「指名」versus「任命」日本学術会議6メンバーの任命拒否



広辞苑に載る「指名」の意味は「特にこの人と指定すること」であり、任命の意味は「職務を命ずること」とある。同じような意味に見えるが、社会科の教科書から学んだ「指名」と「任命」との違いは明確に私たち日本人に示されている。、かつ日本国憲法の第六条が実際に明文化している。


第6条…@天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する。A天皇は、内閣の指名に基づいて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

したがって、「指名」は実際にこの人と選択することであり、「任命」はあくまでも形式である。かりに、天皇が、国会が選んだ人を任命拒否したら、たとえば、菅は内閣総理大臣として不適格とし、任命を拒否するとしたら、どうだろうか? 答えは天皇による違憲行為である。


言葉は命を持つ。特に、「指名」や「任命」のような日本国憲法に使用されている言葉の意味は絶対であり、他の解釈はゆるされない。



さて、日本学術会議のメンバー6人の任命が菅によって拒否された。

大した事件ではないと大方の日本人(被統治者)は甘く構えているかもしれないが、菅がおこなった任命拒否は、新型コロナウイルスよりもたちが悪い。何故なら、遺伝子をもつウイルスだが、その遺伝子には振る舞いの青写真はふくまれていない。つまりウイルスは故意に宿主を選択しないが、人間は意思をもって企みを実行するからだ。



さて、学者が時の政府と一体となり、戦争を美化し、被統治者(一般日本人)が犠牲となった過去がある。このことから、日本学術会議のメンバーは絶対に御用学者であってはならない。しかし、現状は理想通りにはいかない。歴史からも知れるように、時の政府が選択するのは政府に都合のよい意見を述べる御用学者であり、都合の悪い意見を述べる学者は排除する。



では、今回、メンバーから外された6人の学者たちはどちらなのだろうか。簡単に見る。

1、宇野重規教授…特定秘密保護法に対して「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判した。

2、岡田正則教授…「安全保障関連法案の廃止」を求め、辺野古の米軍新基地問題をめぐって政府の対応に抗議。

3、小沢隆一教授…安保関連法案について「歯止めのない集団的自衛権の行使につながりかねない」と違憲性を指摘。

4、加藤陽子教授…改憲や特定秘密保護法などに反対。

5、松宮孝明教授…「改正組織犯罪処罰法案」について、戦後最悪の治安立法となると批判。

6、芦名定道教授…「安全保障関連法に反対する学者の会」や、「自由と平和のための京大有志の会」の賛同者。


以上6名の立場は彼らの意見から明白である。反御用学者の立場である。したがって、安倍の傀儡政権である菅政権が彼ら6名を排除した理由は、「眼の上のたん瘤は取り去る」である。つまり、これらたん瘤を取り去り、「日本を戦争できる国」へと突きすすめたいのである。



菅は、日本学術会議維持のために年10億5000万円が使われていると、さも自分が金をだしているように言っていたが、その金は税金(兄弟の血)である。日本学術会議が国民の命をまもる組織なら、国民は自分たちの血を提供するが、そうでなければ一滴も提供したくないだろう。



この問題が出てきて以来、メンバー選出方法が民主的でない等、日本学術会議を貶めるような、やっかみ意見が出ている。東大・京大等の学歴・職歴に対する屈折したコンプレックスをもつのは市井の人々だけではなく、政治家たちも例外ではない。この問題を複雑(complexコンプレックス)にする要因である。



したがって、日本学術会議が創立の原点にもどり、メンバーの全員が前述学者6名のように、科学と論理をもって時の政府と対峙する。それくらいのガッツがなければ、いずれ中身をぬかれて形だけ残っているということになるだろう。そうなったら、一番被害を受けるのは被統治者の一般市民である。



権力にへつらうことなく、科学と論理を尽くす。これが「学問の自由」の基本である。

日本学術会議のメンバーは学者の代表者ではなく、被統治者(一般市民)の代表者となって、科学と論理をつくして命をまもる。これが「学問の自由」の総合的、俯瞰的観点である。