月のご案内(B.E. Buddhist era 仏暦2550

 まだ癌と言う病名を正確に患者さんに伝えていなかった約20年前、私が手術をした胃がんの患者さんが再発をして病状が進んだ状態で入院してこられ、内科の後輩医師が担当になってくれた。その医師が「先生、患者さんに本当の病名を告げましょう、患者さんは仏教にご縁のある人だし、しっかりした学者人生を歩まれた方で、仕事(著作)も完成途中のものがあるという、病気が良くなってから完成させようでは間に合わない等、等…………、患者さんにうそを言う関係では、なかなか善い人間関係が成り立たません等………」ということで患者さんに本当の病名と病状が内科の医師から伝えられた。
  その連絡を受けた後、外科の病棟の仕事を終えていつものように内科のその患者さんの病室を尋ねて行った。病室に入ったとたん、今まで味わったことのない大きな戸惑いを感じた、本当の病名(癌、そして進行した病状の事実)を告げた後に、患者さんとの対話の成り立つ「場」を共有するということを経験してなかったのである。言葉を失うとはまさにこのことである。何とかその場はくぐり抜けたが……。

 外科医として自信をつけつつあった当時、患者さんや家族から発せられる問いに対してはほとんど何でも即座に対応できるノウハウはもっていると密かに自負していたのであるが。それは患者さんに本当の病名を告げてなくて、うそを言っているときに、患者さんに病状の説明をしたり、ごまかす術を心得ていたという事であったのです。
  当時、病状の進行した癌の患者さんを診察しながら最終的には死ということで、本当の事実を伝えずにうその病名を告げて、それにあわせたうそ、ごまかしの説明を重ねて行き、最期を迎えるということは仕事とはいえ何か患者さんとの関係で虚しさを感じていたのでした。病気に対して共(患者さんと医師が)に戦うといいながらも、単に仕事、ビジネスの上での関係でしかない、うそで塗り固めた対話の人間関係では通じ合う関係を持つということは難しい。
  一人の人間として、お互いが自分しか経験できない人生を生きているわけです。お互いの生き様で影響しあう関係が共有でき、わずかでも通じるものがあれば、お互いが教えられ、満たされ、報われ、癒されるような関係、そういう「場」が持てたであろうに………。ある公立病院の看護部長さんが会議の合間の座談の席で「私たち看護職は癒されないのです」と漏らされたことが印象に残っています。

 スピリチュアル・ケアに詳しい村田久行氏はケア(看護、介護)概念は、「人間存在そのもののあり方を“CARE”(気がかり・気遣い)である」ととらえる。それゆえケア概念における「他者の理解と共感」とは援助者が相手の“CARE” を受け取り、共に同じ“CARE ”の中にいるということで成立するのである。対人援助とは本来、相手の心配・気がかり(CARE )を気遣い(CARE )をもって引き受けることである、と表現しています。
  外科手術で病気を治療するという手術場での治療(CURE)の現場は技術、知識だけが通用する世界ではあるが、いったん病棟で接する患者さんは病気を持つ「人間」であります。病気の「人」を救う、援助するというときは、対話の成り立つ対等、平等という関係が大切だと思われます。 医師と患者、専門家と素人という関係はあるもののその基礎に人間としての共通の場、老病死の課題に本音で取り組み、対話をして対応するという「場」を共有するという思いが大切ではないでしょうか。そこには医師として医療の専門家かも知れないが、老病死を経験することにおいては後輩、人生の試練を経験することにおいては先輩、先輩の患者さんから学ぶ場を賜っているという事実であります。

 私は病・死と戦う臨床の急性期の現場からすこし距離をおく管理者としての仕事を10年間した後、最近、再び「老」を主体とした老病死の現場に接点を持っています。ところが最近、久しぶりに癌の末期の人をお世話する機会がありました。かっての臨床の現場を思い出しながら、朝夕の病状把握、そして対応をしていました。たまたま姉妹のお見舞いの現場に立ち会いました、その現場で妹さんが帰り際に患者さんに向かって「お姉さん、元気になって、またおいしい物を食べに生きましょうね」と声かけをされたのです。それを聞いて20年前の前記の現場が思い出されたのでした。当時とは少し状況は違いますが。何が………? 「本人には本当の病名、病状が告げられている」ということです。
  私の妹とそんなことを話題に話をしていたら「患者本人もそう思っていたら、それでいいのではないか」「それ以外の言葉かけてあるの?」と逆に問われました。
  どこが問題なのでしょうか?
  今の医学ではもう治癒に向かっての治療することができない、と分かっていても「元気になって」「おいしい物を食べに行きましょうね」と励ますことしか言えないわれわれの現実。しかし、その結果は「残念、無念」で終わるしかないでしょう。それは20年前、本人に本当の病名を言わなかった頃の医療の現場の人間関係に虚しさを経験していた私には「痛ましい」と感じられ、なにか「そらごと、たわごと」と悲しく、思い出されたのでした。そして歎異抄の後序に「中略……煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」の文章が思い出されたのであります。

 健康で元気でいることがよいこと、若さを保つこと、おいしい物を食べることを「善し」と思う尺度をもつならば、老・病・死はマイナスのマイナスで不幸の完成、暗い世界ということになります。パスカルが指摘された如く「不幸の完成」という事実の前に「幸せ」という看板を掲げて「不幸の完成」という事実を見えないようにして、不幸の完成に向けて突っ走っているわれわれの事実。仏の智慧の眼で見るならば「痛ましい」と大悲せずにはいられないでしょう。
  自我分別のお思いでは不幸の完成で終わる事実をうすうす知っているが故に「死んでしまえばお終い」という発言になり、「生きているうちに楽しまなければ損だ」という思いになるのです。
  死んで帰って往く世界のはっきりしない現代人には科学的思考の延長線上の死後の世界、「無」の世界は受け取れないのです。諦めの暗い世界です。冥福を祈るというが如く、冥とは「くらい」という意味、冥土とはまさにくらい世界です。残念無念、逃げたい、避けたい、先送りしたい世界です、冥土の幸福、冥(くら)い世界でなんとか幸福になって欲しいという思いが「冥福をお祈りします」でしょう。「今」の私において、冥い世界を超える方向性がはっきりしないということは我が人生の過去の総決算が冥いということです。いや私に連なった生命30数億年の最先端の私において救いが実現してないということです。人間に生まれた今生に生死を超える道に立たない限り、暗い世界から冥い世界に流転していくしかないのでしょう。

 弘法大師(空海)の「秘蔵宝鑰 ひぞうほうやく」には「生まれ生まれ生まれ生まれて,生の始めに暗く,死に死に死に死んで,死の終わりに冥(くら)し」とうたわれています。

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