メダルのために、いくつの命が捧げられた/られるか、いまに分かる。
ようやく五輪は終わった。
選手村はパラレルワールド(parallel (平行)world)だから、ウイルスは交わらないというようなことを言ったのはIOCの誰だったけ? バッハの銀座観光を筆頭に結果的にはあらゆるところで交叉していたわけだから、パラレルどころかクネクネワールドである。
それはそれとして、日本社会のパラレルワールド状態に納得させられたのは、閉会式の次の日9日の朝だった。9日は長崎に原爆が落とされた日でもある。五輪が始まってからは五輪熱狂報道一色だったグッドモーニングがどういう風の吹き回しか、五輪熱狂から冷めたのか、コロナを扱っていたからだ。五輪閉会を待ってコロナについて報道する番組関係者の認識/態度は、「安心安全な五輪」という寝言をもって強行した菅以下IOCやJOCの関係者のそれと何ら変わらない。つまり、グッドモーニングをはじめとした報道番組は人命側ではなく、パラレルワールドのあちら側の住人だということが知れたのである。
一般のこころを持つ人間なら、簡単には表裏を使いこなせない。しかし報道番組の人間にとって、裏も表も同じなのであろう、今の今まで裏と言っておいて、次の瞬間に表と言っても、こころの痛みもなく、恥も感じず、表情一つ変えない。よく訓練されたロボットのようなもの、報道番組そのものは政府の特務機関のようなものであろう。政府に都合の悪いことはいっさい報道しない。報道番組にはもはや正義の欠片もないということを自ら示したのである。
五輪開催反対者は反対のための反対をしているわけではない。五輪を継起にコロナ感染が拡大することを予想しての心配が起点にある。だから人命をないがしろにした五輪熱狂報道には腹が煮えたぎるのである。しかも、速報までして金メダル獲得を知らせるあの災害時と同じ音は何なのだ。コロナに病んでいる人にとっては、まさに災害に見舞われる音である。
あえて言う。日本人の命いくつが、金メダル27個に捧げられたか、いまに分かると。
そういえば、IOCのバッハは言っていた。
「We have to make some sacrifices to make this possible」(これに関しては投稿済み)と。
さて、「sacrifices/生贄」は何人になるのだろうか?