二〇一三年入試センター試験・国語文の検証



 今年の問題文は、日本を代表する近代批評家の小林秀雄によるものである。したがって、問題なく読めるだろうと期待して読んだ。私としても、面倒な検証作業は、できることなら御免こうむりたい。しかし、残念ながら、そうではなかった。 
 作品は鐔に関する内容である。その書き方は、歴史的発展過程が簡単に記述されてはいるものの、全体的には書き手の情緒的主観が主流の随筆であり、命題の真偽を確定するために論証するかたちの論文形式文ではない。そこで、起承転結等の一貫性には拘泥しないで検証することにしたが、残念ながら、意味論を崩している文がいくつかあったので、目に余る文のみを指摘していく。
 まず原文を段落順に記載して、そのつど意味論を壊している文に傍線を引き、考察していく。

「段落一」
  鐔というものを、ふとした機会から注意して見始めたのは、ここ数年来の事だから、未だ合点のいかぬ節もあり、鐔に関する本を読んでみても、人の話を聞いてみても、いろいろ説があり、不明な点が多いのだが。

「段落一」の検証
  作品を随筆とするなら、こういう書き出しもありとする。

「段落二」
  鐔の歴史は、無論、刀剣とともに古いわけだが、普通、私達が鐔を見て、好き嫌いを言っているのは、室町時代以後の製作品である。何んと言っても、応仁の大乱というものは、史上の大事件なのであり、これを境として、日本人の鐔というものの見方も考え方も、まるで変って了った。所謂鐔なるものは、この大乱の産物と言ってよいのである。私は鐔を弄ってみて、初めて、この事実に、はっきり気附いた。政令は無きに等しく、上下貴賎の差別なく、ドウリョウ親族とても油断が出来ず、毎日が、ただ強い者勝ちの刃傷沙汰に明け暮れるというような時世が到来すれば、主人も従者に太刀を持たせて安心しているわけにもいくまい。いや、太刀を帯取にさげ佩いているようでは、急場の間には合わぬという事になる。やかましい太刀の拵などは、もはや問題ではない。乱世が、太刀を打刀に変えた。打刀という言葉が曖昧なら、特権階級の標格たる太刀が、実用本位の兇器に変じたと言っていい。こんな次第になる以前、鐔は太刀の拵全体のうちの、ほんの一部に過ぎなかったのだが、拵無用の打刀となってみても、実用上、鐔という拵だけは省けない。当然、実用本位の堅牢な鉄鐔の製作が要求され、先ず刀匠や甲冑師が、この要求を満すのである。彼等が打った粗朴な板鐔は、荒地にばらまかれた種のようなものだ。

《意味論崩壊文その一・以下A文とする》
 こんな次第になる以前、鐔は太刀の@全体のうちの、ほんの一部に過ぎなかったのだが、A無用の打刀となってみても、実用上、鐔というBだけは省けない。

 A文が壊れているのは、接続詞「だが(傍線)」をはさんだ前文と後文とのあいだに整合性がないからである。具体的な破壊者は、逆接続詞の「だが」と、一文中に三つ存在する「拵(傍線)」である(説明しやすいように、それぞれの「拵」に番号を付しておいた。)。
 さて、逆接続詞「だが」の是非について結論を出すまえに、「鐔は太刀の拵全体のほんの一部」の意味を考察する。太刀時代の鐔は、装飾的な太刀の一部つまり鐔そのものも装飾的だったのか、それとも、装飾的な太刀であっても鐔そのものは装飾が省かれた実用的なものだったのか。どちらの意味なのかは「拵」の意味次第となるので、一文に三つ使用されている「拵」の意味をそれぞれ捉える必要がある。同じ言葉が一文中にいくつ使用されようと、すべて同じ意味として使用されていれば問題はないが、書き手の恣意で、それぞれ違う意味で使用されると、訳が分からない文になるからだ。そこで、一文に三つ使用されている「拵」に番号を付し、それぞれの意味を推測する。広辞苑に「拵」とは「構造、用意、身なり、やり方、刀剣の外装、柄・鐔・鞘など刀身を納める装飾的な部分」とあるので、当然に、Aの意味は「装飾」、Bの意味は「構造」である。何故なら、Aに関しては、打刀にかぎらずこの世に構造無用の道具が存在するわけがなく、Bに関しては、〈実用上〉ということわりがあるからである。「構造」か「装飾」か、どちらか不明なのが@の「拵」である。ところで、A文に入る前に「太刀とは特権階級の標格であり、打刀とは実用本位の兇器である」という記述があるので、「太刀は装飾的であり、装飾をすてたのが打刀」という理解を経て、@「拵」の意味は「装飾」であろうという解釈はなりたつ。ということで、「拵」の意味を特定してA文を書きなおすと、次のようになる。
 
