7月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2545)

 なぜ仏教を学ぶことが大切なのか?。
 仏教なんてなくても生きていけるではないですか。現に仏教なしで生きています。本音で言えば仏教はなくても生きていけるが、お金がなければ一日も生きていくことができません。現代人の多くが日常生活の中でこんな感じを持っているのではないでしょうか。
 仏教は仏になる道・教えであると言うことです。仏になるとは「悟る」ということでしょう、仏教用語でいえば「自覚」「目覚め」です。
 何を悟るかというと、自分のこと、人間社会のこと、世間・世の中のことを正しく認識することでしょう。正しい認識とは一人よがりな主観的なものでなく普遍性のある認識です。
 しかし、仏教の正しい認識とは人間の分別的(対象化した理解)な認識を超えた身体での頷きというほうが適切かもしれません。
 人生経験を長く積むとそれなりに人生や世の中のことが解ってきます。論語に60歳で「耳順」という表現があります、これはこの世の事柄で耳にするもの眼にするものがよく分かるようになったということを意味しているようです。即ち悟りに近づくということでしょう。仏教に出会わない人でも、思慮深い人間でれば部分的な悟りは持つようになるようです。
 世の中、世間のことはよく分かっている、と誇る世間での中堅とか,長老といわれる人たちは、一旦予定外の病気(ガン等)になると「なぜ私がこんな病気に、悪いことはしてないのに------」と当惑してしまい世の中のことはわかっていると誇っていたものがもろくも崩れ落ちてしまいます。部分的にわかったつもりでいたのでしょうけれども本当は全くわかっていなかったということです。仏教の悟りは我々凡夫の理解(悟り)の延長線上にあるようなものとは質的に違うようです。
凡夫の「悟り」、「わかった」ということはわかったつもりの非常に主観的な狭い視点で、それは普遍性が無かったり、他から見るとひとりよがりな見方になっていることがほとんどということです。
 我々の科学的な発想もいろいろな事象を説明するのに仮説を立てます。その仮説で次なる新しい事象も説明するということで仮説を普遍性あるものに修正していきます。一つでも応用できない事象が出てくるとより普遍性のある新しい仮説(法則)を考えて修正していかなければなりません。
 釈尊によって説かれたお経は、仏教の学びをして内容の理解を進めていくと驚嘆するような人間業(わざ)ではないのではないかとびっくりする(智慧のない私が判断する資格もないわけですが)ような内容と構成になっており、まさに無量光、限り無い智慧と感動させる内容であります。仏教の内容を法・法則・道理(仮説なんていうことを超越している)という言葉でもいうことができるのです。
 清沢満之(浄土真宗の近代化の中心人物)師は阿弥陀(仏の世界)さん無しには生きることも死ぬこともできないといわれているのですが、世間で生活する我々には全く理解できないことです。せめて理解を進めるとすると我々が考える「生きること」と清沢師が言われる「生きること」に質的な違いが有ると理解していく方がよいようです。
 我々は「命」を生きています、我々が生きている命は生命現象としての命であるといいます。
 「命」について考察された花岡永子(大阪府立大学教授、京大系の宗教哲学者)氏は「命」の質的レベルで分類して・物質的生命、・生物的生命、・動物的生命、・精神的生命、・宗教的いのち、とされています。生命現象としてのレベルは・・・まででしょう。
 仏教では生命現象としての命をいくら生きてもそれは生きたことにならないとの実に厳しい教えです。お金がなければ一日も生きることができないと私がいうところの「生きること」は仏教から照らし出されてみれば、いくら長く生きても生きたことにならないというのです。何になるのかというと、空過・流転しただけのことだというのです。
 あくまで仏教は自分を照らす教えですから他を批判したり非難・論争する道具ではないということは押さえておかなければなりませんが。
 でも私は現に「生きている」といいたいが、本当のいのち(宗教的ないのち)を生きたことがない者には生きる意味がわからないと言われています。清沢氏が言われる「生きること」は宗教的いのちを「生きること」を言われているわけです。さらに本当の命を知らずに百年生きるよりも、本当の命を知って一日生きることの方が素晴らしいのだというのです。
 阿弥陀さんなしには生きることの死ぬこともできない、とはまさに宗教的ないのちを生きることを言われていたのです。生命現象の命は宗教的ないのちのよって見えない所で支えられ、包まれているのですが分別の目では気づくことができないのです。
 世間では欲望を限り無く刺激して経済活動を活発にすることが結果として景気をよくすることになると言う一面があります。現代の時代性では流転的な生き方の方が尊重されているのです?!、南無阿弥陀仏。

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