12月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2545)

 ある知人から「生きる目的と生き甲斐をお教え下さい」という大きな宿題を頂いた。
 世間的な問題は情報を多く集め、知識を増やしていろいろと思考して解決の方向性を出していくのですが、この課題は頭で色々考えて「こうこうです」と答えを出すことを許さない、厳しさを伴った問いであります。「あなたは本音でどう生きていますか?」という身につまされる課題であるからです。
 先月の案内で話題にしたスピリチュアル・ペインの(1)人間に生まれた意味・意義をどう頂いていますか、(2)生きる意味・意義をどう考え具体的に生きていますか、(3)死の問題は解決していますか、に直接する課題でもあります。
 かって仏道の先輩との雑談の中で私の「仏法の縁が出来て17年になります、ようやく少し仏法がいただけるように思います」という発言に対して「仏教が分かるのに17年もかかるようではこまりますね」と言われたことがありました。世間生活をしながらの聞法 であるから、どうしても世間生活を中心にして、ついでにというか欲深くも仏法も求めるという二足のわらじをはく結果になっていました。いや、世間が中心で仏法は趣味程度という体たらくでありました。
 たまたまよき師に出遇い、一生被教育者としての歩みとしての道を教えられ、その仏道の命がけで求めるのにそれだけの価値の有るというか、人間の尺度を超えた宝の山であることを先人の歩みの中に感得するようになって来たのです。それでその仏法への方向性だけはなんとか維持できているのです。
 私は40歳過ぎから厚かましくも、身の程も知らずに、仏法を語り始めたのです。仏法は本当に分かっているのかと問われれば「恥ずかしいことであります、南無阿弥陀仏」というしかありません。まさに求道課程の身であります。
 仏法の先人の言葉を尋ねて見ると、暁烏敏師の信念の言葉として「人間の本当の願いは“仏になりたい”ということだ。全ての人間は、そのことを願っているのだ。それが成就できない限り、人はたとえどうなろうとも満足できんのだ」があるそうです。
 仏法に出遇って見て初めて自分の姿・実態を知らされるのです。まさに地獄・餓鬼・畜生・修羅の生活をし、世間の表層をのた打ち回っている自分への気付きです、人間になれずに「ヒト」に留まっているのです。(注、1)
 最近、同世代の仲間の親世代が亡くなっていくことを多く見聞きしていたと思っていたら、時々私と同世代の人の欠ける場面に出合うようになってきたのです。明日は「あなたですよ」という声が聞こえておかしくないのです。そうすると人間として生まれた意味、生きる意味の解決、死の覚悟は?ということがより身近に思えるのです。
 仏法の学びと、お育てを長年いただく中に、人として生まれたのは「仏法に出遇う為」ということが頷けるのです。それでは世間生活を中心にしながら仏法に関わっているのは??------、「本気になっているか?」と問われれば恥じ入るしかありませんが。
 よき師より現在の病院に就職するとき「世間である役を得て、役割を果たすのは、今まで育てていただいたことへのご恩返しです」という言葉を頂いた。以来十数年が経過して未だに自己中心の行動しか取ってないことであります。地域社会、育てていただいた人・所に報謝の行をしているのかと問われる時、「申し訳ありません、南無阿弥陀仏」と念仏するしかありません。
 林暁宇師が暁烏敏師から頂いた最初の言葉は「本当にしたいことがあったらそれをやれ、それで死んでも悔いはなかろう」ということですが。
 仏法に出遇うまでの私には世間的な色々な欲はありました、今だにそれを引きずっていますが、それが人生で「本当にしたいこと」であったとは思えなくなって来ました。
 林暁宇師の言葉に「私たちは人間が人間になり、自己が自己になり、自己実現できた時に初めて満足してこの世の命を終えて行ける。それが『往生成仏』と教えられているのです。」があります。
 私も最近、よき師が60才前頃いわれていた「そろそろ莚(ムシロ)をたたむ用意をしなければ」ということが思われてなりません。
 せっかく「ヒト」としてこの世に生を受け、まさに動物的な存在で一生を終えていいのか。ぜひとも「人間」になりたい(私が本当の私になる)。そして人間から仏(完成した人間ともいう)となる歩みを教えられた私としては、「今」なんとしても仏となる歩みを歩みたい。念仏して歩ませていただきます、南無阿弥陀仏。

(注、1)「地獄」:居ても、立っても居れないような苦しみの繰り返しの中を生きている。「餓鬼」:いつも足りないと不平、不満を言って物を取り込み、追い求める生活。「畜生」:物、お金、プライドや人に引きずりまわされて、主体性のない生活、「ヒト」とは動物・畜生としての存在を表現したモノです。「修羅」:自分は間違いない正しい、平和を求めていると言って闘争を繰り返している生活

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