統治者の嘘を、いったい誰が許さないのか? もちろん私たち一般市民である。法治国家が法治国家としてなりたつ基盤である。
その観点から言っても、森友問題の文書改竄を強要されて自殺にまでおいこまれた財務省職員赤木俊夫氏夫人の告発は、日本人一般市民がサポートしなければならない重要事案である。
麻生は「手記と調査報告書は大きな祖語はない。再調査を行うことは考えていない」と麻生が言ったが、この言葉は嘘の塊である。彼らの嘘が日本を腐らせ、日本人を殺していく。嘘をのさばらしてはならない。