 こんな次第になる以前、鐔は太刀の装飾全体のうちの、ほんの一部に過ぎなかったのだが、装飾無用の打刀となってみても、実用上、鐔という構造だけは省けない。 
 
 右記を読んで愉快な現象に気がつく。三つの「拵」の意味をそれぞれ特定すると、逆接続詞「だが」を挟んで前文と後文とのあいだに整合性が生じてきたことである。さて、「拵」という言葉への書き手のこだわりも理解できなくないので、B「拵」のみを残して添削しておく。
 
A文の添削
 こんな次第になる以前、鐔は太刀の装飾全体のうちのほんの一部に過ぎなかったのだが、装飾無用の打刀となってみても、実用上、鐔という拵だけは省けない。

「段落三」
 誰も、乱世を進んで求めはしない。誰も、身に降りかかる乱世に、乱心を以て処する事は出来ない。人間は、どう在ろうとも、どんな処にでも、どんな形ででも、平常心を、秩序を、文化を捜さなければ生きて行けぬ。そういう止むに止まれぬ人心の動きが、兇器の一部分品を、少しずつ、少しずつ、鐔に仕立てて行くのである。やがて、専門の鐔工が現れ、そのうちに名工と言われるものが現れ、という風に鐔の姿を追っていくと、私の耳は、乱世というドラマの底で、不断に静かに鳴っているもう一つの音を聞くようである。

《意味論崩壊文その二・以下B文とする》
  不断に静かに鳴っているもう一つの音を聞くようである。

「もう」とは「さらに」という意味である。したがって、「もう一つの音」と言うからには、すでに他の音が述べられていなければならない。ところが、ここに至るまで、そういう記述は一切ない。したがって、「もう」は削除が妥当である。

「段落四」
  信家作と言われる或る鐔に、こんな文句が彫られている。「あら楽や人をも人と思はねば我をも人は人とおもはぬ」。現代人が、言葉だけを辿って、思わせぶりな文句だとか、拙劣な歌だとか、と言ってみても意味がないのである。これは文句ではない。鉄鐔の表情なので、眺めていれば、鍛えた人の顔も、使った人の顔も見えて来る。観念は消えて了うのだ。感じられて来るものは、まるで、それは、荒地に芽を出した植物が、やがて一見妙な花をつけ、実を結んだ、その花や実の尤もな心根のようなものである。

《意味論崩壊文その三・以下C文とする》
  観念は消えて了うのだ。

 広辞苑によれば、「観念」とは「思考の対象となる意識の内容・心的形象の総称」という意味である。したがって、C文に続けて書かれている一文の「感じられて来るものは、・・・、その花や実の尤もな心根のようなものである」は、書き手自身が「感じられて来るものは」と言っているように、書き手の思念つまり観念以外のなにものでもない。「観念は消えて了うのだ」と書いたすぐ後に観念を書く。これは矛盾である。したがって、C文は削除が妥当である。しかし、あえてC文を添削するとしたら、「理(ことわり)のようなものは消えて了うのだ」とでもなるかもしれない。

