「解釈の変更」しての法/政務執行は無効
発端は、衆院本会議における安倍による「国公法の規定が適用されると解釈することにした」という言葉である。検察庁法22条の規定に違反しているにもかかわらず、国家公務員法の規定を持ち出して、つまり、黒川検事長の定年を延長した。
Q: 適用される対象は何?
A: 定年延長である。
Q: 定年延長されるその主体は?
A: 黒川検事長である。
Q: 検察官に関する規定なら、検察庁法がある。何故に、国家公務員法を適用するのか?
A: 安倍は国家公務員法を適用してまでして黒川に検察官でいて欲しいからである。
Q: 黒川が定年退官したら、安倍は困るのか?
A: 言えることは、モリカケ、さくら問題等、限りなく黒であっても起訴を免れているということ。
小説・文学の範疇であれば、解釈は読み手に任せられるが、憲法・法律等の法規範を構成する日本語は絶対的存在であり、この絶対性は誰からも侵害されない。読み手による恣意的解釈を許したら日本の社会秩序は維持できなくなる。したがって、たとえ首相であっても法律条文の解釈変更は許されない。つまり、黒川の定年延長は無効ということだ。
ちなみに、次の森法相の言葉「従前の解釈を変更することが《至当》であるとの結論が得られたので、法改正によらず、今般の解釈変更を行った」はまったく意味不明である。というよりも、支離滅裂。《至当》という結論を導くための根拠が述べられていない。言語脳に問題でもあるのかと疑わざるをえない言葉使用である。
検察庁法を改正したいのであれば、まず黒川弘務を予定通り2月8日にさかのぼって退官させ、それから検察庁法改正を行う。これが至当(いたって当然)な順番である。