二つの同調圧力・・・接種と五輪
新型コロナの東京感染者の数が急増加している。昨日がたしか3300人で、今日は4000人超。全国の合計数は優に1万人を越えている。緊急事態宣言の効果は一切にないように見えるが、いや、あるのかもしれない。あるから、この程度で収まっているのかもしれない。それにしても、五輪強行開催の影響は少なくはないだろう。五輪村はパラレル(parallel/平行)ワールドだから、市井の感染とは関係ないと、IOCは主張するが、それはあたっていない。平行とは、同平面上にある2直線がどこまで延長しても絶対に交わらない状態である。パラレルワールドなど絵にかいた餅で、業者やボランティアが出入りする、五輪村住人が観光にでかける、等々、2本の線はあらゆるところで交差しているのに、平行だと言う。最近の幾何学における平行とはそういう定理かい?
さて、話は少し反れる。私は、なにせ、大のスポーツ音痴だから、体育の授業時間を楽しいと思ったことはない。しかし、私のころは、生徒を一律に強制させることはなかったから、適当に体育の時間をさぼることができた。たとえば、跳び箱である。私は一番低いものさえ、跳び箱の中央に尻を落としてしまい跳べなかった。その高さがだんだん高くなると、それさえもできなくなる。そこで、どうしたかというと、生徒たちが一列にならび、順に跳び越えいく、その列で、跳ぶ番が近づくと、さっと最後尾に移動したのである。言い訳のできないズルであるが、跳べないものは跳べないのである。今なら誹謗中傷の対象かもしれないが、教師も級友も何も言わなかった。日本社会に、「同調圧力はもうたくさん」という反省の意識がまだ残っていたのだろう。同調圧力の例を過去に見れば、一つの大切な命を、「万歳」三唱をとなえ、隣近所住民は「おめでとう」と祝い、みんなして戦場に送ってきた過去の反省である。
この同調圧力、いまもなお現存しているから驚く。過去の同調圧力は「国民は天皇の臣民」という大日本帝国憲法の後押しがあったが、現在は日本国憲法のもと、私たち日本人には基本的人権がある。
先日、間接リウマチの80歳(?)女性がmRNAワクチンを接種して亡くなった。かかりつけのリウマチ科の医者は接種はしばらく様子をみたほうがいいと助言したらしいが、老人会、町内会等、知り合いからの同調圧力を受けて接種にふみきったという。私の知人も言う。「打ちなさいよ、何故打たないのか」と姉妹兄弟から責められると。
命を落とさせるかもしれない行為を他者にさせようとする同調圧力は犯罪になりかねません。
「和して同ぜず」という論語があります。「仲良くはするが、考えは同じではない」という意味です。同調圧力をかけてくる知人には、「和して同ぜず」という言葉があります。
もう一つの同調圧力はテレビにおける五輪放映です。テレビをつければ、五輪、五輪、五輪の大合唱。チャンネルを変えても五輪、五輪、五輪。「金をいくつ」とか、「感動もののパフォーマンス」とか、感動を押し付けてくるアナウンサーの言葉は、これもいわば同調圧力以外のなにものでもない。意識・感情移入できないから画面はただ流れるだけだが、アナウンサーたちの特別の声音とイントネーションを駆使した興奮声音は、年寄りの遠くなった耳にがんがんと響いて頭がいたくなる。つまりうるさいのである。うっとうしいのである。もちろんテレビオフにするのだが、いつもの番組が見れない腹立たしさが沸騰する。なにしろ嘘と金で飾られた虚飾五輪、コロナ禍での強行五輪である。腹立たしさしかない。
「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」とはよく言ったものだ。
「五輪憎けりゃ、アスリートまで憎い」ってね! はやく終わってほしい、この五輪。