2月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2546)

 ある患者さんの思い出:(1)

 現在、勤務している病院で約10年前、外来での診察をしていた時、60歳過ぎのご婦人の患者さんが他の病院からの紹介でこられました。都会の大きな病院で主だった治療は終えて、地元の我々の病院へ帰って来たようでした。
 肝硬変という病気を患っており、数回の外来診療での出会いから色々と話が出来る人間関係が出来た頃のことでした。たまたま定期的な肝臓の検査をして結果を説明しました、その時です、我々の専門の立場から言えば、そんなに気にするほどの検査値の変化ではないのですが、検査の数字のチョッとして変化に過剰に一喜一憂する表情がみてわかるのです。
 暫らくして2回目の検査をした時、説明しようとすると、今度は彼女はハンドバッグから何か紙切れを取り出しました。良く見ると今までの検査結果を几帳面に記録して表を作り経過が過去数年に渡ってわかるように作られているのでした。その検査結果の数値の変化に普通の人以上に喜んだり落胆されている様が手に取るようにわかりました。検査の数字や病気であることにとらわれている様が何か過剰だと感じられました。
 この患者さんにとってその時点で大切なことは検査値の変化よりは、これからの人生を肝硬変という病気とどうつきあっていくかということである思われたからです。
 病気のことは患者さんが色々心配されても結果としてはあまり変わりないのです。患者さんが心配されることによって良い方向に向くような病気ではないわけですから、病気のことは専門の医師に任せて相談しながら、本人は今後の限られた人生をどう生きていくことが大切かということに気付いてくれると良いのにと思われたのでした。仏教は我々に人生を生きていく上で何が大事で何が大事でないかの優先順位を教えてくれるというか、ものを見る眼を育てていただくという一面もあると思われます。
 以前小学校の教師をされていたということを知り、仏教の世界へ関心を持ってもらい大きな心を持てるようになってくれればと願って、外来診察にこられた時、「仏書を読んで見ませんか」と言って本を貸してあげました。
 貸してあげた本が浄土真宗の本であったので次ぎの診察の時、彼女は「私の家は禅宗なんですが」、といわれました。そうですかそれではと言って今度は彼女の家の宗派に関係する相田みつをさんの本を貸してあげました。そんなやり取りを、通院しながら何回か繰り返していきました。
 次第に仏教の本に関心を持ってくれるようになり、また検査等で入院した時には病院の中での仏教講座にも参加してくれるようになりました。
 患者、医師との信頼関係もでき、仏教関係の本を読んだりしながら、次第に、病気の検査値へのとらわれは以前ほど示さなくなりました。そして仏教へ関心・興味を深く持つようになってこられました。
 或る時、「息子が帰省するので私の友達も集めますから私の家で仏教の話をして下さい。息子にも仏教の話を聞いてもらいたいから」と私に依頼されるまでになりました。
 私でお役に立てればと喜んで引き受けました。休日の日、息子さんや友人を交えた法話会がもたれました。そして一緒に食事もさせていただきました。
 私の師である細川巌先生が病院へ検査入院された時には彼女に先生に会っていただいたり、細川先生の法話(入院を機会に病院の近くのお寺での会座を開催)にも参加してもらいました。
 その後、「友人を集めますから、毎月法話会をして下さい」という提案へと展開して、私の勤務する病院の近くの国東町での「歎異抄に聞く会」が発足しました。患者さんのおうちの三部屋を通して会場として使い、毎月の会の案内、会場の準備、等の世話をしてくれて、遠方から来られ参加者には夕食の準備をされ一緒に会食するようになりました。
 しばらく経過してから、その患者さんは法話会の初めと終わりに、参加者皆さんへ「一緒に念仏しましょう」と働きかけられるようになるまでに、仏教を喜ばれるようになりました。
 その患者さんは入退院を繰り返しながら病状は進行して数年後に病院で肝性昏睡になり、なくなられました。しかし、その後その会は関係者に引き継がれ毎月回を重ね現在100回以上になり続いています。
 参加者の増減はありますが、この「歎異抄に聞く会」から積極的な聞法を始める人が少しづつ誕生してきています。ご縁の有る人が聞法の歩みを始めるという事実を目の前にするとき、仏の働きのまさにイキイキとその人の上に躍動している様を感じることが出来るのであります、 南無阿弥陀仏。

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