オリンピックの黒い本性/中止する権利はIOCにある
日本においても変異株ウイルスが主流となり、感染率、重症化率、死亡率が高くなってきている。このウイルスが日本に上陸して以来、政府はウイルス蔓延を抑え込むよりも、むしろPCR検査実施を惜しみ、GOTOキャンペーン実施で日本中に新型コロナウイルスをばらまいた。良心のひとかけらもない彼らはこの段になっても五輪開催継続を叫ぶ。
「私は悪くない。悪いのはおまえだ」と、五輪相が東京都都知事にくってかかっていた。
日本が、いや世界がこんな状態なのに、何が何でも五輪ありとする今の日本を見ていると、一つの命を守るためにポツダム宣言受諾を躊躇して二つの原爆を日本の地上に落とさせた歴史的過去がよみがえる。つまり、昭和天皇の命とひきかえに国民の命を犠牲にした日本の汚点的歴史である。いつの時代でも犠牲者は為政者ではない。一般国民である。
国民はこんな状態なのに、市井は一人のお姫様の結婚問題がかまびすしい。社会経験のない何ひとつ不自由なく暮らしてきた深窓のお姫さまにとって、小室家は非常に魅力的に見えるのであろう。なにしろお姫様にとって小室家は「異質認知システム」である。そのなかに入ってみなければその異質さは分からない。
一人のお姫様が不幸になろうとなるまいと、どうでもいいことだが、一人の人間として自由に伴侶を選べない不自由さは理解できる。しかし、辛辣に言えば、お姫様を何不自由なく養ってきたのは血税つまり真の養い親の国民である。国民のなかには家を失ったり、今日の食事もままならない人たちがいるなかで、そのことを自覚しないかぎり、白馬の王子はけして現れない。たとえ現れたように見えても、それは実相ではない。
この問題と五輪問題とどう関係があるかというと、お姫様が悩ましいのは、血税から支払われる1億円超の結婚一時金は諦めたくない、損はしたくない。同じく、五輪も中止したら莫大な賠償金が生じて損をする、損はしたくない。
ところで、「開催都市契約」によれば、東京五輪を中止する権利は日本にはなくIOCにある。その契約書には開催義務を免除する条項も、天災地変のような不可抗力条項もない。仮に、中止/開催に関してIOCともめたときは、スポーツ仲裁裁判所で裁判が開かれ、多額の賠償金の支払いを命じられるかもしれない。だから、誰も「中止」を口走れない。これがIOCに支配された昨今のオリンピックの黒い本性である。
こんな真っ黒なオリンピック、誰が招致した? 「福島はアンダーコントロール」という嘘をもって。その嘘の「つけ」を今、国民は支払わされようとしている。命をもって。
地球温暖化が加速され、それにともなって何が人類におきるか分からない時代、現に世界が新型コロナウイルスに翻弄されているにもかかわらず、なにがなんでもオリンピックを強行しようとするIOCの姿勢は問われられなければならない。競技ごとの世界大会が行われている昨今、もうオリンピックそのものの廃止が議論されてしかるべきである。