「段落五」
  鐔好きの間で、古いところでは信家、金家と相場が決っている。相場が決っているという事は、何んとなく面白くない事で、私も、初めは、鐔は信家、金家が気に食わなかったが、だんだん見て行くうちに、どうも致し方がないと思うようになった。花は桜に限らないという批評の力は、花は桜という平凡な文句に容易に敵し難いようなものであろうか。信家、金家については、はっきりした事は何も解っていないようだ。銘の切り方から、信家、金家には何代かが、何人かがあったと考えられるから、室町末期頃、先ず甲府で信家風の鐔が作られ、伏見で金家風の鐔が作られ始めたというくらいの事しか言えないらしい。それに夥しい贋物が交って市場を流通するから、厄介と言えば厄介な事だが、まあ私などは、好き嫌いを言っていれば、それで済む世界にいるのだから、手元にあるものを写して貰った。

《意味論崩壊文その四・以下D文とする》
 それに夥しい贋物が交って市場を流通するから、厄介と言えば厄介な事だが、まあ私などは、好き嫌いを言っていれば、それで済む世界にいるのだから、手元にあるものを写して貰った。
 
 D文は言いたいことを思いついたまま口に出す口語体の文である。
 何を言いたいのだろうと読むと、言いたいことは次の三つのようである。
  @ 夥しい贋物が交って市場を流通するから厄介だが
  A 私は好き嫌いを言っていればすむ世界にいるのだから
  B  手元にあるものを写して貰った。
 ..さて、@ABの内容は接続詞「だが/だから」でつながりようがない互いに独立した文である。添削としては、@とAが関連するように、A文末に「気楽でいい(傍線)」を加え一文とし、Bは「段落六」の頭に移動させるが妥当である。

D文の添削
 それに夥しい贋物が交って市場を流通するから、厄介と言えば厄介な事だが、まあ私などは、好き嫌いを言っていれば済む世界にいるから気楽でいい。

「段落六」
  井戸茶碗の身元は不詳だが、茶碗は井戸という言葉はある。同じ意味合いで、信家のこれはと思うものは、鐔は信家といい度げな顔をしている。井戸もそうだが、信家も、これほど何でもないものが何故、こんなに人を惹きつけるか、と質問して止まないようである。それは、確定した形というより、むしろ轆轤や槌や鑿の運動の節奏のようなものだ。信家は、武田信玄の鐔師で、信という字は信玄から貰った、と言われている。多分、伝説だろう。だが、事実ではあるまいと言ったところで面白くもない事だ。伝説は、何時頃生れたのだろう。「甲陽軍鑑」の大流行につられて生まれたのかもしれない。「甲陽軍鑑」を偽書と断じたところで、幾つでも偽書が現れるほど、武田信玄や高坂弾正の思い出という本物は、生き生きとして、当時の人々の心に在った事を想えば、別段面白くもない話である。何時の間にか伝説を生み出していた鐔の魅力と伝説であって事実ではないという実証とは、何んの関係もない。こんな解り切った事に、歴史家は、案外迂闊なものなのだ。魅力に共感する私達の沈黙とは、発言の期を待っている伝説に外なるまい。

《意味論崩壊文その五・以下E文とする》
  それは、確定した形というより、むしろ轆轤や槌や鑿の運動の節奏のようなものだ。

 E文をもって書き手は何を言いたいのか明確でない。不明にしている最たるものが代名詞の「それ」である。そもそも、「それ」とは対象を読み手の領域内に投影して論じる中称代名詞である。いったい、書き手から「それ」と指し示されるものとして、読み手の領域内に何があるのか? 実際のところ何もありはしない。
 ?文の前文において、書き手が主張する「井戸もそうだが、信家も何故に人を惹きつけるかと質問して止まないようである」というようなことがらは書き手自身の主観であり、読み手の関知するところではない。したがって、「それ」だよと、読み手の領域に投影するわけにはいかない。ちなみに、書き手の領域内に存在することがらを示すことができるのは近称代名詞の「これ」である。
 私なら曖昧な代名詞ですまさず、「人を惹きつけてやまないもの」と確定して書く。書き手の意図に反するかもしれないが、曖昧に書いているのは書き手である。読み手から、どう解釈されようと仕方がない。

