12月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2546)

 人間の生命とは何か(21世紀の医療と倫理)という公開シンポジウムが平成15年11月17日、福岡の天神ビルで筑紫女学園大学の仏教学講座・国際文化研究所共同主催で開催され、山折哲雄(国際日本文化研究センター所長)、James J.Walter(ロヨラ・メリーモンド大学教授)、田畑の3人のシンポジストによるシンポジウムが行われました。田畑の発表趣旨を2回にわたって掲載します。
 はじめに
 現在、受け持っている94歳の女性が「死にたい」と言って食べることを拒否している。精神的な疾患はないかと精神科医に相談して鬱病の可能性を考えて抗うつ剤を処方したり、種々の働きかけをするが訴えの改善がみられない。対応に難渋中である。
 一方74歳の大腸癌と肝臓転移を煩っている患者さん、大腸の切除は出来たが肝臓の転移巣は手術出来なかった。「肝臓の病気は悪くなりませんかね」と不安を訴える。病気が善くなる方向にしか関心を示さない。現実をなかなか受け取れないのです。
 72歳の患者さん、大腸癌の手術をおこない無事に5年間が経過した。「癌の心配はもうありませんよ」と言って、前医に紹介し、お返しした。2年後黄疸が出て再び当院へ来院した。検査で膵臓癌と肝臓への多発転移がみつかった。手術不能で数ヶ月後になくなった。
 医療の現場はまさに生老病死の四苦のまっただ中であります。医療で病気を一時的には治癒や症状の改善に導き社会復帰させることが出来るが、最終的には老病死に捕まってしまう。医療の仕事は病気の予防、診断、治療、リハビリであるがこれは一時的に老病死をよけて、逃げて、先送りしているのに過ぎないと見えてくるとき何か報われないものを感じる。
 人間の命とは
 数年前、私の三男が高校2年生の時、大分県で高校生が知人の一家数人を殺傷する事件がありました。その時、高校生を持つ保護者に大分県の教育長とPTA会長の連名で「家庭でも自他の命を大切にすることを教えてください」という趣旨の文章が配布されました。
 「いのち」ということを考えてみると私みたいに医学教育を受けて、医療の仕事に携わっている者は生命現象としての生物学的な命を考えてしまいます。
 その頃マスコミでも「いのち」についての報道が多くあり、その中で「なぜ人を殺したらいけないのか」という高校生の質問に説得力のある説明が大人から出来ずに「自分が殺されたら困るでしょう、だから他のいのちも大切にしなければならないのです」という説明がなされたと聞きました。
 西田哲学が生きる医療
今年の春、福岡で第26回日本医学会総会があり、その中で「西田哲学が生きる医療」というシンポジウムが開かれました。医療の領域で哲学、宗教が取り上げられた画期的なシンポジウムでありました。その中で西田哲学をふまえて「いのち」を(1)生物学的な命、(2)文化的な命、(3)根源的な命、としてとらえ、根源的な命に触れる医療において始めて患者も医療者も共に救われる、癒されることになるという趣旨の発表がありました。
 生物学的ないのち
 生物学的ないのちを考えるとき、生命に関係する脳の問題を考えてみたい。脳死臓器移植でだいぶ議論がなされましたが、世間一般の考え方は、考える大元の脳が死んでしまえばどうしょうもない、脳が死んで植物状態になってまで生きていたくない、と言う思いです。知り合いの人から私もよく冗談に言われます。「先生、私が植物状態みたいに脳がだめになったら、一服もって死なせてください」、と。確かに脳は医学の上でも生物学的にも重要な臓器です、酸素が3分間行かなかったら不可逆的に変化を来たし脳細胞がだめになる。救急医療の現場では無酸素脳症にならないように処置をしていきます。医療の世界での臓器の優先順位からいうと脳は最も大切な臓器になります。しかし、脳が大事だが生物学的な命の中心は脳とは決して言えないようです。
 動物実験で脳の移植ということが既になされて発表されています。それによると一時的には脳の移植は成立するけれど身体全体の免疫機構から、移植された脳が攻撃を受けて拒絶されて移植された動物は亡くなるようです。特定の臓器を人間の中心だというのではなく身体全体で一生物としての存在が在ると言うことでしょ。
 最近の遺伝子の研究の発展はめざましいものがあります。遺伝子から見た生物ということでドーキンスという学者が「利己的な遺伝子」という本を書いています。その中で著者は生物とは「遺伝子の乗り物である」と言っているのです。肥満の研究をされている大学の先生の書かれた文書の中に、ライオンは獲物を食べてしばらくすると身体の中に空腹ホルモンが上昇してきて、ある一定量を超え得ると獲物を捕るという行動を始める。獲物を何とか獲得して食べる始めると、今度は満腹ホルモンが上昇し始めて一定量以上になると食べるのを止める。そしていくら目の前に鹿などの獲物が居ても満腹ホルモンが上昇している間は獲物を取ろうとしない。まさに、遺伝子によって産生されるホルモンで行動が支配されている実体があります。行動様式をみると遺伝子にはあたかも自己保存と自己複製の戦略があるかの如くに見えるといいます。
 動物と人間はどう違うのでしょうか?。
(続く)

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