2月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2548)

 僧伽(サンガ)というこ言葉をご存じでしょうか。サッカーのチームに京都パープル・サンガという名前がありますが、多分この漢字、言葉の意味を使っていると思われます。 
 「サンガ」はインド社会一般には集団とかギルドとかの意味に使われて来た普通名詞ですが、ひとたび釈尊の教団に取り入れられた時、サンガは「求道者の集い」を指すようになりました。そして「サンガ」こそは「佛」と「法」を生きて伝える世の宝として三宝の一つに挙げられるに至りました。「サンガ」を構成する一人一人の徳と実践の素晴らしさの証(あかし)であると思われます。  {「仏」「法」「僧」を三宝と言います}
 釈尊の弟子の集まり「比丘サンガ」では「サンガの九徳」を讃えて日に何遍も唱えるそうです。
僧伽(仏弟子「サンガ」)の九徳。
1.正しい道を歩み、
2.涅槃に向かい真直ぐの道を歩み、
3.真理の道を歩み
4.尊敬に値する道を歩むものです、(悟りを開いた仏弟子サンガは)5.供物に値し、
6.招待に値し、
7.人々が徳を積むための布施供養に値し、
8.礼拝に値し、
9.世の人々のためにこの上ない福をもたらす田んぼです。
私は、いのちある限り、サンガに帰依致します。
 これは、お坊さん方が、自画自賛で唱えて聞かせるお経ではなくて、信者さんたちが自発的に声を合わせて唱える「悦びの唱えごと」だそうです。
サンガこそが具体的なこの世での「浄土」の場と考えることが出来ます。浄土とは“仏のはたらき”がいきいきと働いている場を示します。そこには仏がましまして念仏があふれ、法が説かれており、聞法することが出来、仏法を具体的に生きる仲間(御同胞、御同行)がいるのです。日本の現状ではお寺や求道者のグループを中心にサンガが展開することが期待されているのです。
私の知る限り、念仏を生きている人(輝いている念仏者)はサンガを持たれています(サンガとの接点をもたれている)。そして往生浄土の歩み(仏の教えを聞きながら、念仏の生活をする)をされています。信心を生きているのです。信心を生きるとは往生し続ける歩みのことです。学び続け、進展し、成熟し、変わり続けて生きておられます。
浄土真宗は「成仏の宗教」では無くて「往生の宗教」であると言われます。往生とは往生浄土ということです。往生浄土とは仏のはたらき(智慧と慈悲)、教えを受けながら前向きに積極的に生きていくことです。
今、生きていて、この世で往生し続けるのです。教えの光に照らされている(照育、照破、照護)が故に、迷い続けることの出来る仏教なのです。安心して迷い続けることの出来る仏教、その迷いが往生浄土の縁となり続けるのです。しかし、それは最後の迷いなのです。最後の仕上げの迷いなのです。
「最後の迷いとは?」、智慧の眼で見える世界(浄土)では、この世の迷いは目覚めへのご縁となるのです。この世での迷いは浄土の徳として必ず目覚めへとつながるのです(念仏者はこの世と浄土の2重国籍を持つのです)。だから最後の迷いなのです。それは仏のはたらきの世界です、我々の世間的な考えの次元を超えた世界です。
仏のはたらきの世界、浄土は必至滅土(浄土に生まれた者は必ず涅槃に至る、第十一願)のはたらきがあります。浄土の人民は、正しく目ざめ(仏となる)るに決まっている状態にいると言うことです、同時に一生補処(二十二願、一生補処の願)という徳も備わっているのです。
{一生補処の願(二十二願):一生補処とは、「この一生を過ぎれば、仏の位(仏処)を補うべき地位」という意味です。 現在の一生を終わると、次の世には必ず仏に成ることができるという意味で、菩薩としての最高の位のことです。一生補処の菩薩の中で、もっとも有名なのが「弥勤菩薩」です。浄土真宗では、他力の信心を得た人は、次の生で必ず仏に成ることができますから、その位は、一生補処であり、「補処の弥勤に同じ」といわれています。}
しかし、世間生活の延長線上で浄土の世界を生きることはできないのです。阿弥陀経には「是より西方、十万億の仏土過ぎて世界あり、名づけて極楽(浄土)と言う」と表現されていて、延長線上ではないことを距離の遠さで示されています。
諸仏のねんごろなる教えによる教化によって世間生活での私の思いが翻(ひるが)し、覆(くつがえ)されることによって、仏の教えの如くに生きて行こうと、念仏して頭が下がるところに展開するのが仏の世界・浄土です。翻されるところで2重国籍の住民となるのです。世間とは次元を異にする世界です(観無量寿経:汝今知るやいなや、阿弥陀仏ここを去ること遠からず。妙好人、才市:「浄土はどこか?、ここが浄土の 南無阿弥陀仏」、頭の下がった状態では仏の世界の中にいる私と感得するのです。)、しかし同時に世間をも包含する世界です。
何らかの形で「サンガ(僧伽)」との接点を持つことが、具体的に仏道を歩む上で大切であり、進展への大きな力となるのです。

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