E文の添削
 人を惹きつけてやまないものは、確定した形というよりも、むしろ轆轤や槌や鑿の運動の節奏のようなものだ。

「段落七」
  信家の鐔にぶら下っているのは、瓢箪で、金家の方の図柄は「野晒し」で、大変異ったもののようだが、両方に共通した何か一種明るい感じがあるのが面白い。髑髏は鉢巻をした蛸鮹のようで、「あら楽や」と歌っても、別段構わぬような風がある。
「段落七」・・・問題なし

「段落八」
  この時代の鐔の模様には、されこうべの他に五輪塔やら経文やらが多く見られるが、これを仏教思想の影響というような簡単な言葉で片附けてみても、どうも知識の遊戯に過ぎまいという不安を覚える。戦国武士達には、仏教は高い宗教思想でもなければ、難しい形而上学でもなかったであろう。仏教は葬式の為にあるもの、と思っている今日の私達には、彼等の日常生活に糧を与えていた仏教など考え難い。又、考えている限り、クウバクたる問題だろう。だが、彼等の日用品にほどこされた、仏教的主題を持った装飾の姿を見ていると、私達は、何時の間にか、そういう彼等の感受性のなかに居るのである。

《意味論崩壊文その六・以下F文とする》
  だが、彼等の日用品にほどこされた、仏教的主題を持った装飾の姿を見ていると、私達は、何時の間にか、そういう彼等の感受性のなかに居るのである。

 文頭の逆接続詞「だが」が適切でない。F文の「...感受性のなかに居る=感じとる」は、前文の「又、考えている限り、クウバクたる問題だろう=考えても要領をえない」と異質な内容ではなく、むしろ同質な内容だからである。したがって「だが」は削除が妥当である。
 次は連体詞の「そういう」について考察する。書き手から「そういう彼等の感受性」と言われて、「ああ、ああいう感受性ね」と、読み手が合点するほど、文中に戦国武士達の感情に関する記述があるわけではない。つまり、「そういう」とは、読み手が想像しようがない、書き手の頭のなかにあるもやっとした風景なのである。したがって、削除が妥当である。

F文の添削文
  彼らの日用品にほどこされた、仏教的主題を持った装飾の姿を見ていると、私達は、何時の間にか彼等の感受性のなかに居るのである。

「段落九」
  何時だったか、田辺尚雄氏に会って、平家琵琶の話になった時、平家琵琶ではないが、一つ非常に古い琵琶を聞かせてあげよう、と言われた。今でも、九州の或る処には、説教琵琶というものが遺っているそうで、地鎮の祭などで、琵琶を弾じながら、経文を誦する、それを、氏の音楽講座で、何日何時に放送するから、聞きなさい、と言われた。私は、伊豆の或る宿屋で、夜、ひとり、放送を聞いた。琵琶は数分で終って了ったが、非常な感動を受けた。文句は解らないが、経文の単調なバスの主調に、絶えず琵琶のバンソウが鳴っているのだが、それは、勇壮と言ってもいいほど、男らしく明るく気持ちのよいものであった。これなら解る、と私は感じた。こういう音楽に乗って仏教思想は、学問などに用はない戦国の一般武士達の間に滲透したに違いない、と感じた。仏教を宗教だとか思想だとか呼んでいたのでは、容易に解って来ないものがある。室町期は時宗の最盛期であった。不明なところが多すぎるが、時宗は民衆の芸能と深い関係があった。乱世が来て、庶民的な宗教集団は、庶民とともに最も早く離散せざるを得なかったであろうが、沢山の遊行僧は、従軍僧として戦場に入り込んでいたであろう。彼等は戦うものの最期を見届け、これをその生国の人々に伝え、お札などを売りつけて、生計を立てていたかも知れない。そういう時に、あのような琵琶の音がしたかも知れない。金家の「野晒し」にも、そんな音が聞こえるようである。

《意味論崩壊文その七・以下、二文をそれぞれGの前文、Gの後文とする》
  前文・・・...不明なところが多すぎるが、時宗は民衆の芸能と深い関係があった。
   後文・・・...乱世が来て、庶民的な宗教集団は、庶民とともに最も早く離散せざるを得なかったであろうが、沢山の遊行憎は、従軍僧として戦       場に入り込んでいたであろう。


