8月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2549

 最近、ある坊守さんのお話を聞く機会があり教えられました。その中で人間として疎外された者の欲望ということで次の4つをお話されました。それは(1)享楽要求。死ねばおしまい、生きている内に愉快に、楽しんで生きなきゃ損だ。とにかく人生を楽しむ場と心得て利用できるものは何でも利用して生きようとする。(2)優越要求。人の下になるのはかなわん、人の上に立ちたい。人よりもちょっとでも多く、上を行かなければ、と頑張る。そしてそれが満たされると、何か生きているような感じがする。(3)理念の実現。「私は享楽も要求せず、優越感で満足しょうとも思いません。理想の実現こそが私の全人生です」と、そこでがんばる。理想や夢を追い求める。理想主義。
しかし残念なことにその理念は自分の現実に足を踏まえた理念ではない。つまり彼方に掲げた不満の裏返しか、さもなければ不安のカゲでしかない主観的な、いわば亀毛(亀には毛はないが、甲羅に生えた藻を毛と勘違いして、ない物をあると誤解している例え)にすぎないようなものに取りすがっているわけです。しかし、そのことが自分に意識されるとやり切れなくなります。そこで自己催眠、集団催眠にかけてまでその理念にとらわれるのです。その理念は時には、理念を異にするものを受け入れず、修羅場となることもあります。
以前は以上の3つであったが最近は(4)ゆっくり、のんびり、気楽に、ということも疎外され者の欲望の項目へ加えることができるというのです。それは「そんなに焦ることはない、のんびりいこうよ」という生き方。別に楽しくなくてもいい。人に負けるのが何で悪いの、先に行きたいのならどうぞお先に。理念の実現なんて冗談を言わないでください、というわけです。人間として生を受けて、この世での使命、仕事への気づきができてないことが問題なのでしょう。
これらを聞いて私は思い当たることが沢山ありました。自分の過去を振りかえるとき。まさに人間として疎外されていたことを痛切に感じるのです。そうだったのか。人間性を疎外されたあり方に振りまわされて、飲み込まれていたのかと思い知らされるのです。
自分の過去を思い出して仏教の視点から見直ししてみると、小学3年生のころ、通知表が5段階評価でほとんどが「3」であった頃までは、自我意識も未熟でただ“遊びたい”ということだけであり「まだ中学や高校までも行かなければいけないのか」と思っていた印象が残っています。高学年になると自我意識も強くなり世間の厳しさも少しずつ分かり、他と比較して体力・能力で上を目指さなければならないことを感じるようになりました。少しでも成績が上になるとほめられる。 お利口な子供を演じる術もわかり、自尊心も満足することを知るようなりました。中学になると頑張れば私でも成績が上のほうに位置することを知るようになり、試験前には勉強をするようになりました。
しかしながら、高校になると勉強してもなかなか上に位置することの難しさをいやというほど知るようになった記憶があります。いくら努力をして、生まれつきの能力・体力に恵まれていなければよい成績をあげることができないことも痛切に感じました。いかに心がけがよくても、全力投球してもよい結果を出さなければ“だめだ”という価値観であります。途中の取り組みがどうであっても、すべては結果で評価される、勝たなければ、合格しなければ、負け犬だ、という現実だと思っていました。
親から生活上の注意をされても、親自身ができないことを子供に要求しているように思えて、注意を聞く耳を持っていませんでした。こんな親の元に生まれなければよかったと不平、不満、親不孝の極みでした。
大学に進学した結果は満足かというと決して満足ではなく、新たな比較が待ち受けていて、優越感、劣等感のゆれは解決しませんでした。常に「より上を」と、追われるかのごとく不安で心は落ち着かないのです(仏教の出遇ってみて、分別の背後の深層心理、第七職、未那職(我痴、我見、我慢、我愛)というエゴの意識が優越を追い求めるために起こることを知らされた)。
でも漠然と将来の夢みたいなものを、社会的にも評価される地位を占め、経済的にも豊かになり、趣味を楽しむ生活というような漠然とした、享楽を追い求める夢を描いていました。
しかし、入学後、日本全体を覆った学園紛争は激しくなり、社会や人間の実相を垣間見る経験をいやおう無くさせられ、理想と身体の現実の乖離(かいり)の中で混沌(こんとん)という表現がぴったりの現実の厳しさに直面させられました。
 振り返ってみれば、私は人生の種々の局面で人間として疎外された存在そのものでした!。 人間として疎外された者の心の内面は無意識に「不足・不満・不安」を抱え込んでいるのです。仏教では地獄・餓鬼・畜生を生き、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を流転して、人間になってなかったと指摘するのです。
金子大栄師は95歳のとき「幸福の3条件」と題して(1)人間に生まれた、ありがたさ、(2)仏法を聞く、忝(かたじ)けなさ、(3)今日をいきる、もったいなさ、を書かれています。もし私が仏法とのご縁が無く、仏法のお育てをいただかなかったならば、前記の三つのようなことを教えられても、「おかげさま」とか、そんな認知できないことをどうして信じられるか。そんな見えないものを並べ立てる宗教なんか信用できない。「そんな馬鹿な」「だまされないぞ」「体制側から飼いならされているのだろう」等と批判の言葉を心の内に並べ立てて、仏教なんか無くても生きていけるではないか、と豪語していたでしょう。現代教育だけを受けて来た者、すなわち疎外された存在には、自分の愚かさが分からないのです………学校で百点満点を取る者の愚かさですから。
 奇跡的としか言いようのない縁の積み重ねで仏教の師、そして僧伽(さんが)に出遇い。仏法の世界を知らされ、知れば知るほど仏教の大きさに圧倒され、自分の愚かさに南無阿弥陀仏、と頭を下げざるをえないのです。智慧の世界、光明無量の世界を知らされるとき、自我の殻は破られ、「参った、南無阿弥陀仏」といわざるをえないのです。
 広辞苑によると「いのち」のことを「寿命」と表現されている。それは見える命は見えないいのち(無量寿)に支えられている、生かされている、ことを示しているのです。あるがままの全体の姿は、「ありがたさ」「かたじけなさ」「もったいない」「おかげさま」等を含めて表現しなければ言い表せないのです。ガンジス河の砂の数の因や縁の和合によって存在し、お互いが関係あらしめられているという縁起の法が目覚めの内容です。
 仏法の智慧の世界を知らされるまでは、世間的な小賢しい知恵は自己中心の狭い世界しかみえないのです。仏の智慧の世界を知らないために善悪・損得・勝ち負けの世間の表層で振り回されているのが私の姿でした。それを大悲されて、私に智慧有らしめたい、いのち有らしめたいとの働きかけが、弥陀の本願、念仏として用意されていたのです。この熟慮に熟慮を重ねた本願の声を、よき師・よき友、そして僧伽のご苦労、ご配慮を通して聞き開くとき、本願の声に喚び覚まされて、教えに信順して我が身の現実を南無阿弥陀仏と念仏して主体的に背負って完全燃焼させて生きることになるのです。
「人事を尽くして天命を待つ」から「天命に安んじて人事を尽くす」(清沢満之)へ。

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