1月のご案内(B.E.
Buddhist era 仏暦2545)
宇佐市に育った私には「おとり越し」という言葉に旧四日市町(現在合併して宇佐市へ)のお祭りと言う印象が強い(特に小・中学校時代の思い出)のです。改めて調べてみるとこれは東西本願寺の別院が四日市にあり、親鸞聖人の法要(御正忌)を前の年の12月に取り越して行う行事(御正忌報恩講)と言うことで「おとり越し」という地域を挙げての行事になったと言うことを知りました。
報恩講の報恩という言葉は仏法の基本の「縁起」の考えに関係していると思います。縁起と言うと世間では今日、本来の仏教の意味と違った意味合いに使われているようです。本来は「原因(因)と条件(縁)との相乗作用、複合作用、これらの融合作用によってすべてのものは生まれ、存在し、変化し、衰え、そして滅し、さらにこれらが無限に繰り返されている事実を表した言葉」です。中国語に訳するときに「因縁所生」「因縁和合」「衆縁和合」等に表されています。
私と言う存在は種々の要素(仏教では「地・水・火・風」の4つの要素と「色・受・想・行・識」の五蘊(ごおん))によって構成されているとか、世間のことがらもさまざまに衆縁和合して変化しながら相続されているということになります。
禅宗の道場で大切にされる歌として「年毎に 咲くや吉野の山桜 木を割りて見よ 花のありかを」があります。花はどこから咲いたのかとまさかりで木の中を調べて見ても花の元らしいものは見つかりません。いや現代風に言えば桜の木の細胞の中に遺伝子があり、それが花を咲かせるのだと言うかもしれませんが。素晴らしい、咲き乱れる花の元は遺伝子も原因の一つかも知れませんが。まさに種々の因や縁が和合して花は咲くのでしょう。
世間の出来事は衆縁和合して変化していますから自分の思うように、願いどおりに、欲するようにならないのです。これを「苦」とあわしています。苦しみの反対が「楽」ですが、原語の意味は思うようになること、欲するようになることです。自分自身の身体を含めて家庭・世間のことで思うようになるものはどれほどあるでしょうか。最近、親しい従兄弟が病で49歳で亡くなりましたが彼のことを思うと彼の笑顔が眼の前に現われます。しかし、もうこの世にはいません。年齢を重ねるごとにこんな経験が増えていきます。諸行は無常であり、一切は苦であると釈尊が説かれています。
蜀山人の歌に「昨日までは 人のことかと思いしに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」があります。また「昨日見し 人はと問えば 今日は亡し 明日は我が身も人に問われん」という道歌もあるようです。
こういう事実を理性的に分っても「ありがたい」とか「おかげさま」に中々なりません。感謝せんといかんのかなーぐらいであります。存在することがあたりまえ、自分の力で生きている、モノを生産し、お金を稼ぎ、人の世話にならんで生きているのだ。むしろこちらが感謝されてもよいくらい人のため社会のために自分はやっている。こういう姿を三悪道に沈む「阿修羅」と言い当てることが出来るでしょう。
こんな傲慢な私の姿を仏は冷静に縁起、衆縁和合という道理で智慧無き私に身の事実を照らし出して教えてくれています。医学を学んでみてなんと複雑な精密機械以上の構成と微妙なバランスの上に人間の身体の維持されていることか。その複雑さを知らされれば「生かされている」「支えられている」と感動せずにはおれないものです。
あたりまえと思っていたことや、眼に見えない部分の働きを人間の英知はほんの一部の部分を解明したに過ぎないのです。
縁起の法を無視してこの世に「常(不変の安定したもの)楽(この世に続く楽がある)我(しっかりした不動の私がある)浄(清らかな世界)」を実現せんとする人間の知恵、この知恵を拠り所とする限り、結果として流転・空過になると仏法の智慧は教えてくれているのです。
教えをこまやかに尋ねて見れば常楽我浄を追い求めんとする心は仏のはたらきの場、浄土において不思議にも満たされ、摂取不捨されていたのでした。
大無量寿経の中に法蔵菩薩の48の願として語られていた世界(浄土)を知らされ、自分のこれまでの遍歴、自分の今の現実を照らし出される時、自ずから流転・空過を超え「実」ある人生を、実りある歩みを歩ませて頂くことであります。ここに「真実の道理」が説かれていました、弥陀の本願は真実の教えでありました。南無阿弥陀仏こそ仏の大慈悲心の具体的なあらわれであったと頷かされるのであります。
自分の姿を知らされ、照らし破られる時、私の周囲(衆縁)におかげさまで有難うございますとお礼をいい、よき師、諸仏、弥陀の世界に頭を下げ忘恩の私と懺悔、念仏するのであります。
報恩の行とは私にとってひたすら教えを蒙り、教化される道に立つことであり、一生被教育者としての道を歩むことでありましょう。
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