1月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2543)

1999年も残りわずかになりました、今、今日の時間の大切さを一段と感じるこのごろです。
「一生を貫いて、汝は真に汝を知ることが出来たか。 一生を貫いて、汝は汝に成り切りことができたか」の言葉が迫ってくるようです。ご意見ご感想をお待ちしています。合掌

 聞法(もんぽう:仏法のお話を聞く)の大切さを浄土真宗ではよく言います。特に継続した定期的な聞法が大事です。私は幸い20歳代(学生時代から)に聞法のきっかけがありました。その後、継続した聞法の機会を作っていただいたよき師・先輩に感謝せずにはおれません。現代は寺院関係,及びその他の場所で法話を聞く機会を作ると共に一般の人の仏法への縁を作り,育てることが大きな課題と思われます。
 学校で講義を聞くことと聞法はどう違うのでしょうか。
 形式的には全く同じといってよいのですが、内容が大きく違うと思われます。
 学校での講義は内容が各分野の知識の教授になりやすいのです。多くの知識・考え方を学び、試験ではいかに理解し、覚えているかを試されます。ひどい場合は徹夜で詰めこんで試験の時、覚えたものを吐き出して終わりです。その繰り返しをすれば身につく知識も増えては行きます。博学という物知り(知識人)にはなるでしょう。しかし,人格を揺り動かすことは少ないでしょう。知識の多いことは世間生活のためには益することも多く、教養として自分を飾るには適していますが、個人の内面(心)との交渉は少ないようです。
 仏教の話しは人格を揺り動かすものです。その動かされている様を全身感情(信じるから感じるへ)と表現することもあります。それはあたかも音叉(おんさ)の共鳴の如く、話しの内容(仏法)に揺り動かされるのです。頷(うなず)く、頷かされたという表現をとることが多いのです。そのことは知力(知能)・記憶力に関係なく、全ての人間に可能な領域です。
 聞法で大事なのは知識的に覚えることではなく、聞きながら頷けるかどうかです。蓮如さんは「かどを聞け」といわれています。お話の内容をはじめから終わりまで全部理解すると言うことでなく所々頷けるように聞くことが大事だということでしょう。
 知識人の弱みは理解して、覚えて、説明できるようになろうとすることです。まず副(でん)と構えた『私』がいて、その私が色々と知識を頭の中に蓄えて行く。頭の中の体操(勉強・実験ばかりでなくゴルフなどの体操をしませんかと先輩が某教授にお話しをしたら、自分は頭の体操をしているから十分だといったということです)は出来ても、副(でん)と構えた私の内面を動かすものになりません。
 頷けるように聞くにはまず、聞く者の姿勢が大事です。聞く姿勢を整(ととの)えさせるのは、お話をする人の人格の為せる技(わざ)であり、説く人と聴く人の人間関係でしょう(雰囲気や聞こうという姿勢・動機づけ)。
 ある宗教者が若い時の聞法は核(中心部)爆発を起こすが、ある年齢を行ってからの聞法は辺淵(中心部でない)での小さな爆発になりやい、とうまいこと表現していました。現代人は自分という本体には関係なく自分の外側に記憶として知識を蓄え、その量をふやしてまさに博学となる傾向が強いのです。 
 知識を増やす事と智慧(仏教のちえ)をいただく事はどう違うのでしょう。
 曾我量深先生は『お念仏は、なるほどそうかと言える世界。なるほどそうかいえる世界が見つかった人は、広い道を堂々と歩いていける。なるほどそうかという世界を知らない人は、狭い世界を肩をいからして歩いて行かねばならない』と仰っています。
 『狭い世界を肩をいからして歩いて行かねばならない』とは、本人は世の中のことはわかっている、世界のことは分っているとうぬぼれて(外見を立場上飾って、虚勢を張る)了見の狭い世界にいて自分は知識があるんだ地位があるんだ肩書きがあるんだと肩をいからして----生きている様をいったのでしょう。
 松本梶丸氏は「聞法の場は仏法の話しを聞く場でない。お話しを通して、如来の智慧を、如来の眼差しをいただく場である。具体的な聞法の場は我々の日常生活の中で、いただいた如来の眼差し、如来の智慧のはたらきをどのように感じとっていくかが大事な課題であろう。」と言われています。聞法の場では耳を研ぎ澄まし、自分にとってそのことはどういう意味があるのかという観点で聞き、聞いた内容を現実の生活の場で憶念(思い出しながら)しながら現実の課題を真正面から取り組んで行くことの大切さを言われているのでしょう。
 我々は煩悩成就(備えている)のこの身をかかえて生きています。縁しだいでは、我々の胸からさまざまの煩悩が出たいり入ったりします。要は、その煩悩が見えているかどうか、頂けているかどうかが信心(悟り)の課題であると思うのです。

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