 前文で、「時宗は民衆の芸能と深い関係があった」と書き、後文では、「庶民的な宗教集団は...離散した」と書く。「民衆の芸能」と「庶民的な宗教集団の離散」とは、どういう関係があるのか、何も記述されていないから、前文と後文とのあいだに関連性がない。つまり、前文を後文へと渡す橋がないから、読み手は文脈の谷に落下してしまうのである。では、どういう言葉の橋があれば、読み手は後文へと無事に渡ることができるのか? 
 読解行為は推測ではないが、推測しなければ検証はすすまないから、好意的に推測すると、「宗教集団」という言葉から、時宗に特徴の「集団で踊る念仏踊り」のことを思い出す。まあ、この推測が正しいかどうかは書き手のみの知るところだが、次のように、前文に説明句(傍線)を挿入すれば、読み手は谷に落ちることはない。

G文の添削
 不明なところが多すぎるが、時宗は、集団で念仏踊りをするなど、民衆の芸能と深い関係があった。乱世が来て、庶民的な宗教集団は、庶民とともに最も早く離散せざるを得なかったであろうが、沢山の遊行僧は、従軍僧として戦場に入り込んでいたであろう。

「段落十」
  鉄鐔は、所謂「下剋上」の産物だが、長い伝統的文化の一時の中断なのだから、この新工芸の成長の速度は速かった。平和が来て、刀が腰の飾りになると、鐔は、金工家が腕を競う場所になった。そうなった鐔は、もう私の興味を惹かない。鐔の面白さは、鐔という生地の顔が化粧し始め、やがて、見事に生地を生かして見せるごく僅かの期間にある。その間の経過は、いかにも自然だが、化粧から鐔へ行く道はない。

《意味論崩壊文その八・以下H文とする》
 鉄鐔は、所謂「下剋上」の産物だが、長い伝統的文化の一時の中断なのだから、この新工芸の成長の速度は速かった。

 H文のかたちもD文と同じ「...だが、...だから、...」である。書き手は、よくよく、この何を言っているのか判らない口語体が好きなのだろう。意味不明な悪文であるが、とりあえず分解すると、次のようになる。
  @鉄鐔は、                
  A所謂「下克上」の産物だが、
  B長い伝統的文化の一時の中断なのだから、
  Cこの新工芸の成長の速度は速かった。

 @が主語(主部)で、AとBは条件節であり、Cが述部である。@からCまでの読解を妨げるのがBである。何故か? Bは、「...だから」で終わる理由文であるが、その内容がCであるための特定(specific)な理由になっていないからである。「長い伝統的文化の一時の中断は新工芸の成長の速度を速める」という原則でも存在しているのであれば、Bは正当な理由節となるが、鉄鐔にも伝統的文化にも疎い私には解らない。したがって私にはH文を添削することはできない。しかし、そこをあえて行うとすれば、Bを削除するしかない。

《意味論崩壊文その九・以下I文とする》

 その間の経過は、いかにも自然だが、化粧から鐔へ行く道はない。
 
 I文の「化粧から鐔に行く道はない」という表現は、文中の言葉「いかにも」を借りて表現すると、いかにも美しく響くが、意味的にはいかにも唐突で読解不可能である。
 書き手が言う「化粧」とは何なのか? I文の前文に「化粧」という言葉は出てきているものの、「化粧」という言葉が説明されているのは、後文つまり次段落においてである。「段落十一」の第一文に「鉄の地金に、鑿で文様を抜いた鐔を透鐔と言うが、この透というものが鐔の最初の化粧であり」とあるから、書き手が言いたい「化粧」とは「透」のことだと判明する。したがって、「化粧から鐔へ行く道はない」という言葉の意味は、「透から鐔へ行く道はない」となる。
 「読む」とは、前から後へと順よく読み進めることであり、後から前に、あるいは前後を行ったり来たりすることではない。したがって、I文の前に「化粧とは透」のことという説明文が必要なのである。「化粧」は一般的(general)な言葉であり、「透」のことを特定(specific)しているわけではないからである。そこで、「段落十一」の第一文から「鉄の地金に、鑿で文様を抜いた鐔を透鐔と言うが、この透というものが鐔の最初の化粧である」を、「段落十」へと移動させる必要がある。
 さて、饒舌なI文であるが、「透」という鐔の化粧に対する書き手のこだわりのような心情をくみとり、削除はひかえて、「段落十」全体の添削は次のようにした。

