ホームレス(社会的弱者)考





ネット社会において、DaiGo とかいう若い男性が、「ホームレスがいても得がない」とか言ったとかで,ネット上で叩かれている。


そこで思い出した。

ずいぶん昔の話である。子どもたちが家にいたから、その日は日曜日であったろう。娘に呼ばれて廊下に出たら、一人のやせほそった奇麗とは言えない男性が、庭先で、何も言わず、両の手を差し出して突っ立っていた。年のころは若くもなかったが、年とってもいなかった。私はすぐにさっして、家になにか、手のひらに乗せられるものがあっただろうか、頭をめぐらしながら、「ちょっと待って」と台所に走った。時間が悪かったのだろう、窯の中には握り飯にできるご飯はなかった。パンもなかった。しかし、バナナが二本残っていた。

男性はバナナを受け取ると、頭をさげて、庭を出て行った。そのあと、自己嫌悪感が私を襲ったのは、しばらく経ってからである。いくらでもいいじゃないか、何故お金を渡すことを思いつかなかったのかという後悔である。バナナ二本では電車にも乗れないし、雨がふってきても傘も買えないと。彼がホームレスだったかどうかは知らないが、まだ、日本ではホームレスの姿はめずらしい時代だった。


米国ではホームレスは珍しくない存在だった。しかも、彼らは堂々としていた。繁華街を歩いていると、堂々と「チェンジ/小銭」と言いながら要求してくる。子どもギャングのような連中の要求にはのらなかったが、たいていの場合、財布を開けて中身を覗かれるのはいやだったから、ポケットに小銭が入っているときだけは、手渡していた。


ある日、若い日本女性と歩いていたとき、老婆風の女性が近づいてきて小銭を要求してきた。私は彼女の要求にのったところ、同行の日本女性から非難を受けた。私が行った行為は「政府が行うこと」だと言ったのである。それはそうである。しかし、だからといって、そのときの空腹はそのときしか満たされない。私は口には出さなかったが、小賢しいことを言って、と思ったことを憶えている。





日本に帰ってきて、ホームレスとの遭遇は東京都の何口だったか、外に出てしばらく歩くと、それらしき男性がお尻を道につけて、うつむいてしゃがみこんでいた。人通りは多かったが、ただ横を通り過ぎるだけで、彼は誰からも注目を受けていなかった。彼は物乞いをしていたわけではなかったが、幸いに財布のなかには500円玉があったので、「パンでも買って」と彼の膝の上に置いて、その場を去った。



それから、一番ショックを受けたのは、地方の駅前に、ホームレスには見えない背広姿の男性が正座をして座っている姿を見たときである。うそー、日本はそこまでになっちゃったのという思いだった。そのときは列車の時刻に間に合うかどうかのときだったので、そのまま通りすぎたが、彼の人生に何があったのだろうと、のちのちまで考えさせられたものである。



だれでも、ホームレスになりたくてなるわけではない。アリとキリギリスの物語のキリギリスのように生きてきた結果、気が付いたら家を失っていたとしてもである。他者の不運を笑ったら、いずれその不運は自分の身の上にかかる。それよりも、「情けは人のためならず」である。人にかけた情けはいずれ自分にもどってくるという諺がある。



DaiGo君を擁護する気はもうとうないが、ただ、私たちが忘れてならないのは、弱者排除論を臆面もなく言ってはばからない麻生のような為政者がいて、のうのうと政治家として生きていけてる現実である。彼らはDaiGo君よりももっと最低かつ最悪な人間たちである。


たたくのであれば、料理しやすい小物ではなくてさ、料理しにくい大物をたたこうよ。