開催都市契約を再度読んでみた(3)
71)予測できない、または不当な困難
本契約の条項により,OCOG(組織委員会)に影響する本契約の締結日には予見できなかった不当な困難が生じた場合、OCOGはその状況において合理的な変更を考慮するようにIOCに要求できる。ただし、当該変更が、本大会またはIOCの何れに対しても悪影響を与えず、さらに当該変更が、IOCの行使する裁量に委ねられることを条件とする。IOCは、当該変更につき考慮、同意または対応する義務を負わないことが理解され同意されている。
今回の予見できなかった困難とは、本契約の条項ではないが、まさに新型コロナウイルスのパンデミックであろう。これを念頭に読めば(71)がよく分かる。
(71)に則って東京オリパラの一年延期が実現したと想像される。と言っても、赤線文章が述べているように、変更に関する行使裁量の支配力はIOCにあり、しかも、変更に関して考慮、同意、対応する義務はIOCにないと理解され同意されている、とある。こんな不平等契約は、正当な法規論からすれば最初から無効であるべきなのだが、IOCは法規範を超えた世界の絶対的神なのであろう。皮肉(アイロニー/irony)をもって、オリンピックさまさまということか。
まあ、こんな契約書にサインした当時の都知事の馬鹿さ加減も問わられなければならないが、それだけオリンピックには狂気を超えた狂気が宿っているということだろう。
狂気はもう一つある。もう一度マリオを演じたかったであろう安倍の狂気である。「人類がコロナウイルス感染症に打ち勝った証としての大会にしなければいけない」という国会における発語が安倍の狂気を示している。一年もすればコロナは収束すると見誤り、自分の在任中に五輪を開催したかった自分勝手の狂気である。
昨年2020年の4月24日に、元総理の安倍とIOC会長のバッハが電話会談をした。その会談のさい、両者はオリンピック「一年延期」という方針で一致し、安倍が主張したオリンピックの中止(キャンセル)は無いということでも認識しあったという。森・元組織委会長による二年延期という意見もあったにはあったらしいが。
これほどの嘘と狂気で日本人を不幸においやる/おいやった宰相もめずらしい。さすがに世界に知れ渡ったA級戦犯の孫である。