「段落十」の添削
 鉄鐔は、所謂「下克上」の産物だが、この新工芸の成長の速度は速かった。平和が来て、刀が腰の飾りになると、鐔は、金工家が腕を競う場所になった。そうなった鐔は、もう私の興味を惹かない。鉄の地金に、鑿で文様を抜いた鐔を透鐔と言うが、この透というものが鐔の最初の化粧である。鐔の面白さは、鐔という生地の顔が化粧し始め、やがて、見事に生地を生かして見せるごく僅かの期間にある。その間の経過は、いかにも自然だが、化粧から鐔へ行く道はない。

 HやIのような文を読まされると、つくづく思う。利口な人には己だけに通用する自明が存在するらしく、そういう人が何かを書くと、その自明が作用して言葉足らずになる。あるいは、自己満足的に己の表現にふけるから、読み手の理解にまで考えがおよばない。辛辣に言えば、己の文が間違っているという認識がいっさい無いから困るのである。

「段落十一」
  鉄の地金に、鑿で文様を抜いた鐔を透鐔と言うが、この透というものが鐔の最初の化粧であり、彫や象嵌が発達しても、鐔の基本的な装飾たる事を止めない。刀匠や甲冑師は、ただ地金を丸く薄く固く鍛えれば足りたのだが、いつの間にか、星だとか花だとか或は鎌だとか斧だとか、日常、誰にでも親しい物の形が、文様となって現れて来た。地鉄を鍛えている人が、そんな形を抜きたくなったのか、客の註文に答えたのか、そんな事は、決して解る筈がないという処が面白い。もし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう。装飾は、実用と手を握っている。透の美しさは、鐔の堅牢と軽快とを語り、これを保証しているところにある。様々な流派が出来て文様透がだんだん巧緻になっても、この基本の性質は失われない。又、この性質は、彫や象嵌の世界ででも、消極的にだが守られているのであり、彫でも象嵌でも、美しいと感ずるものは、必ず地金という素材の確かさを保証しているように思われる。戦がなくなり、地金の鍛えもどうでもよくなって来れば、鐔の装飾は、大地を奪われ、クウソな自由に転落する。名人芸も、これを救うに足りぬ。

 まず、第一文(傍線)を整理しておく。第一文のうち、前節の「鉄の地金に、...と言うが、...化粧であり」は、すでに「段落十」に移動させているので、その前節を「透という化粧は」という主部に替え、第一文は次のようにする。
 「透」という化粧は、彫や象嵌が発達しても、鐔の基本的な装飾たる事を止めない。

《意味論崩壊文その十・以下J文とする》
 地鉄を鍛えている人が、そんな形を抜きたくなったのか、客の註文に答えたのか、そんな事は、決して解る筈がないという処が面白い。
 
 一つの文に連体詞「そんな」が二つ使用されている。前者の「そんな」は前文の「星や花...誰にでも親しい日常の物の形」を指し、後者は、同文の前半を指していると理解することはできる。しかし、この理解はあくまでも読み手の好意である。同文に複数使用されている連体詞あるいは代名詞は同じものを指す。これが言語学的ルールである。したがって、後者の「そんな事は」を削除する。

