ワクチン一辺倒の言葉と戦中御用作家たちによる民衆教化の言葉
モデルナ社のワクチンに金属片異物が入っていて、同じロット・ワクチン接種で若い2人が死んだと報じられている。異物は金属片ではなく、ゴムだったなどというすり替え報道も行われている。接種会場に行列をつくって並ぶ若者たちの映像も報道されている。インタビューに答える若者たちの言葉は決まっている。「安心したいから早く打っておきたい」あるいは「自分と家族のために」である。この報道の欺瞞は、「打たない」という言葉は皆無だと、視聴者を誤解させることだ。くわえて、毎日のようにテレビに顔を出す専門家たちの言葉も決まっている。「コロナワクチンは安全・安心」
決して、ワクチン死亡者数を報道しない。ワクチンの敵であるイベルメクチンは危険だからと摂取忌避を訴える。テレビに出ては、毎回ワクチン推奨をすすめる専門家(?)たちの根拠のない言葉の放列に、思い出したのが、15年戦争(1931年の満州事変に始まり、1937年日中戦争、1941年太平洋戦争、そして1945年敗戦までの15年)時の軍部御用作家たちによる、民衆を体制へ隷属させるための戦争礼賛の言葉の数々、つまり民衆教化の言である。
具体的には、侵略文学の代表としては、ファッショ作家の直木三十五による「日本の戦慄」や、村松梢風の「熱河風景」がある。昭和13年8月に内閣情報局と陸海軍部から、日本文芸家協会理事長の菊池寛を通じて参集した文学者たちは、誘いにのってペン部隊として、かなりの支度金を受け取り、まるでスポーツ観戦をするかのごとき中国へ渡ったのである。
ペン部隊の面々は、菊池寛、尾崎士郎、小島誠二郎、佐藤春夫、北村小松、久米正雄、吉川英治、片岡鉄平、丹波文雄、吉屋信子、白井喬二、川口松太郎、浅野昇、岸田国土、滝井幸作等の合計22名。
ここでは、これら文学者としての心のうちを問うことはしない。私自身、彼らによる侵略文学を読んでいないからである。読みたいとも思わない。しかし一つだけ、高村光太郎による戦争賛美詩「必死の時」を紹介する。これは対米開戦直前に詠まれている。長すぎるので、途中すこし略する。
必死の時
必死にあり。
その時人きよくしてつよく
その時こころ洋々としてゆたかなのは
われら民族のならいである。
人は死をいそがねど
死は前方より迫る。
死を滅ぼすの道ただ必死あるのみ。
必死は絶体絶命にして
そこに生死を絶つ。
必死は狡智の醜をふみにじって
素朴にして當然なる大道をひらく。
・・・中略・・・
未練をすてよ、
おもわくは恥ぢよ、
皮肉と駄駄とをやめよ。
そはすべて閑日月なり。
われら現実の歴史に呼吸するもの、
いま必死のときにあひて
生死の区々たる我欲に生きんや。
心空しきもの満ち、
思い専らなるもの精微なり。
必死の境に美はあまねく、
烈烈として芳ばしきもの、
しづもりて光をたたふるもの、
その境にただよふ。
ああ必死にあり。
その時人きよくしてつよく、
その時こころ洋洋としてゆたかなのは
われら民族のならひである。
ちなみに、高村光太郎は自らの戦争協力を償い、戦後、岩手県太田村の山口地区で自耕自炊の生活を七年間送ったという。
文学者と軍部・侵略戦争との野合関係は、いわば文学者の主体性の欠落であった。この主体性の欠落を、今まさに、私たちは見せられていることに気づく。テレビに出てはワクチン推奨とイベルメクチン非推奨をしている専門家たちの主体性欠落である。