J文の添削
 地鉄を鍛えている人が、そんな形を抜きたくなったのか、客の註文に答えたのか、決して解る筈がないという処が面白い。
 
[段落十二]
 先日、伊那にいる知人から、高遠城址の桜を見に来ないかと誘われた。実は、この原稿を書き始めると約束の日が来て了ったので出掛けたのである。高遠には、茅野から杖突峠を越えて行く道がある。峠の下に諏訪神社の上社がある。雪を残した八ヶ岳の方から、冷たい強い風が吹いて、神社はシンカンとしていた。境内の満開の桜も見る人はなかった。私は、高遠の桜の事や、あそこでは信玄の子供が討死したから、信玄の事など考えていたが、ふと神殿の後の森を見上げた。若芽を点々と出した大木の梢が、青空に網の目のように拡っていた。その上を、白い鳥の群れが舞っていたが、枝には、近附いて見れば大壺ほどもあるかと思われる鳥の巣が、幾つも幾つもあるのに気附いた。なるほど、これは桜より余程見事だ、と見上げていたが、私には何の鳥やらわからない。社務所に、巫女姿の娘さんが顔を出したので、聞いてみたら、白鷺と五位鷺だと答えた。樹は何の樹だと訊ねたら、あれはただの樹だ、と言って大笑いした。私は飽かず眺めた。そのうちに、白鷺だか五位鷺だか知らないが、一羽が、かなり低く下りて来て、頭上を舞った。両翼は強く張られて、風を捕え、黒い二本の脚は、身体に吸われたように、整然と折れている。嘴は延びて、硬い空気の層を割る。私は鶴丸透の発生に立会う想いがした。

《意味論崩壊文その十一・以下K文とする》
  実は、この原稿を書き始めると約束の日が来て了ったので出掛けたのである。

 K文は、文自体の意味論は崩壊していないが、段落全体の一貫性を壊しかねない書き手の個人的事情文である。削除されるべきであるとはいえ、ここにいたるまでも、「気にくわない/好き嫌いを言う/面白い/面白くない/私の興味をひかない」等、書き手自身の心情吐露的文言がちりばめられていることから、この出題文は論文形式文ではなく随筆の範疇に入ると考えられる。であるならば、書き手が偶然に出会った(鶴丸透の発生を連想させる)光景に対する心情吐露は、この随筆のエピローグにおける重要不可欠な部分と考えられる。
 白鷺だか五位鷺だかが飛来してきてその姿を真下から見たという書き手の目撃経験が本当かどうかは知るよしもないが、随筆を書くとき、作品に彩りをそえるために、それなりの作為を行うことがある。ここにおける作為とは、透鐔に関する原稿を書いているときに、その透鐔の発生に立会ったと思わせるような光景を目撃したという偶然性である。この偶然性を表現するために、僭越ではあるが、段落十二における冒頭の二文を次のようにしてみた。
 
 伊那の知人から高遠城址の桜を見に来ないかと常々誘われていたのだが、この原稿を書き始めてしばらくして桜の開花の知らせがあった。原稿の締め切りもあり、どうしたものかと迷ったが、思いきって知人の誘いにのった。

                                            ...以上で検証を終わる。
 
...追記...
 小林秀雄ほどにもなれば、この文は間違っていると、誰も指摘できなかったであろうことは想像にかたい。日本社会においては、自分の頭のなかに浮かんだアイデアを読み手に説明もなしに、「それ、それ、そうなんだよ」と言うのが、優秀と呼ばれる頭脳だと信じ込まされている。だから、何を言っているのか解らない責任は読み手に負わされ、書き手の筆記能力が問われることはない。
 根深い原因は、日本の国語教育にある。論文筆記の知識や技術を教えない教育である。加えて、筆記能力は先天性なものだという間違った風説もある。筆記のための教育を受けていない者が教師になるから、教えることができない。ますます日本の論文筆記教育は衰退することになる。この衰退を証明する最たる物証がセンター試験の出題文である。
 私が検証しだしてから、十年が経つ。いつまでたっても、正当論文が出題文にならないということは、日本の教育界には、もはや正当な論文を書ける者がいないということなのだろう。最後に、書き手のお気に入りの「...は、...だが、...から、...である」を使った文を創っておいた。
  
  センター試験の国語1の出題文は
  所謂意味論崩壊文だが、
  権威権力に護られているから
  正当文として出題されつづける。